なにくそ!食道癌!!

食道癌と戦う「ちえまる」の入院日記です!!入院から手術、退院までを記録してみました。

1月3日(月) 完食で頑張る!!手術まであと9日

2011-02-11 | 日記

7:00

36.5度

気分良好、変わりなし。

昨日の夕食の「ポチプラス」を朝から頑張って飲んでいる。今日もバッチリ!!

「空気」が喉にたまらなくなったのが凄い!!一口飲むごとに「グルル~~」っと

喉が返事をするのだ。その返事があると、またすぐに次の一口が飲める。

でもこれもあと9日のこと。

こんなのでも飲みやすくなったので、もう暫くはこれでいいかな、なんて思ったりする。

調子悪かった三日前は、一日でも早く手術してくれ~~っと思っていた。

 

104/71

今日の夜中、お隣に患者さんが運ばれてきた。

小さな話し声に耳をそばだてて聞いていたら、お腹の痛みが酷かったそうだ。

朝、ご主人と小さな息子さんが見えて、今後のことを話し合っていた。大変だ。

病名は「虫垂炎」らしい。

緊急を要するものではないし、手術によるリスクはかなり高い為、今回は薬で

散らすことにしたようだ。確かにこんなに急にお腹を切るとなるとかなり大変だ。

その後、ご主人が挨拶に見えた。職業は海上保安官だそうだ。長男は小学5年生。

優しくて頼もしいご主人と笑顔の可愛い天平美人の奥さん(病人本人)

すっかり意気投合し、いろいろお喋りしているうちに一日たってしまった。

 

17:00

今日はまた更に喉の調子がよく、ポチプラス、ジョア、全て完食、ならぬ完飲、プロナも

制覇間近!!スナック菓子もちょこっと食べた。

 

手術の日。開始~終わりまで家族の人は必ず近くにいてほしいと言われた。

明日芳子ちゃんが来たらお願いしなくては。

そんなに長く一人で時間をつぶせるだろうか。そうだ、おばさんにも来て貰わなければ!!

36.6度

 

19:00  

プロナ完食!!  あっぱれ!!


1月4日(火) 眠剤の点滴と検査 手術まであと8日!

2011-02-11 | 日記

昨日は、看護師のSさんが点滴の中に眠剤を入れてくださったので

朝までぐっすりとよく眠れた。

普段なら、一時間おきに目が覚めてしまうのだが、さすがに6時まで一回も

目がさめることは無かった。

だが、点滴をいれてくださったのがすでにもう10時半を過ぎていたので、

何か物足りない感じがしたが・・・・

 

朝もスナック菓子が食べられた。

今日は喉のCT撮影。抗がん剤でどれくらい癌が小さくなったかの検査で、明日は造影剤を飲み込み

飲み込み具合を調べるそうだ。

その次の日はなんと恐怖の胃カメラだ・・・

「先生、やめましょうよ」の必死の抵抗も失敗に終わり、とほほの結果になってしまった・・・

まさか、また胃カメラを飲むとは・・・・

なにくそ!!の精神で飲んでやろう!!

 

36.6度  78/53

 

14:00

CT撮影する。  少しは流れるようになったと思っていたが、やはり先生の目で見ると

殆ど流れていないそうだ。

そうだよね、そんなに簡単に癌が小さくなるわけ無いもんな。

36.6度

今日はまだ寝不足で一日中頭がぼ~~っとしていた。

まだ、眠剤が身体の中に残っていたようだ。

今日はこれにて失礼!!

 


1月5日(水) 食道の透視検査。手術まであと7日!

