学友であり人生のよき羅針盤でもある
JOHNYさんのBLOGより。
ごめんなさい、全文掲載させてください。
掲示板は基本的に言葉のやり取りですから、多少のささくれはあるんだろうと思います。そのあたりを読み込まないで簡単に閉鎖したり、削除したりする人がいますが、さて。
強く批判するのは避けたい気もしますが・・・。
学生のやるものとしてかんがえるならば、もうすこし気骨が欲しい。
評価しようがないとしかいいようがありません。
反応を見ながら改変できる
BLOGやHPをつくることはメディアを考える上で良い勉強になると思いますがさて。
なんにしてもやる気がある人には、ということにつきます。
下の新聞記者の話ともつながっていますね。
(注・「新聞記者の話」詳細は、「
JOHNY's BLOG」で。)
メディア上での批判や意見の食い違いを思わせる発言や反応によって、容易く発言の場を自らの手で幕引きを行うということ…善い悪いは別にしても、時の感情に左右された理由付けで幕を引くのであれば、それは「読み手のシグナル」に対しての不戦敗ではないのかと思う。
著名な人間のblogでも、一般人のblogでも、同じことと考えている。
学生時代に身近であった人間の中にも、ここ数ヶ月の間更新を止めてしまっているスペースがあったりする。
取り上げていた内容が大揉め必至の内容だっただけに、風当たりも強かったのだろう。仕舞いには返答に疲弊した感のある投稿内容だったことを考えたら、blogに精力的になれなかったのだろうと考えられる。
また、別の人間についても、更新どころかスペースの削除を行った人間もいた。こちらについては理由如何が判明していないが、何かしらの「言葉のささくれ」があったに違いない。
もし、私の知る限りである彼らのblogについて、更新する気力がなくなったファクタが「コメントの内容」だったとするならば、残念な気持ちになってしまう。
言葉を発することによって摩擦が起きるのならば、その解決方法は言葉で完結するしかない。
また、批判が起こったから発言を止める(「自粛」してしまう)のであれば、それまでの発言も、批判されたら発言を取り下げてしまう程度のことだったと思われても異議を申し立てられないのではないかと考えられないか。
僕は決して、読者の声を無視してまで更新を続けることは望まないが、「読者の声=変化点」と考えることが出来ないか?と思う。
言葉を発する以上、誰かしらの反応はあるに違いない。
それが賛同してくれる意見であればこの上なく嬉しいが、そうでない場合も往々にしてある。
しかし考え方の成長過程は、賛同されない場合の対処方法の良し悪しで決まってくると言っても過言ではないと思わないか?
僕のいる業界では、「カイゼン」という言葉が溢れている。
何かトラブルがあれば、「カイゼン」。トラブルが仮になくても、「カイゼン」の余地はないのか探す。その繰り返しで「強い」工場ができると信じられている。
人間の生き方と工場のやり方を額面どおりに比較することは不可能だとは思うが、どちらにしても「より成長していく」観点からすれば、いかにトラブルを乗り越え、その「トラブル」とやらを自分の味方にしていくか…ということを念頭に置いて行動していくに限ると思う。
ネット上で自分が発した言葉に対して「カイゼン」の余地があるのなら、それは自分の考え方にフィードバックするように心がければよいのではないか。また、何かしらの指摘を受けても自分が正しいと思うのであれば、なぜ「正しい」と考えるのかを突き詰めてもよい。
コミュニケーションという「行動」には、摩擦が発生することは往々にしてある。いや、むしろ摩擦は折込済みだと考えておくことも肝要ではないか。
もし、そのようなシチュエーションになった場合には、その点をよく考えてみてほしいものだと考える。
…と言う僕も、「言葉の摩擦」は毎度悩まされることではあるのだが…。