花が咲き始めましたが、冬の余韻も捨てがたい。
まだ寒かった日に撮った写真ですが、
冬の樹には独特の雰囲気があります。
凛としていて、
空間を突き抜けるような感じがあって、
冬の樹には、立つ、ということについて考えさせられます。
季節と季節が何かを受け渡してゆくなかで、
私たちの体もまた、何かから何かへ、
うつりうつされ、ゆずりゆずられ、
かわってゆくのでしょう。
メタモルフォーゼというのでしょうか。
櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。▶︎新作公演のご案内を始めました。
ポツリポツリと花が開き、もうすぐあたり一面が柔らかな桜色に染まるのだろうと思います。
桜の色は何かが始まる予感を誘う色だなあ、と思うことが、ときどきあります。
あの3月11日に始まった日々に見た桜は放射能の不安のさなかにもかかわらず何か新しい生命の始まりを感じさせ克服への不思議な力を与えてくれた、コロナ禍が始まった春には満開の桜に雪が積もったがそれは長い冬の果てを照らす光源のようにも見えた、、、、。
限りなく白に近いピンクから薄紅まで、あの絶妙な色には、かたく緊張した何かを緩めて新たなものの誕生を呼び込むような、独特の力があるように思えてなりません。
そういえば、、、
胎内にいたころの私たちはいつも母体の血液によって薄紅に染まった光に囲まれて、これから地上に生まれ出ようとする心身を育てていたのではないかしら、、、あの、誕生以前の遠い淡い記憶を、もしかすると桜の色は思い出させてくれているのかもしれないなあ、、、、
とも、ときどき思うのです。
櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。
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▶︎近日中に次回公演の開催日程をお知らせします。
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風に身を縮めながら新しい踊りを探るうち、季節が緩み始めた。
新たな公演が決まり具体的な準備に移っている。ドキドキしている。
いまという一瞬間に髪の一本でもいいから結びつきたくもがくうち、皮膚や血管に痛覚のようなものが走り、ふと気付くのが、いつからか、これが最後でなければいいのに、と思いつつ作品を制作するようになっていること。
当たり前だが、全ての瞬間は一度しか無く、それゆえにこそ、そこに関わる熱は一瞬を一生に変容させて忘れ難く人を支える何かを孕んでいる。
何かスルのは、いつも初めてで最後であるのだけれど、やはり最後ではありたくない。しかし、ぼんやりしていると将来未来に備えての何かに気を取られ、今一瞬のことを逃してしまう。初めても最後もなにもなくなって、身が淀む。
命と時間の問題に踊りというのは関わっているように、このごろ実感してならない。いつか、とか、これから、とかいう言葉に対する思いよりも、いまただいまだけのなかに身を置き息を尽くそうとすることに妙に切迫してしまう。なぜかはわからない。
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