高知の文化、美術館・博物館

「心の豊かさと潤い」を求めて、新しい自分を再発見!

「日本の宝・高知城」を自費出版・・・その3

2009-02-24 | 高知の文化に関する情報






日本の宝・高知城     はじめに・・・千葉悦子(高知市)


南北朝時代は、高知城のある大高坂山に大高坂城を築いた大高坂松王丸という武将がいた。今は高知市役所前広場に「大高坂松王丸の記念碑」「大高坂神社址」という二つの碑が郷土の歴史を伝えるように建っている。大高坂松王丸は高知城の祖と言っても過言ではない。更に、戦国時代には長宗我部元親がこの大高坂山に築城している。


その後1601年、山内一豊が築城したのが現在の高知城である。残念ながら1727年城下の越前町から出火し、天守閣等が消失したが、24年かけて再建している。その凛とした姿は高知県はもとより、日本の貴重な歴史的文化遺産である。1934年(昭和9年)高知城は国宝に指定された。


1945年(昭和20年)7月、太平洋戦争の高知大空襲でほとんど焼け野原となった高知市だが、奇跡的に高知城は焼けなかった。「国敗れて山河あり」いいえ「国敗れてお城あり」だった。以来高知市の発展をずっと見守り続けている高知城である。

1950年(昭和25年)には法改正により高知城は重要文化財となった。高知城追手門前には今も当時の「國寶高知城」の記念碑が建っている。

2001年、高知城築城400年を祝う色々な行事が盛大に執り行われた。2006年にはNHK大河ドラマ「功名が辻」の放映で全国的にもクローズアップされて、高知城は本県観光の第一名所となっている。2010年には「龍馬伝」が予定されているので、再び高知城が注目されることだろう。


処で、天守閣の価値を高めるのは城郭である。残念ながら高知城楼閣には高知県庁が建ち、お堀は戦後埋め立てられて三分の一しか残っていない。但し藤並公園には埋め立てられ幅一メートル程の狭い堀が残っている。また北側には1999年高知県警察本部の巨大なビルも建っている。他県のお城に比べると天守閣は決して負けてはないが、城を取り囲む城郭は大変貧しい高知城である。そのギャップはとても大きい。

このような現状の中で国は2005年、高知城の西側の土地(西曲輪くるわ)を㈱穴吹工務店(本社:香川県高松市)に売却した。

続いてJR四国は高知城北側の旧土佐荘跡地(北曲輪くるわ)を同じ穴吹工務店に売却した。「お城が危ない!」「他所から敵が攻めてくるぞ!」「げにまっこと、お城の一大事!」「土佐には"一領具足"がおるき!」市民は危機感を持って立ち上がった。

粘り強い市民の闘いで西曲輪は買戻すことに成功した。中心になって活躍した"高知城跡の保存と整備を考える会"は「高知城は県民の宝」という本を刊行し、市民運動の足跡を残している。


2008年の春、西曲輪の買戻しに力を貸して頂いた東海大学の近藤英夫先生が高知に来られた。その会で「高知城は県民の宝の第2弾をだしたらどうですか?」と言われた。北曲輪はまだ解決してないが、私は市民運動の足跡を残したいと思った。

市民が心から愛してやまない「高知城」。このお城を守りたい一心で頑張った足跡である。

この市民運動の記録が、百年後高知城が再び「国宝」となった時に役立つことを祈りつつ・・

2008年 秋



「日本の宝・高知城」を自費出版

お城周辺の公有地化への署名活動などを続けてきた、有志や地元住民らでつくる「有志の会(千葉悦子代表)」が、「高知城郭と景観をまもる会」としてまとめました。

1冊1,000円で、富士書房・金高堂書店で販売中です。

"お城を観光資源として捉えるだけでなく、住民の心のよりどころとして捉え直す視点"

こうなれば一層、県内外の人々に慕われる"高知城"になるのでは・・・


お問い合わせは発行人・千葉悦子までお願いします。

高知市 小津町  TEL 088-873-4929 携帯電話 090-7626-3364

E-mail osa461008@kzc.biglobe.ne.jp


千葉さんの「日本の宝・高知城」




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