2011-02-11 | 日記

朝  105/59  35.9度

8:30~

食道造影検査。

トロ~~っとした飲み物を一口ずつ飲みながら撮影。

味は偉くマズイ・・・が、自分としてはスムーズに食道を流れていった・・・

ような気がしたが・・・

マイアイドルK先生が操作してくださり、割と楽に撮影できた。

しかし、弱ったことに最初から「オナラ」がしたくて、それを我慢するのに必死。

でも、最後にK先生の「肩ポン」で一気に解消!!(笑)

 

回診

w先生曰く、「やっぱり流れてないや。でも、抗がん剤の効き目は半分くらいかな。

後は手術で頑張ろうね。」

はい。先生も頑張ってね。

 

昼  85/63  36.7度

 

昨日見た夢

①冷蔵庫の食べ残し。今まで食べ残してきたものがゴッソリ出てきた。

でもそれを必死でゴミ箱に捨てていた。

②餃子、肉まん  何故か走りながら餃子や肉まんを頬張っている。

あまりに頬張りすぎて途中、気持ちが悪くなり、戻しそうになって目が覚めた。

部屋の中が乾燥していたせいで、喉がカラカラになり、むせてしまったようだ。

空気をたくさん飲み込んだせいで、暫く苦しくて喉の中の空気を必死で出した。

 

夜  36.9度

夜、k先生とH先生がやってきた。

「今夜は食事が出ていたので、明日の胃カメラは中止ですか?」と

たずねると、お二人は不思議そうな顔をして顔を見合わせていた。

「え?どうして?」とH先生。

だって明日の朝から胃カメラだから。。。。。

「先生、明日の胃カメラ、無しにしましょうよ~~~」と珍しくごねてみた。

でも、すかさずH先生

「いや~~~、やりましょうよ~~~」

だ、だめか・・・・・

もうこうなったら「嫌だイヤダワァ*・゜゜・*:.。..。.:*・゜(n‘Д‘)η゜・*:.。. .。.:*・゜゜・* !!!!!」と思うのを

やめにしよう。

やったろうでないの!!


1月6日(木) 恐怖の胃カメラ・・・手術まであと6日!

2011-02-11 | 日記

朝  36.3度

今日は午前中に胃カメラだ!あまりに恐怖が大きすぎるゆえ、もはや

ひらきなおるしか手立てはないのだ。

この前のことはすっかり忘れて何気なく受けよう!頑張るのじゃ。

苦しくたってなにくそ~~~!べ~~~だ!!

51.0キロ  プラス2キロ

 

再起の朝の挨拶は「よく眠れた~~?」である。

みな同じように夜になると決まって目が冴えて全く眠れないからだ。

私はたいてい9時からの番組を見ながら10時頃には眠くなり、急いで

テレビを消して眠るようにしている。睡魔が襲ってきたらすぐに寝ないと

また眠れなくなってしまうのだ。でも夜中2時頃にはしっかりと目が覚め、

それからラジオをつけて聞いている。

 

昼  103/71

 

内視鏡が終わった!!

今回は「飲み込む薬」は大幅に免除してもらった。

トロっとした「胃の中の泡を消すため」の飲み物だ。私にとってはコップに

半分ほどの量を飲むのには、しっかりと15分程時間がかかってしまい、とても

苦痛なのだ。

喉のスプレーはたっぷりかけてもらい、精神安定の注射もしてもらった、

十分時間をおいたので「これはイケルぞ!」と思ったのだがやはり甘かった・・・

何度も何度も「おえ~~~」だったけれど、深いところへ入ると少し楽になったような気がした。

今回はH先生が操作してくださったのですごく安心感があったが、最後のルゴール液攻撃は

死ぬかと思うほど凄かった。。。。

スーパー超!胸焼け状態のため、車椅子で病室へ連れて行って貰った。

なかなかムカムカが治らず、30分は死んだ状態・・・

途中吐くといけないのでビニール袋片手に持って帰ってきたが、お腹には何も入っていないので

無事事なきを得た。

よく頑張ったぞ自分!!あとは手術をひたすら待つだけだ。

後のH先生からのお話が楽しみだ。

 

昼食は飲食ともになし。

食道に違和感があり、全然物が入っていかない。

まだ胃カメラの管の感覚が残っているようだ。空気がたまり、

とても苦しいので今日は全く駄目・・・ごめんね。

 

15:30

お隣のベッドから手術後べつの部屋に移ったSさん、娘さんと一緒にたずねてくださる。

明日退院だそうだ。よかったね!!

