1963

主に昭和の頃の思い出と旅行の備忘録
ときどき愚痴

介護の苦痛④ 姉妹格差

2024-07-03 17:59:00 | 介護
本日も母親の病院付き添い
持病があるわけではなく
軽い睡眠薬を処方してもらっているだけ
命に関わる病気でもないのに
休みを使わせられ毎回苦痛だ

何年か前、不眠で母親がドクターショッピングをして
望んで強い睡眠薬を出してもらい
あろうことかお酒も一緒に飲んでいたらしい
私は近場に転職したばかりで
仕事を覚えたり人間関係に慣れるのに精一杯で気が付かなかった

ある日、母親が自室で転倒したが
薬とアルコールで本人の足が立たないので
私1人では起こす事が出来なかった
ちなみに体重も私より母親の方が重い
なんとか介護タクシーに来てもらい
近所の病院に運んだが
介護認定されていなかったので
徒歩10分の病院に往復タクシー代が17000円ほどかかった
もちろん私の財布からの支払い(涙)

包括や行政に相談したが、介護認定に時間がかかる為、一時的に精神科に入院させて薬を抜いてはどうかとまで言われて途方に暮れた

その辺りから重度の認知症のような状況になった
鶏小屋より汚ない部屋、母の自室の冷蔵庫はカビや腐った食べ物で溢れ、ジュースのボトルはフタを閉めずに横にして入れてあるので庫内はベトベト
部屋にあるバナナは腐り、ショウジョウバエが大発生
便まみれのパットやリハビリパンツが床に転がっているし
入浴するように働きかけても入りたがらず体から悪臭を放っていた
強く言えば「うるせーな」と汚い言葉
着替えもせず、何日も着たきりのパジャマで一日中ベッドに横たわってボーッとしていた
掃除しても片付けても1日で元の汚部屋に戻る
まるで廃人だった

その後、通常よりかなり早いペースで介護認定され
デイサービスやショートステイが使えるようにはなった

一生懸命対応してくださった行政の方やケアマネ、介護士さん達には感謝しかないが
家族のメンタルのフォローまではない

前記事にも書いたが、父は既に亡く
妹は若いうちに亡くなった
親戚も高齢者なので身内に相談できる人がいない

辛い時は辛い事を芋蔓式に思い出す
姉妹の扱いが違っていた子ども時代
私(女性)は手間がかかる事を理由に男の子のように髪を短く刈り上げられていた(すごく嫌だった)
妹は髪を伸ばし毎朝結んで貰っていた

グリコのオマケ付きキャラメル
今ではあり得ないが、オマケは男の子用と女の子用に分かれ、それぞれ何種類かあるようだったのに
「喧嘩になるから」という理由で私は勝手に男の子用のキャラメルをあてがわれた
オマケはプラスチックの小さな車が入っていたが、全く興味を持てなかった

私は子どもの頃、誕生日を祝われた事がない
でも妹の誕生日は母がセッセと凝った料理を作っていた

何故なのかはわからないが、この家では嫌な事や汚い事は長女に押し付ける事になっているらしい
何か問題があれば全て私のせいにされた
親に濡れ衣を着せられる事ほど子どもを傷付けることはない
問題のうちいくつかは妹の仕業だった

現在の母の介護、妹が生きていたらどうだっただろう
きっと当然の権利のように手伝わなかっただろうな


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