和歌山県立医大で患者の呼吸器外し…医師を殺人で書類送検(読売新聞) - goo ニュース
この問題の答えなど、簡単に出せるものではないと思いますが…。
延命治療について考えたときに、幾つかの理由で「出来ない」理由が出てくることを念頭に置かねばなりません。
・延命しても治癒する可能性が低く、見るに堪えない。(今回の例)
・延命しても治癒する可能性が低く、なおかつ経済的負担が大きすぎる。
など、他にも多くの理由が生じることは容易に想像できます。
少しでも長く生きること、それは多くの人が望むことではありますが、それは健康で生きていればこそのこと。
健康のまま亡くなっていくことほど幸せなことはない。それは認めるところであります。しかしながら、病院のベッドの上で長い間苦しんだ末に亡くなっていくのは辛いことではないでしょうか?
私の大叔父も長らく寝たきりの生活でした。思うに任せない体が歯がゆいと思っていたこともあったのでしょうし、実際そのような仕草をすることが多々あったようです。兄弟だった祖父も生前その姿を見たくなかったそうで、見舞いの別れ際などは本当に辛そうな顔をしていたことを思い出しました。
その後、延命の手段を尽くした末に大叔父は亡くなりました。その闘病で借金を背負うということはなかったとは聞きますが、結構長い闘病だったがゆえに負担は大きかったとも聞いています。
さて、延命のメリットは何なのでしょうか?医学的にも倫理的にも、命があるものを無にすることは禁じられていることではありますが、この後健康が完全でなくても戻ることが出来ないと判っていながらも延命を続けることに当人がメリットを感じるか否か、考えさせられるところではないでしょうか?
しかし一方で、今回の問題は「患者の意思はどうなのか?」という点であると思います。新聞記事を読む範囲では、「ない」と言わざるを得ない。「人工呼吸器を外してください」という言葉を読み替えると「殺してやってください」という言い方になり、それを受ければ殺人を受諾したことになる。確かに患者の意思とは関係ないところで、生殺与奪の意思が決められたことになるとも言えます。
さて。尊厳死の定義と言っていいのかどうか判りませんが…1994年に日本学術会議は、尊厳死容認のために、
・医学的にみて、患者が回復不能の状態に陥っていること。
・意思能力のある状態で、患者が尊厳死の希望を明らかにしているか、患者の意思を確認できない場合、近親者など信頼しうる人の証言に基づくこと。
・延命医療中止は、担当医が行うこと。
という、以上の3つを条件としてあげているそうです。特にふたつ目の条件は、俗に言う遺言や意思表示、正式には「リビング・ウィル(生前の意志)」というものだそうです。この定義をもって延命治療を断るのであれば、それは認められるそうですが。
上記の定義からすれば、確かに医師は「殺人者」の誹りを受けても否定は出来ないでしょう。しかし治る保証もないままに生き続けることの是非については、改めて考えさせられるような、そんな気がします。少なくとも、好もうと好まざろうと我々は「リビング・ウィル」を行使しておきたいものですね。