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紋やのつぶやき パート2

家紋に関して今まで色々とやって来ましたが、今は墓石紋にはまってます

続・清水家の家紋

2015-01-18 18:34:54 | 姓と家紋と集落
「抱き弓に三星」紋の清水姓について分かった事

紋入れを発注された清水さんから「清水家の由来」についてのコピーをいただきました。
それによると、この地の清水氏の家紋は、基本的には「三星」紋で、江戸時代に何らかの功績で大垣藩主戸田氏から弓と矢を拝領したことから、「抱き弓に三星」紋が作られた。
又女紋が「四割菊に三星」も「三星」紋が基にして作られた。

別に、清水進(この人の家紋が「抱き弓に三星」紋と思われる)著「大垣藩の名主と暮らし」によると、清水氏は近江国坂田郡出身で、江戸時代初期にこの地ー大垣市東部揖斐川沿いー移住してきた。当時の新田開発政策にのって清水長五郎のちには清水又市が新田開発に励み、庄屋、名主となり、藩からも重用されるようになった。
この初代の清水氏の家紋は分からず、師匠寺である浄勝寺の住職を訪ねても分からなかった。
多分、先のコピーから「三星」紋が妥当だと思われる。この地域には清水姓の「三星」紋が随所にみられる。

 
    丸で囲んだ紋は10基以上の墓石があったことを意味します

他に「・五星」「杜若」「井桁に木瓜」紋が存在するのは、分家によって家紋が変って来たと思われる。
また大垣藩の家中(足軽)に養子に行った者も数多くいるという。禄の少ない足軽身分では養子先の援助は必要だったかもしれない。
これらの家紋と清水姓の関係は今一つ分かりません。

又分かりましたら報告します。

もう一つ。
清水家の師匠寺・浄勝寺のご住職は「子安」姓でした。
この子安姓の「左三巴」紋も、清水姓の多くあった地区からすぐ南の揖斐川沿いに多く見られました。


櫻井姓の「月に雲」紋の在所

2013-10-22 17:58:13 | 姓と家紋と集落
前に書いた櫻井姓の「月に雲」紋の在り処を捜して美濃市の立花地区まで行ってきました。
5か所廻りまして立花・三つ屋墓地に、その墓石がありました。
   
その墓地に櫻井姓の墓石紋は「向い雁金」紋、「井桁」紋関係の墓石もあり、「月に雲」紋は2基しかありませんでした。
この紋の櫻井の墓石が数多くあることを期待して行ったので、少々ガッカリしましたが、とにかく発見できてよかったです。

櫻井姓の「向い雁金」の墓石紋には、下のような下向きの珍しい雁金紋がありました。
   

又この地区には、那須姓の「地紙に二巴」紋を見ることが出来ました。
   

他に纐纈姓の「菊水」、市原姓の「根笹」、尾関姓の「隅切に抱澤潟」、古田姓の「源氏車」など多くの収穫もありました。

黒野区墓地の怪

2013-01-16 18:55:29 | 姓と家紋と集落
黒野の墓地は、私が墓地調査で最初に訪れた墓地です。出身地が黒野のある人から家紋が分からないので教えてほしい、と依頼されました。しかしその姓はあまり多くなく、今までの記録にも見当たりませんでした。また黒野の墓地を調べても分かりませんでした。
結局当人が、黒野の同姓の家に電話して調べられました。

紋入れを生業としてきた者が、このような事に応えられなかったのが残念で、「姓と家紋と集落」を始めるきっかけになりました。

それから4年経ち再びその墓地を訪れて、その方の姓と家紋は別として、驚くべきことが見られました。
この墓地には、「丸に隅立四目」、「丸に根笹」(色々な種類がある)、「丸に澤潟」紋の墓石が数多くありました。
その家紋を持つ主だった姓はありますが、同じ紋で様々な姓が混在しているのです。

「丸に隅立四目」  
主に「北原」姓が主ですが、この紋を持つ姓が他に村地。秋山、宮崎、武山、清水、福井・・・・・と十三家くらいあります。

「丸に根笹、岐阜根笹、石榑根笹」 
主に「河合」「玉木」姓で、他に神山、澤島、木原、笹田・・・・・と十一家くらい。

「丸に澤潟」  
主に「北牧」姓で、他に日比、北村、鈴木、永見、三宅、・・・・と十七家ほど。

撮影した写真の紋と姓を確認するのに、混乱しホームページには間違えて掲載したかもしれません。(現在編集中)

