増田院長記
本日は大晦日である。いつも勝手に休みをもらっているので、大晦日の午前中は診療である。斉藤さんを合わせて20人の患者数を診た。
午後、妹との家族(旦那、姪、甥、旦那の母)(みんな私の患者である)と母とオフィスの従業員の合同会食を予定していたが、私の体調が思わしくなかったので、中止した。一年の最後の最後となって、疲れが出たようだ。
1年はひとつの人生の区切りである。この区切りがなかったら、ニュートンの時間概念である、無限の過去と無限の未来ののっぺりとした無限時間に投げ込まれる。時間とは意味のある、濃淡のある概念である。
それにしても、私がカイロプラクティックの世界に足を突っ込んでから16年が経過した。早いものである。40歳のときに決断して、パーマー大学に留学。帰国後、臨床の世界に身を投じてから11年がたった。日々精進を目指して、ようやくここまできた。今後とも精進あるのみである。
私は教えるよりも学ぶほうが楽しい。自分の知っていないことを知るときほど興奮することはない。新しい発見があるときの喜び。こうした小さな興奮と喜びが継続の力となる。マンネリが最大の敵である。
教えるのはいつも自分が情熱を維持してないと出来ない。教えるのが楽しくなくては苦痛である。だから、教えることを学習の一環として積極的にとらえる。これは言うは易く行うは難しであるが、一生の課題であろう。
とにもかくにも、この忙しかった1年が終わろうとしている。明日からの3日間の休息に安堵しながら。
本日は大晦日である。いつも勝手に休みをもらっているので、大晦日の午前中は診療である。斉藤さんを合わせて20人の患者数を診た。
午後、妹との家族(旦那、姪、甥、旦那の母)(みんな私の患者である)と母とオフィスの従業員の合同会食を予定していたが、私の体調が思わしくなかったので、中止した。一年の最後の最後となって、疲れが出たようだ。
1年はひとつの人生の区切りである。この区切りがなかったら、ニュートンの時間概念である、無限の過去と無限の未来ののっぺりとした無限時間に投げ込まれる。時間とは意味のある、濃淡のある概念である。
それにしても、私がカイロプラクティックの世界に足を突っ込んでから16年が経過した。早いものである。40歳のときに決断して、パーマー大学に留学。帰国後、臨床の世界に身を投じてから11年がたった。日々精進を目指して、ようやくここまできた。今後とも精進あるのみである。
私は教えるよりも学ぶほうが楽しい。自分の知っていないことを知るときほど興奮することはない。新しい発見があるときの喜び。こうした小さな興奮と喜びが継続の力となる。マンネリが最大の敵である。
教えるのはいつも自分が情熱を維持してないと出来ない。教えるのが楽しくなくては苦痛である。だから、教えることを学習の一環として積極的にとらえる。これは言うは易く行うは難しであるが、一生の課題であろう。
とにもかくにも、この忙しかった1年が終わろうとしている。明日からの3日間の休息に安堵しながら。