山とバイクと時々お遍路

近畿北部、北陸の山(特に白山が好き)歩き。バイクツーリング、自転車で遊んでいます。

因幡三名城攻略その3 鹿野城(標高152m)

2018年05月13日 | 城郭・城跡
2018年5月10日(木)晴れ

山陰にある戦国の城では珍しい内堀、外堀、石垣などが今でも当時の面影を留めています。春には、ソメイヨシノ約500本の桜の花が辺り一面を桜色に染め水面に映し出されます。鹿野城は現在、天守などの建物はなく石垣などの遺構が残されています。戦国時代の山城とは、まさにこの城のことです。天正九年(1544)出雲の尼子勢出身の亀井武蔵守茲矩が鹿野城主となり、父子二代でこの城を拠点に三七年間統治しました。元和三年(1617)二代目政矩は津和野へ移封、城は寛永五年(1628)焼失し、石垣は正保元年(1644)取り壊されました。天守跡からは日本海が眺望でき東西南北全方角を見通せます。
【ふるさと鹿野観光情報より】


名称・・・・鹿野城、王舎城、志加奴城、鹿奴城
所在・・・・鳥取県鳥取市鹿野町鹿野
形態・・・・平山城
築城年・・・不明
築城主・・・志加奴氏(鹿野氏)
主な城主・・志加奴氏、山名氏、亀井氏、池田氏
廃城年・・・1871年
遺構・・・・石垣、堀、曲輪、土塁
指定文化財・なし






























幸盛寺(山中鹿之助菩提寺)


山中鹿之助の墓



因幡三名城攻略その2 鳥取城(久松山城)標高263m

2018年05月13日 | 城郭・城跡
2018年5月10日(木)晴れ

名称・・・・鳥取城、久松城 久松山城
所在・・・・鳥取県鳥取市東町2丁目
形態・・・・梯郭式平山城および山城
築城年・・・天文年間(1532年~1555年)
築城主・・・但馬山名氏
主な城主・・山名氏、吉川氏、宮部氏、池田氏
廃城年・・・明治4年(1871年)
遺構・・・・石垣、堀、井戸
指定文化財・国の史跡

【鳥取市ホームページより】
鳥取城跡(久松山)。大地が育んだ急峻な地形を持つ山は、戦国時代の山城を起源にした城跡です。
防御性の高さや、山頂からの優れた眺めから、「日本(ひのもと)にかくれなき名山」と評され、織田信長は「名城」と評しました。
鳥取城は、歴史的に著名な羽柴(後の豊臣)秀吉の兵糧攻めの舞台になり、江戸時代には国内12番目の規模を誇った鳥取藩32万石の居城となりました。その歴史の長さから、中世から近世に至る多様な城の姿を残しています。それ故に、鳥取城跡とその周辺は、日本城郭の歴史を物語る「城郭の博物館」と呼ばれています。





































































鳥取砂丘