手術前と同じ、いや、それ以上に活き活きとして嬉しそう!

∩( ・ω・)∩ ばんじゃーい89歳!!本当に良かったね!!

 

胃カメラのせいか、どうしても何かつっかかっている気がして、無理やり二度も戻した。

だいぶ楽になったけれど、後から後からゲップのようなものがこみ上げてくる

癌が暴れているのかな?

こりゃ、夜のスナック菓子も無理かも・・・・

飲み物も全く口にしていない。一口飲むと、もうあかん。

でもきっと明日になれば元気になるさ!

今日はじっと我慢だ。

 

16:00

逗子のおじさん、おばさん来てくださる。

本当に心から嬉しい。遠くからわざわざ有難う!!

なんと12日の朝も来てくださるそうだ。私は本当に幸せ物だと思う。

 

夜 熱が出る。 37.3度

 

 


1月7日(金)久々のウンチ! 手術まであと5日!

2011-02-11 | 日記

朝  36.3度

昨日の胃カメラ後遺症もすっかり消え、今日はしっかりと飲み食いできそうだ。

回診の時、胃カメラの結果を聞いたら、やはりカメラは胃の中へは入れず、

抗がん剤の効果は半分ほどだそうだ。

でも、半分も効いたんだからこれは凄いことだよね。なのにみんなあまり喜ばないのは何故?

 

昼  36.7度  106/57

売店でエッセ2月号と折り紙を買ってきた。

とうとう持ってきた毛糸がなくなってしまったので、新たな内職は折り紙に決めた。

しかし、鶴しか折れないのでこれも非常に困る。摂り合えず「オレンジページ」に載っていた

「うさぎ」に挑戦!!

今日当たり、そろそろ「便」を出したいところだ。

お腹の指圧をしたら、オナラがぶ~ぶ~出たので、少しは効いてるのかなあ。

今日はポチプラス、プロナ、ジョアを3本全て効率的に飲んでやった。

チビチビ飲むのは今までと一緒だけど、無理して全部のまず、8~9割のところで

ストップするのだ。そして、次へ → 次へ → と飲み進んでいくと、

7時頃にはほぼ完飲にちかいものになるのである。

明日もこの調子でやってみよ。スナック菓子も気が付いた時に少量ずつ摘む。

これいいかも~~~!!

 

18:00

バナナ状のウンチが出た!!

暇な時に何度も臍の左右を押したのがよかったのかな。

やっぱりなんともいえず気持ちがいいのお。

便秘はあかん。

36.7度


1月8日(土) 先生からのお話。手術まであと4日!

2011-02-11 | 日記

6:30

早朝ラジオを聴いていたら、徳光さんが「山下敬二郎さんがガンで亡くなった」と

報じていた。本当にガンが多い。

一昔前までは、ガンという言葉は禁句のようになっていたが、最近はかなりオープンに

なっている。ガンという病気が不治の病ではなくなってきたということからなのか。

病棟内でもガンという言葉は日常茶飯事で、当たり前のようにこの2文字が飛び交っている。

自分はこの重大な病に犯されているというのに、いまだ実感が沸かないでいる。

採血。

 

9:00

少し下痢気味。でもスッキリする。

芳子ちゃん来室。

36.6度  83/75

 

10:00

先生からお話があった。

手術前にはなるべく聞きたくなかったのが本音であったが、改めて聞くと

いろいろな新事実発見。 なんとリンパにも移転している恐れがあるため、

これも切除するそうだ。そして少しの割合で声がかすれ、抗がん剤で今度こそ

ボウズになるという。   全て忘れよう。

先生を信頼し、12日まで静かに穏やかに過ごすのみ。

昨日きゅうちゃんに電話したら、近所の酒屋さんが店じまいするそうだ。

なんでも身体上の都合らしい。いろいろ大変だったんだな~~。

 

同室のメンバーの一人が、禁食からおもゆ、3分粥、5分粥に変わった!