同紋で、これだけ多くの姓が存在する墓地は初めてです。

一つ分かった事は、例えば「北原」の墓の敷地内に「清水」姓の墓石が建てられている事から、養子縁組によって、姓はそのままで<家紋>がそのまま引き継がれて来たのではないだろうか、と推察されます。このようなケースは五,六ヵ所見受けられました。

このことは確証は出来ません。地元の人に聞くことが一番だと思いますが、そこまで至っていません(汗)
黒野の人が、このブログを見られたら教えてください!

 

松野姓の珍しい紋

2012-08-21 20:25:54 | 姓と家紋と集落
松野姓の家紋は、高澤等著「家紋の事典」によれば栃木県で「左三巴」「上り藤」「片喰」、静岡県で「抱き角」「左三巴」「笹竜胆」、大分県で「抱き花杏葉」「五七の桐」紋、そして岐阜県・穂積で「五瓜に中陰松皮菱に木瓜」「鬼蔦に切竹」「菊菱」が多いとされている。

この美濃地方で私が調査したところ、一般的な紋として「菊菱」紋などはありましたが、あとは先の「五瓜に中陰松皮菱に木瓜」紋のように「珍しい紋」が多いようです。

   <松野姓>

「五瓜に中陰松皮菱に松の字」 木と公で「もっこう」と呼んでいます。
   
木の字と公の字が縦に書いています(少々不鮮明です)

「蔦に切竹」
   

「抱き角に一の字」
   

そして、これらの紋は比較的岐阜市の西・穂積地区に多かったのですが、最近の墓地巡りで岐阜市北部にまたまた松野姓の珍しい紋が見られました。

「切竹笹に雀」  この紋は限りがありますが、今まで少々描いてきましてた。松野姓かどうか確認はできませんが。
   

「雀」 この単独の雀紋は初めてです。近くに紋帖にも掲載されている「ふくら雀」紋もありました。
   



上記二つの紋は、墓地に2,3基と数は少ないですが、江戸期の年号が記され、相当古いようです。

高澤氏も書かれているように、穂積の松野姓の出自は不明です。今郷土誌も合わせて読むようにしていますが、分かりましたら報告します。



 

帰農した武家 梅鉢紋の永井さん(続)

2012-06-24 16:49:07 | 姓と家紋と集落
美濃地方(全国的にもそうだと思いますが)在住の武家が、ある機会に帰農してその子孫を広く残していった例があります。

例えば、鷲見氏。
鎌倉時代初期、郡上郡鷲見郷に地頭として任ぜられた鷲見氏の後裔は、戦国期美濃国守護土岐氏の武将として山県郡北野城に入り活躍したが、斉藤氏との戦に敗れ家臣10数名と討ち死にした。その菩提寺は高富・森の廣厳寺にある。しかしその残存の者が各地に分散し、子孫を残したようだ。

今までの調査では、高富から西深瀬にかけて鷲見氏の「剣花菱」紋の墓石が多くみられる村墓地があり、さらに南へ下って河渡、曽我屋にもみられる。
    鷲見姓

岩田氏
岐阜市南部に数多く分布し、その家紋も「扇」紋を元に色々な種類が見られます。

現在の羽島市足近町は、鎌倉時代より東海道と並ぶ尾張路の要衝だった所です。
室町時代、応永の乱で殊勲をたてた岩田弥五郎兵衛尉なる武士がこの地にいて、葉栗郡から中島郡辺りを部分的に所領していた。(この頃は木曽川の流れ方が違い、尾張国に属していた)
これから4代目の子孫が、応仁の乱の折東軍に属して参戦したが敗退し、郷里に帰り帰農したと云われる。

「子孫、市場に繁栄し、慶長の始め旧家岩田1万」と云われるように、広範囲に子孫を残したようです。

岩田姓が、木曽川を挟んで美濃南部と尾張北部に、広範囲にみられることは、納得できます。
ただ、どの扇紋が元で、各紋に変化していったかは、未だ不明です(汗)
   
     <岩田姓>