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智慧子のブログ

詩のある暮らし

藪柑子

2015-11-19 10:09:34 | 日記

落語の「寿限無」に藪柑子が出てきます。

「寿限無 寿限無 五劫のすり切れ 海砂利水魚の
水行末、雲来末、風来末 食う寝る所に住む所
やぶら小路ぶらこうじ(藪柑子とも) パイポ
パイポパイポのシューリンガン シューリンガ
ンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピ
ーのポンポコナーの長久命の長助」

藪柑子は生命力豊かな縁起物の木のであるこ
とから子どもの名前に使われたといいます。

わが北庭の藪柑子の実も赤くなりました。

いらっしゃい白鳥

2015-11-17 09:02:45 | 日記
今朝8時頃、空から「クォー クォー」と鳴く声がして
白鳥の群れが南の方へ飛んでゆく姿を観ました。
私にとって今年初めての白鳥です。

それから間もなくして、再び鳴きながら別の白鳥が
一列になって東から西の方向へ飛ぶ様子を見ました。
まるで長い大名行列ようで、数えると33羽でした。
生まれて初めての経験に感激!!!

調べると、上越市保倉地区の上吉野池が上越一番の
飛来数とのこと。昨年は1000羽を超えたといいます。
突然のことでカメラは間に合いませんでした。

白鳥の声は姿が観えなくなるまで聴こえていました。
どうやら仲間への合図とか、他の鳥への威嚇とか聞
きます。

カメラが間に合わず、今朝の妙高山と空の写真を
載せます。

松の耳

2015-11-16 17:50:07 | 日記
松の木に関しては全く知りませんが、クロマツ、
アカマツ、ゴヨウマツ、ハイマツ等の名前ぐらいは
わかります。

写真の松は高田城址公園内の図書館の正面玄関の
前庭にあります。
この「松の耳」(私が勝手にそう呼んでいます)は
いろいろな声や音を聞いてきたのでしょうね。
あまりにも立派なので、木の全体を撮ることを忘れ
てしまいました。

本日インフルエンザの予防接種をしてきました。
松葉ほどの細い針ですが、薬を入れる時はやや
押されているように感じました。

インフルエンザウイルスの抗体が出来るまでに、
接種後1~3週間ほどの時間を要すると聞きました。

如是姫

2015-11-12 23:28:47 | 日記
今日は所用で急きょ長野市へ。新幹線のおかげで、時短
になり助かります。長野市での滞在は3時間半ほどでし
たが、とても疲れました。体力を付けなくては・・・。

長野駅前の如是姫(にょぜひめ)像は、善光寺の御本尊
である阿弥陀如来様に助けられた人であり、その感謝を
示して長野駅ではなく善光寺の方を向いて香花をささげ
ています。

以前は随分と高い所におられたのですが、今回はお姿が
寄り近くから拝見できることとなり嬉しいです。
誰もが足を止めて、その美貌とスタイルにため息をつい
ておられたのが印象的でした。

天をかける翼

2015-11-11 17:30:15 | 日記

11月11日、ついに初飛行に成功した国産旅客機「MRJ」
(三菱リージョナルジェット)。
日本の航空機産業において永遠に記憶される日となる
ことでしょう。

午後、当地の空です。私も空を飛んでいるような気分
になりました。

落椿

2015-11-10 18:53:19 | 日記
春を待たずに咲いた「ト伴椿(ぼくはん)」が
早々と「落椿」となってしまいました。
思いっきり咲くことが出来たのでしょうか。

新潟県の地方紙、新潟日報の読者文芸では、
新年の俳句、短歌、川柳、詩、コントの5部門
で募集しています。締め切りは11月13日(金)。

今年はなんとか俳句と詩に応募しようと、ドタ
バタとしている真っ最中です。


立冬の山茶花

2015-11-08 16:31:15 | 日記
今日11月8日は「立冬」です。

ご近所の山茶花が満開です。あまりに綺麗なので、
お庭を訪ねてわかったことですが、お友達がこの町を
去るときに思い出にと置いて行かれた木だそうです。

山茶花を観ると口遊みたくなる童謡が「たきび」
巽聖歌作詞・渡辺茂作曲。
♪(2番)
さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
しもやけ おててが もうかゆい

現在は焚火は禁止、まして「しもやけ」の子供など
ほとんどみませんね。

私が小学生の時代は、どの子供の手も荒れていて、
担任の先生が掃除の時間が終わると、「ワセリン」
なるものを手にすり込んでくれたものです。

それから「肝油」も給食後に口に入れていただいた
記憶があります。そうだ、肝油当番もあったっけ。
夏休みなどの長期の休みの時などは、「肝油注文」
用紙で買って、家で食べていました。
肝油はビタミンA・Dを多量に含むものですので、
当時の食事からの栄養状態はかなり悪かったこと
がわかります。
これは私の知る昭和30年代の話しです。