だんだん食事が上がっていくたび、みんなで大喜びしている。

まるで自分のことのように嬉しいのだ。禁食のつらさ、重湯のはがゆさ、

これは味わったものでしかわからん。

今まで次々と元気になって退院していく人たちを何人も見送ってきたけれど、

今度は自分の番だぜ!!それまで頑張ろう!!

 

洗濯する。

 

11日、麻酔科へ行ってどんな麻酔を使ってどのように手術に望むかを、芳子ちゃんと聞く事に

なった。10時に病院にきてもらわにゃ。来れるかな?

担当の看護師さんより手術前日と、当日の説明を受けた。いよいよと言う感じ。

だんだん具体化され、流れもザッとつかめてきたので、少しずつ持ち物の整理をした。

先日芳子ちゃんに不要なものを持っていってもらったし、手持ちの毛糸も全て消化した。


1月9日(日)やっと眠れるようになる・・・ 手術まであと3日!!

2011-02-11 | 日記

36.1度  体重51.0キロ

体調も安定。飲み込みも昨日よりスムーズになっている気がする。

今頃スムーズになってくれても・・・・・(笑)

睡眠も不思議と充実している。9時からの番組を見ていると10時には目がトロンと

してくる。それを逃すとまた眠れなくなるので、途中でもテレビの電源を切って寝てしまう

ようにしている。

2~3時間おきに目が覚めるのが、4時頃まで6時間は寝ていることになるのでかなり楽。

そして5時まで「くりまんさん」のオールナイト日本を聞き、ひでたけさんをウトウトしながら

聞いて一日が始まるのだ。

日中は決して眠らないようにしている。これはきゅうちゃんも同じだった。

やっと社長の気持ちがわかるようになったかも・・・・・

 

食事はクラッカーも食べられた。

 

先生回診  手術も間近なのでそれ程会話と言ったものはないが、先生方の表情も

どことなく真剣だ。

「がんばりましょうね!」

「はい!がんばります!どうぞ宜しくお願い致します!」の二言に尽きる。

W先生の表情がとても優しいので、ますます信頼する気持ちが深まる思いだ。

 

昼 36.7度  85/53

同じ部屋のYさんのご家族の方が、私のために毛糸を持って来てくれた。

モヘア糸の綺麗な色のふた玉と並太のグリーン系二色を頂いた!

ステキなの何か作るね。どうも有り難う御座います!!

 

夕方 36.6度

今日もプロナ、ポチプラス、ジョア完食。

スナック菓子も食べつくし、あと残り僅かになってしまった。

この分だと12日までに綺麗になくなりそうである。

 

18:00  ウンチ少し出た!  36.8度

入院から約3週間。有難いことに抗がん剤治療も派手な副作用がなく、

本当にゆっくりのんびりと過ごすことが出来、心から感謝と同時に、

自分にお疲れ様を言いたい。

これからが本番なのである。ラストスパートで口から栄養を摂ることも出来た

事にも感謝感謝!!

 

退院したら、たくさん編みたいものを編む。リハビリ編みぐるみシリーズを出す。

おばさんにベレンちゃんたちのお洋服7着を編んで贈る。

物を減らしていく。

持っている毛糸を使い尽くす。


1月10日(月) アイスを買う! 手術まであと2日!

2011-02-11 | 日記

朝  36.3度

同室のMさんが「何だか遠くの山(大山あたり)がすごく綺麗に見えるよ。」

と言っていたのでさっそく廊下の端っこへ見に行く。

ホントだ!!山のヒダまでがくっきりと見え、朝日に照らされて見事な

陰影が浮き彫りになっている。本当に素晴らしい景色にみんなでうっとり。。。。

さっそくデジカメでパチリ。Mさん、有難う!!

 

 

9:00  回診

H先生、K先生みえる。

「どうですか?お変わりないですか?」

「はいっ!!ガンガン飲んで食べてます!」(笑)

「そうだね。こんなの(点滴)より口からの方が全然いいからね。はい。」

ラストスパートだ!!自分で出来ることは目一杯頑張ろうと思う!

