daddy-kのいきあたりばったりⅡ

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汽車を待つ無法者のように (1)

2022-08-13 | 音楽つれづれ

好きな70年代シンガー・ソングライターの1人、ガイ・クラークの代表作とも言える「Desperados Waiting for the Train」(邦題:汽車を待つ無法者のように)を最初に聞いたのは、リタ・クーリッジの74年のアルバム「愛の訪れ」からが最初でしたが、そそのとき付いていた邦題は「さすらい人の歌」でしたが。

この曲が気に入り、他にどんな曲を書く人?と思っていたところ、翌75年に彼自身のアルバムが発売され(国内盤は翌年)、ここでオリジナルを知ったのですが、既に73年にジェリー・ジェフ・ウォーカーが歌っていたと知り、後追いで彼のアルバムも買ったな…あと、トム・ラッシュの盤も買ったっけ。リタ以外は今は手放してしまったけれど。

歌には、むかし油田を掘っていた爺さんと「僕」との交流が語られ、若造の僕が車の運転やら、酒の飲み方を教わり、時には女の子と遊ぶための小遣いも貰い…と。

80代になった爺さんが亡くなる前に会いに行き、台所で思いで話をし、目を閉じて二人で「もう汽車が来る時間だね」と、まるで汽車を待つ無法者のように…

汽車を待つ無法者のように…と言うのは、感じたそのままなのか、それとも何か慣用的言い回しがあるのか、私の語学力ではそこはわかりませんが、むかしを回想す歌詞に哀感のある歌が滲みました。

 

お爺さんと言うと思い出す人があって、私がまだ小学校に上がる前、近くの川から遡り、二股に分かれた小さな沢にお爺さんが一人で住んでいて、私は時々アメ玉をもらったり、可愛がってもらい、お爺さんの家にも行ったことがありました。

後で聞いた話では昔は砂金堀をやっていたそうで、ずっと独りだったのか?どこから来たのか、暮らしていけるだけ砂金が採れたのか?

当時は子供だったし、あるがままを受入れていたのですが、住いは明治の開拓期そのままの掘建て小屋の生活だったのを覚えています。(写真は当時を再現した開拓の村のものを撮影)

独り暮らしなので、この開拓の歴史村の小屋よりまだ質素だったと思います。

昭和20年代で回りも貧乏とは言え、輪をかけて厳しい生活だったんだろうな?そう思うと今は悲しく、この歌を聞くとそんなお爺さんの事を思い出すのです。

 

■ 以上、聞きたい365日 第317話でした。