黒野の墓地は、私が墓地調査で最初に訪れた墓地です。出身地が黒野のある人から家紋が分からないので教えてほしい、と依頼されました。しかしその姓はあまり多くなく、今までの記録にも見当たりませんでした。また黒野の墓地を調べても分かりませんでした。
結局当人が、黒野の同姓の家に電話して調べられました。
紋入れを生業としてきた者が、このような事に応えられなかったのが残念で、「姓と家紋と集落」を始めるきっかけになりました。
それから4年経ち再びその墓地を訪れて、その方の姓と家紋は別として、驚くべきことが見られました。
この墓地には、「丸に隅立四目」、「丸に根笹」(色々な種類がある)、「丸に澤潟」紋の墓石が数多くありました。
その家紋を持つ主だった姓はありますが、同じ紋で様々な姓が混在しているのです。
「丸に隅立四目」
主に「北原」姓が主ですが、この紋を持つ姓が他に村地。秋山、宮崎、武山、清水、福井・・・・・と十三家くらいあります。
「丸に根笹、岐阜根笹、石榑根笹」
主に「河合」「玉木」姓で、他に神山、澤島、木原、笹田・・・・・と十一家くらい。
「丸に澤潟」
主に「北牧」姓で、他に日比、北村、鈴木、永見、三宅、・・・・と十七家ほど。
撮影した写真の紋と姓を確認するのに、混乱しホームページには間違えて掲載したかもしれません。(現在編集中)
同紋で、これだけ多くの姓が存在する墓地は初めてです。
一つ分かった事は、例えば「北原」の墓の敷地内に「清水」姓の墓石が建てられている事から、養子縁組によって、姓はそのままで<家紋>がそのまま引き継がれて来たのではないだろうか、と推察されます。このようなケースは五,六ヵ所見受けられました。
このことは確証は出来ません。地元の人に聞くことが一番だと思いますが、そこまで至っていません(汗)
黒野の人が、このブログを見られたら教えてください!
結局当人が、黒野の同姓の家に電話して調べられました。
紋入れを生業としてきた者が、このような事に応えられなかったのが残念で、「姓と家紋と集落」を始めるきっかけになりました。
それから4年経ち再びその墓地を訪れて、その方の姓と家紋は別として、驚くべきことが見られました。
この墓地には、「丸に隅立四目」、「丸に根笹」(色々な種類がある)、「丸に澤潟」紋の墓石が数多くありました。
その家紋を持つ主だった姓はありますが、同じ紋で様々な姓が混在しているのです。
「丸に隅立四目」
主に「北原」姓が主ですが、この紋を持つ姓が他に村地。秋山、宮崎、武山、清水、福井・・・・・と十三家くらいあります。
「丸に根笹、岐阜根笹、石榑根笹」
主に「河合」「玉木」姓で、他に神山、澤島、木原、笹田・・・・・と十一家くらい。
「丸に澤潟」
主に「北牧」姓で、他に日比、北村、鈴木、永見、三宅、・・・・と十七家ほど。
撮影した写真の紋と姓を確認するのに、混乱しホームページには間違えて掲載したかもしれません。(現在編集中)
同紋で、これだけ多くの姓が存在する墓地は初めてです。
一つ分かった事は、例えば「北原」の墓の敷地内に「清水」姓の墓石が建てられている事から、養子縁組によって、姓はそのままで<家紋>がそのまま引き継がれて来たのではないだろうか、と推察されます。このようなケースは五,六ヵ所見受けられました。
このことは確証は出来ません。地元の人に聞くことが一番だと思いますが、そこまで至っていません(汗)
黒野の人が、このブログを見られたら教えてください!