 

昼  36.7度  83/49 ちょっと低すぎ・・・大丈夫かなあ、手術・・・・・

売店でハーゲンダッツを買ってきた。、何だか無性にアイスが食べたくなったのだ。

あんなにちっこいのに、半分食べるのがやっとだ。

残すと溶けちゃうので、ムキになって全部喰ってやろうと思ったのだが

やっぱりよしといた。(;´д`)トホホ…

 

16:45

また今日も一日終わろうとしている。

明日の今頃もやっぱりボーっとしているんだろうな。

20日に入院して22日。長かったような短かったような妙な気持ちだ。

でも入院生活は決して悪くない。入院して本当にいろいろ病気の方々と

ふれあい、お互い励ましあい、喜び合ってきた。入院する前は

こんなに素晴らしい生活など全く想像だにしていなかっただけに、この

22日間は私にとっての宝物になった。一生忘れないだろう。

退院後も一生ガンと付き合っていかなければならないが、今まで以上に

有意義で充実した生活になっていくと確信している。

 

夕方  36.5度

冷蔵庫に残っていたハーゲンダッツは明日食べよう。

もう液体になってしまったけれど。栄養は同じなのでOK!!

あんなに小さくても300円だ。全部食べなくては・・・

 

 


1月11日(火) 麻酔科からのお話  いよいよ明日!!

2011-02-11 | 日記

朝  36.7度

昨日は夜9時半頃に眠くなったのですぐにテレビを消して寝てしまい、

「くりまん」さんのオールナイトニッポンが始まる頃起き出して

朝までゆっくり聴いていた。いつもとかわらない。

5時から「ひでたけ」さんの番組を6時まで聴いて今度はテレビのニュースを見た。

天気予報によると、明日は暖かい一日になりそうだ。

採血

 

9:40

無事芳子ちゃん到着!!

心電図の検査へ行く。 その後麻酔科へ。手術中の麻酔についての話を聴く。

なにやら恐ろしい内容で心臓がドキドキしてきたので、途中からいいかげんに聴いていた。

芳子ちゃん真剣でマジになっている。

本人は正体無く眠った状態なのだから、あとは運に任せるしかないね。

 

14:45

シャワーを浴びる。しかし「浴室」に石鹸らしきものが見当たらず、あったのは安いシャンプーだけ。

仕方ないのでシャンプーで身体を洗った。なにやらヌルヌルしてスッキリしないがま、いいか~~。

看護師のIさんに教わった「臍のお掃除」

本当は石鹸なのだが、仕方ないのでシャンプーで「臍」の中をぐりぐり洗った。

暫くグリグリしていたら塊になったゴミがスポッと取れた!完璧!!

また採血

 

16:00

今日も無事一日を終えようとしている。

明日の今頃は全く違う世界の中にいるであろう自分の事を

あれこれ思い描いたりしている。でも、その中の自分はとても元気で

激しい痛みと戦い、手術が終わったことをとても喜んではしゃいでいるように

思う。

 

見守り花

だいぶ前にご近所のKさんとFさんが持って来てくださった、お正月用のお花のアレンジメント、

少しずつ少なくなってはいるものの、まだしっかりと元気で毎日私を励ましてくれているようだ。

明日の手術の日まで頑張ってくれているんだね!!

私も頑張る!!心から有難う!!

明日、穏やかな気持ちで手術へ望むことが出来そうだ!

 

 


1月12日(水)手術当日!

