こよいかぎり。という気分がダンス公演の大きな魅力の一つだと思う。一期一会ともいえるかしら。
あと何回、舞台で踊れるのだろうか。私の命と踊りはどこまで一緒にいることができるのだろうか。そんなことを思う日が増えてきた。
去年は同じ年のダンサーが亡くなった。年が明けて大先輩にあたる人が亡くなった。親友や肉親をふくめ、亡くなる人がまた増えた。反面、まだここに居る、そう感じることも、増えた。年とともに、あるいは喪失とともに、積み重なって重くなってゆくこの感覚は、そんざい、というものに関わっているのだろうか。
ダンスは生きているからこそ踊れるもの、生きた肉体のものだ。しかし肉体が生きていても心が生きていないと踊ることは出来ない。心が生きている、ということについて、人間の心の生き死にについて、真剣に考える時期が来ているのではないかと思えてならない。
ダンスの公演というのは、大げさに言えば、目の前で命が変化してゆくのを目撃する現場だ。肉体の動きはダンスの重要な要素だが、もっと重要なのは、舞手と観手のあいだに生み出され刻々と変化する緊張感や感情のうねりだと僕は考えている。踊りは場を生む。場全体が生まれて変化してゆく感覚のなかに、身を置く。
一回の舞台は、演者にとっても観客にとっても二度とない瞬間の連続だと思う。舞手も観手も生き物。同じ夜はもう来ない。だから、夜を惜しむように踊る体があり、その踊りに立ち会い観る眼差しがあるのだと思う。
こよいかぎり、という刹那を、もういちど、もうすこし、と重ねてゆく。そこにダンス、いや、踊り、というものの特有の楽しみ方があるように思えてならない。
二度ない瞬間。それをまざまざと感じることができるようなダンスの舞台をやりたい。このごろ、ひどく、そう思うようになっている。
▶︎まもなく、春の募集をご案内します。
▶︎ただいま、講師がマスク着用のまま稽古進行をさせていただいたり、設備消毒をする場合がありますが、ご理解をお願いします。また、稽古場設置の消毒薬の使用や、手洗いを心がけてください。
▶︎次回公演は5/30〜31です。