daddy-kのいきあたりばったりⅡ

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汽車を待つ無法者のように (2)

2022-08-14 | 故郷の話

線路は続くよ~、と、マイカーなんて夢の夢の子供の頃、鉄道は田舎から都会の札幌を繋ぐ「銀色の道」でした。(この曲は北海道の紋別にあった鉄路をイメージして作られているそう)

汽車と言えば、北海道人は鉄道を「汽車」と呼ぶ人が多く、「何で来たのバス?」「いや汽車で」となるのは、電化率が低く電車よりディーゼル車が多いからかな?個人的には、表記はノスタルジックに「ヂーゼル車」が好きですが。

 

日本の鉄道第1号は明治5年の新橋ですが、人を乗せない鉄路となると明治2年に開通した北海道の萱沼鉄道が先で、目的は石炭を運ぶためだそう。

爾来150年に渡り、鉄道は石炭や木材などを運び、北海道発展の大動脈となり、ピーク時の総延長は4000㎞と、地球一周の1/10もあったとか。

更なる伸延計画もあり、例えば日高地方でも様似から襟裳岬を回り広尾~帯広を結ぶ線や、新冠と帯広を結ぶ線の計画があったそうですが。

それがいまやJR北海道は全線赤字で、地方路線は単独での維持困難としてバサバサと廃線の大ナタが振るわれていて…でも、主に車しか使わない私が「地域の弱者の足なのに?」などと思っても、1円のため何千円のコストが…と言われると、確かに。

 

墓参りで帰省した折、そんな廃線となった後の日高本線の一部を見てきました。

海辺が多いこの線は災害が多く、2015年1月の高波による土砂流出から始まり、9月の台風、翌年も台風による線路流出等があり、その時から臨時の路線バスでの代行だったのですが、手がつかないまま、なし崩しに廃線にとは、とても、切ないのですが。

もっとも、復旧に80億超、設備の老朽化対策に今後の10年間で50億必要…となると、情緒的な話の出る幕は無いですし。

廃線後の線路脇には野の花が咲き、ヘビイチゴが這って線路まで届いていて、もうすっかり銀色の道ではなくなっていました。

 

こちらの駅、代行バスの時は待合室もホームにも立つ事が出来たのですが、今は使われて無くて、転換バスとなった時点で国道にバス停が出来たのでしょう。

もともと駅を降りると、正面にすぐに山が迫り、商店街も無いという不自由な立地でしたが、この場所から日に三往復の急行えりもに乗って札幌に出たのです。青雲の志(?)と共に。

正月に帰省した折、何人かの同級生と乗り合わせ、背伸びをして近況を自慢し合った日…など、色々と思い出がよみがえるのですが、それも昔になってしまいました。

駅舎は当然立入禁止になっていて、もう汽車(正確にはディーゼルの単車両)は入って来ないし、同級生と昔話をする事も無い。

ましてや、無法者を気取って暗い待合室で酒を飲む事も叶わない…。

 

寂しい事ですが仕方が無い。昭和20年代生まれのジジィのただの戯言です。