92歳
2008年12月10日 | 読
前回記事で「ターシャテューダのクリスマス」に影響を受け、クリスマスリースを作った・・・と書きました。
ターシャテューダは、今年92歳で他界されましたが、その生き方はビジュアル的には美しい桃源郷のような、しかし、一貫した哲学とバイタリティーがなくてはその生き方を貫き通す事はできない圧倒的な人生だったように思います。
今年の初め、私の父方の祖母も92歳で他界しました。
祖母は、夫も結婚する前初めて会った時に、「あんなに迫力のある年寄りにあったことはない」という感じの威圧感のある人でした。
祖父との結婚と仕事の都合により、熊本→福岡→東京へ移住し、戦争による混乱の中、4人の男の子を出産し育て、食糧難の時代には、荒川の河川敷を開墾し、米や野菜を作ったり、祖父が体を壊すと、保険セールスで一家を養ってきました。
そんな二人の92歳の生き方を重ねてみると、ゆっくりと穏やかだった時代から、戦争を経て今日に至るまで世の中が大きく変化した激動の時代を生き抜いた女性の覚悟の強さを感じずにはいられません。
ターシャテューダは、今年92歳で他界されましたが、その生き方はビジュアル的には美しい桃源郷のような、しかし、一貫した哲学とバイタリティーがなくてはその生き方を貫き通す事はできない圧倒的な人生だったように思います。
今年の初め、私の父方の祖母も92歳で他界しました。
祖母は、夫も結婚する前初めて会った時に、「あんなに迫力のある年寄りにあったことはない」という感じの威圧感のある人でした。
祖父との結婚と仕事の都合により、熊本→福岡→東京へ移住し、戦争による混乱の中、4人の男の子を出産し育て、食糧難の時代には、荒川の河川敷を開墾し、米や野菜を作ったり、祖父が体を壊すと、保険セールスで一家を養ってきました。
そんな二人の92歳の生き方を重ねてみると、ゆっくりと穏やかだった時代から、戦争を経て今日に至るまで世の中が大きく変化した激動の時代を生き抜いた女性の覚悟の強さを感じずにはいられません。