1963

主に昭和の頃の思い出と旅行の備忘録
ときどき愚痴

介護の苦痛

2024-05-31 17:24:13 | 介護

よく介護の苦労と言うが、苦痛の方が表現としてあってると思う

これは自分で介護している人しか解るわけない

綺麗事を言う人はただの傍観者

子どもの頃から「長女だから」「お姉ちゃんだから」で
お手伝いとか面倒を押し付けられることが多かった
そういう人他にもいますよね?
 
フルタイムで働きながら要介護2の実母を介護している
デイサービスなど介護保険をめいっぱい使いながら
なんとか2年頑張った
 
真夏の夜、仕事を終えて11時過ぎに帰宅したら、リビングから階段から便だらけで
疲れておなかも空いているのにシャワーも浴びれず掃除したこと
 
有給休暇をしょっちゅう親の病院の付き添いに使わなければならないこと
(自分の為のリフレッシュに使いたいのに)
 
毎月、かなりの金額がかかり辛い
でも母は、私の悪口を言う為に親戚に行くのに
タクシー代に数万円を平気で使うこと
 
施設には絶対にいかない
死ぬまで家で暮らすと言って私を絶望させること
 
書き出したらきりがないくらい困りごとがある
でも愚痴って言っちゃいけないんだってね
我慢の限界だからつい口から出てしまうのに
 
今日も病院の付き添いで一日休みが潰れた
本人は面倒みてもらって当たり前だと思ってる
自分は働いていることを理由に
実親も義理の親の面倒も他の兄弟に押し付けたから
介護の苦労がわからないらしい
 
この当たり前の態度が一番つらい
いつまで人生の我慢大会が続くのだろう
 
 
 
 
 

〜昭和のおやつ〜

2024-05-24 13:54:00 | 日記
昭和40年代のおやつ
全部思い出せないけど、こんな感じ↓

▪️家に常備されていたおやつ
甘しょっぱい鯛の形の小さなお煎餅(商品名は知らない)
バウムクーヘン(量り売りの安いやつ)
ビスケット(飲み物がないと喉につまる)
動物ヨーチ(ピンクやグリーンに目を奪われるが子ども向けの味ではない)
ココナッツサブレ(南国風でわりと好きな味)
かっぱえびせん(やめられない止まらない)

▪️親戚の家とか遊園地にお出かけのお供は
マーブルチョコレート
チョコベビー
グリコのキャラメル(おまけ付)

▪️遠足の時のおやつ
クッピーラムネ
麦チョコ
マルカワのふうせんガム(のちにガムは学校で禁止された)
サンキストレモンタブレット

▪️夏休み中のおやつはもっぱらアイス
ホームランバー(私の定番)
メロンシャーベット(母の機嫌が良く多めにお金を渡された時用、メロン型の容器狙い)

▪️家で作るおやつ
ホットケーキ
プリンミクス
ゼリエース

母がお菓子作りを習い始めた時
スポンジケーキをたまに作ってくれたが
なんだか固い
しかもクッキングペーパー代わりのアルミホイルをちぎって敷くからケーキ生地にめり込んでしまい
うっかりアルミホイル部分を噛むととんでもなく嫌な食感だった

高学年くらいから自分でマドレーヌやクッキーなど簡単なお菓子を作るようになった
見た目も味もまあまあだったと思う
バニラエッセンスは作る間も幸せの香りだった

最近の接客

2024-05-22 13:43:00 | 日記
久しぶりに都心に出たので
話題のカフェに行ってみた

1軒め
人気店だが、平日で空いていたのでまったり出来た
お店のスタッフ達は感じ良く
提供された食事やドリンクも美味しかった

2軒め
私が入店した時点では空いていた
先客が数人いる程度
狭いカウンターにはスタッフが大勢
むしろ多すぎて、かえって効率が下がりそうだった
多分、ほとんどが新人

簡単に出せる物の割には時間がかかっていた
どうやらUberでのオーダーにも対応しているようだった

そのうち後の番号の人が呼ばれたので
おかしいと思いカウンターで確認したところ
案の定私のオーダーは忘れられていた

慌てて作りはじめたようだが
やはり時間がかかる
ちなみに家でも数分で出来るような簡単な物

一番ベテランっぽいスタッフが運んできてくれたけど
店を出る最後まで誰からもお詫びの言葉は一度もなかった

何より気になったのが
作りながら、しゃべったり笑ったりしてた事
もちろんマスク😷もなし

貴重な平日の休みが不快な半日になってしまった
1軒目が良かっただけに
あの時点で帰れば良かったと後悔


〜昭和のご近所付き合い〜

2024-05-20 18:40:00 | 日記
昭和時代は今より近所付き合いが濃厚だった

コンビニもないし、スーパーだって夜まではやってない
調理中に足りない調味料があれば
ご近所同志で貸し借りをしていた

電話がまだ全ての家庭に普及していない頃は 電話を貸したり取り次いだりもしていた

父が急病で入院して母が付き添いで留守の時は
私と妹はお隣の家で食事をさせてもらっていたし
お向かいの子が歯痛でご飯が食べられない時
何故かうちの母がせっせと鍋焼きうどんを作り届けていた

あるお正月、近所で新年会をする事になり
大人達は一軒の家に集まり
子ども達はその数軒隣の家に集まって遊んだ

大人達の宴会が夜まで続いたおかげで
私たち子ども組も夜遅くまでテレビを観たり
トランプやカルタ、すごろくをして遊んだ

なにしろ大人がいないのでうるさい事を言われないから
お菓子やみかんが食べ放題
非日常に大興奮だった

夏休みにご近所仲間で海に旅行した事もある
夜は花火をしたり釣りに出かける父達について行った
どんな魚が釣れたのかは覚えていないけど
学校で夏休みの思い出を習字で書いた時
『海』とか『花火』ではなく『よづり』と書いた事は覚えている
変わった子どもだったな

〜思い出のかけら〜

2024-05-19 09:14:00 | 日記
子どもの頃の思い出って不思議だ

例えば幼稚園の頃
遠足や運動会、お遊戯会などのイベントは
ほとんど覚えていない

普段の日、天気がいいから外でお弁当を食べた時
地面にこぼしてしまったお茶に
お日様がジリジリ当たって乾いていく様子や
昆布の佃煮をアリが運ぼうとしている様子を覚えていたりする

一番古い記憶はなんだろう
妹がまだ生まれていなかったから
多分2歳の頃、母の実家に帰省中
近くの公園の滑り台から落ちた私は脳しんとうを起こした

母と祖母に抱えられて近くの診療所に運ばれたところで意識が戻った
まだ頭がぼんやりしていたが
スタンド付きの白いホーローの洗面器や
セルロイドの一部緑色に変色したキューピー人形が置いてあった事を覚えている

楽しかった思い出や嬉しかった事は
綿あめの様に甘いけどふわっと溶けてなくなる

辛かった事や悲しかった事はずっしりと記憶に残る

物事が上手くいかない時、ずっしりの辛い記憶ばかりが芋蔓式に思い出されて苦しくなる

ブログには、比較的甘い思い出を書いているが、意地悪されたり、理不尽に叱られたりその何十倍も嫌なことがあった

だから昔の甘い思い出のかけらをかき集めてブログに残している
そう悪い人生でもなかったな、、と思えるように