yu-yapenguinのGOOグロ部

日々のいわゆる出来事描いてます。

なぜ?

2019年08月14日 15時15分30秒 | 日記

 

安和桟橋、本部港(塩川地区)から、辺野古埋立のための土砂搬送が続いている。沖縄ドローンプロジェクトが時々、土砂を運搬しているダンプトラックを上空から撮影しているが、不可解な点があるので指摘したい。

 下は、本年6月15日、安和桟橋に入る土砂運搬のダンプトラックである(ゲート前では大勢の県民が抗議行動を続けている様子が分かる)。

  上空から撮影した写真を拡大すると次のようになる。

 

 上の写真でも明らかなように、土砂をほんの少ししか積んでいないダンプトラックが目立つのだ。

 この日だけではない。他の日にも同じようなダンプトラックが多い。

                                                           (2018.12.20 撮影)

                         (7月16日 撮影)

(本部港(塩川地区)へのダンプにもほんのわずかの土砂しか積んでいない車両がある。4.25撮影)

辺野古埋立のためのダンプトラックがほんの少ししか土砂を積んでいないのは何故か --- 満載の場合と同じ費用が支払われているのではないか?(追加写真あり)

 

これはわざとか?金をせしめるための。写真の説明はありません。しんぶん赤旗にて。・


沼山光洋

2019年08月14日 09時24分47秒 | 日記

靖國會 沼山光洋事務局長の遺書

 

 

2019.8.14 06:00皇室
 

沼山光洋氏の「自決」

令和元年5月11日早朝、靖国神社の内苑と外苑の間の中通りで、
割腹自決された人物がいた。
一部メディアが小さく報じたものの、一般には殆ど知られていないだろう。
それが沼山光洋氏だった。

沼山氏と個人的な接点は特に無かった。
しかし、私が靖国神社に行くと何度も顔を合わせた。
「中略」

近年、氏が全国の護国神社を巡拝されている話は私の耳にも届いていた。
しかし、もう10年余り、靖国神社に参拝されるご遺族や戦友など高齢者の為に、
車椅子を用意してそれに乗って貰い、拝殿や参集殿まで押してご案内する
ボランティア活動を続けておられたのは、知らなかった。

更に昨年の秋からは、宮内庁職員が出勤する通り道に当たる
和田倉噴水公園付近で、「天皇陛下靖国神社御親拝(ごしんぱい)祈願」
と書いた横幕を持って立つ活動もしておられたようだ。
その様子を写した写真を拝見すると、雨の中、薄い透明なカッパを着て、
幕を手に、私がよく知っている笑顔で立っおられる。

「中略」

明治時代に靖国神社が創建されて以来、歴代の天皇は靖国神社への
御親拝を続けて来られた。
ところが、平成の御代(みよ)において、遂にその事は叶わなかった。
それは勿論(もちろん)、上皇陛下のお考えによるのではない
(現に勅使〔ちょくし〕の御差遣〔ごさけん〕は一度も欠かされなかった)。
御親拝が可能になる状況を作り上げる事が出来なかった、国民の責任だ。
沼山氏の自決は、そのお詫びの為というのが大きな動機だったらしい。

氏のご遺書を読んだ人の話によると、
それには「絶対に(上皇)陛下への批判と勘違いしないでください」という
趣旨の一節があったようだ。
自決当日の日付のご本人の文章の冒頭には、以下のように書かれていた。

「天皇陛下・皇后陛下には心より皇室の弥栄(いやさか)を御祈念申し上げます。
上皇陛下・上皇后陛下には心より感謝申し上げます。
…平成の御代に御親拝賜(たまわ)れなかったこと天皇陛下、御祭神(ごさいじん)
の皆様に大変申し訳なくお詫びの言葉もありません」と。

締め括りの文章は次の通り。
「人間にとって最大の病は絶望と言いますが、
ならば希望は最高の良薬の筈(はず)です。
新時代令和を元気に明るく希望を持って皇室の弥栄、民族の誇りを守る為に
邁進(まいしん)いたしましょう」

氏の笑顔が彷彿(ほうふつ)と浮かび上がって来るようだ。
平成から令和への御代替(みよが)わりに当たり、
このような死を遂げた国民がいた事実を、
少なくとも私は忘れないようにしよう。

なお、5月11日は靖国神社の御祭神、
西田高光命(のみこと)のご命日だった。


https://www.gosen-dojo.com/blog/23235/


自害したやついたのか!令和元年、靖国で。