櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

疫病と芸術:メメント・モリ

2020-03-18 | ダンス新作公演 Next performance

メメント・モリ(死を想え)という言葉を、思う。

だれもがいつか死をむかえる、そのことを忘れてはいけない。という意味らしい。

中世ヨーロッパでペストが大流行したころ、さかんに語られたというこの言葉に、僕はしばしばクッとした引っかかりを感じてならなかった。

疫病をモチーフとして人間社会を描いた芸術や文学が多数あるが、その根底にあるのは、この「メメント・モリ」というロゴスなのではないかと思う。

以前のダンス作品でモチーフにしたリストの『死の舞踏』や、デフォーの古典文学『疫病流行記』は、なかでも僕には特別なものだし、ブリューゲルやベックリンの絵にはメメント・モリの気分が強烈に満ちあふれているものがあって有名だ。

とりわけ忘れがたいものの一つが、ヴェルナー・ヘルツォーク監督のドイツ映画『ノスフェラトゥ(Nosferatu: Phantom der Nacht)』で、まさに、メメント・モリの精神に満たされているようだった。

ある日、ある街、港に船が着き、その船には病気が蔓延している。やがて、その船から鼠が街に逃げ出す。そして、その鼠が疫病を媒介して街に疫病があふれてゆく。こわれてゆく街に吸血鬼があらわれ、夜ごと家に忍び込み、女から血をすすってゆく。

有名な怪奇物語だが、ありていのことではすまない。描写が凄い。パンデミックを思わせる映像、街に人々が飛び出して乱痴気騒ぎをして踊り狂う映像。大量のネズミがペストをのせて道路や広場を埋め尽くしてゆく映像。あらゆる映像が、人間社会の危機を思わせるのだが、それらは同時に、精神のすさびゆく有様にも見える。

ダスティン・ホフマンの『アウトブレイク』もさることながら、ヘルツォークのこれは、深層の恐ろしさが映像に音に演技に染み付いて怖い。さすがだ。ドイツ表現主義の名作であるムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』をリメイクした映画なのだけれど、ただごとではない雰囲気が漂っていて、いま僕らに警告を与える。芝居はイザベル・アジャーニ(乙女)とクラウス・キンスキー(吸血鬼)が組んで無敵。観れる方法があれば、ぜひご覧いただきたい。

それから、カミュの小説『ペスト』が、今すこぶる売れているらしい。

なんだか、わかる。

家にあったのを引っぱり出して一気読みしたが、この本の凄いところは、疫病にからんで現れてくるさまざまな状況描写を借りて、実はファシズムの到来と人々の変化を描いてゆくところなのではないかと思う。

疫病そのものよりも、疫病にあおられて人々が知らず知らず自分自身を見失ってゆく姿が、そこには描かれている。

感染のみならず、ウイルスが巻き起こす不安のほうが、よほど恐ろしいことなのだ。

ということを、この本は教えようとしていると僕は感じる。いまこの状況のなか、この本から私たちは何を読み取るか。

上の写真はベックリンがペストを描いた作品だが、この怪物は疫病が運んでくる死の影でもあるのだろうが、いま眺めていると、どうもそれだけではないのではないか、という気がしてくる。

疫病が運んでくるのは、何よりも不安という怪物である。世の不安が自らの心に入り込むと、大切にしてきたものを、ないがしろにして目の前の事にばかり気を取られる。余裕がなくなるとエゴが増大し、他人の心に興味を注ぐことが出来なくなってゆく。そんなとき、世界に何が起きるのかを、文学や絵画は教えようとしていると思う。

コロナウイルスによって、案外、いま僕たちは知性や文化をいかに保つことが出来るのか、ということを試されているのかもしれないと、思う。

 


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