2011-02-11 | 日記

1月12日、手術終了後はICUに一晩お泊りし、翌日の午後、外科病棟のリカバリーに

無事戻ってきました。

ここからは13日にリカバリーで急いで書いた記録です。

全身麻酔のせいか、ところどころ「わけのわからない」文章がありますが

どうぞ笑ってやってください(笑)

 

1月13日(木)13:20

戻ってきました~~!今、リカバリーにおります。

上半身起こして座っているけれど、まだまだ頭がくらくらするので、また後ほど

昨日からのことを書く事にするのだ。ここはリカバリーなのでTVがないから

たくさん書けるのだ!!うぴぴ。

リカバリールーム。なにやら器具がいっぱい。

このときはまだ私一人だったけど、夜には男性の患者さんで満室状態になった。

 

12日 手術の直前の話。

看護師のHさんが車椅子を押してくださり、芳子ちゃんと3人車椅子で手術室へ。

Hさんの優しい心配りで全身毛布に包まれていてよかった。あの時、毛布をまとっていなかったら

きっと寒いのと武者震いで大切な第一歩がマイナーの方向へいってしまっていたと思う。

手術室への一つ目のドアは、なぜか高級中華料理屋のような両開きで丸いガラスが

中心に施された場違いな感じのドアだった。まずそれで小笑い。

ドアを入ると受付があり、名前の確認。奥から担当の看護師が二名、ストレッチャーを押して出てきた。

そこで車椅子からストレッチャーへ乗り換えたのだが、なぜかアットホームな雰囲気で

気持ちもなめらかになる。それから手術室へ入り、手術台への乗り換え、背中に「硬膜外麻酔という麻酔を

打ってもらうのだが、その準備をしている間、私はやたらあたりをキョロキョロ観察していた。

するとすぐ横のワゴンの横に白いシールが貼ってあり「久ちゃんワゴン」と印刷されていたのだ。

それを見て思わず笑ってしまい、これは何ですか?と看護師さんに尋ねたら、なにやらそのワゴンの

「久ちゃん」の由来を語ってくれた。が、さっぱり覚えていない。全部忘れてしまった・・・・・

でもどうして?と聞かれたので、「うちのダンナも久ちゃんです」と言ったら、そこにいた看護師さんや

麻酔科の先生全員で大笑いしました。

もうこの時点でなんだか手術に買ったような妙な安心感みたいなもので気分が高揚し、

楽な気持ちに導かれていった。そしていよいよ背中の麻酔を打たれ、その後まもなく全身麻酔。

「はい、では麻酔を入れますよ」「はい。どうぞ」

約3秒ほどで意識がなくなった。

それから麻酔が覚めるまで、私の感覚では10分くらいに感じた。

最初に目覚めた時、主治医のW先生、アイドルのK先生、H先生みんなで私の顔を笑顔で覗き込んでいた。

W先生が「無事終わりましたよ。気分は大丈夫?」

よく覚えていないが、そのときはたしか大きく頷いたような気がする。

そしてその次に目覚めた時、今まであったことが無い先生が笑顔で

「大丈夫ですか?気分はどう?」

私はその瞬間とても嬉しくなり、思わずピースサインを送ってしまったようだ。

翌日、ICUで眠れぬ一夜をすごした朝、何となく見覚えがある先生がやってきて

「無事終わってよかったですね。お疲れ様でした。昨日はピースサインがでたもんね。あははは~~!」

を・・・昨日の先生だったんだ。

本当にあの時は手術が無事終わり、とっても嬉しかったんだと思う。

大手術のあとなので、もうそろそろ寝なくては・・・でも、不思議と傷口は痛くない。

でも痛くないとはいってもやはり内部は痛いのだ。昨日は殆ど興奮していて眠れなかった。

眠くてしょうがないはずなのだが全く眠くない。

夕方、知り合いの看護助手のKさんがリカバリーにきてくれた。

リカバリーにて。まだ元気だった頃。

 

10種類近い管に繋がれ、これからが地獄の戦いだった。

 

13日~14日 わきの下の痛み、頂点に達する。

13日は一晩中苦しみ、またまた眠れず14日、半分死んだ状態で個室へ移る。

 

手術中か後か、記憶がさだかではないが、気がついたら前歯が二本無かった。

人工呼吸の器具を喉に入れるとき、誤って前歯にあたって折れてしまう場合があると聞いていた。

一眠りして舌で前歯をさわったら、今度は前歯がセメントでくっつけてあった。

これは夢だったのか現実だったのか定かでは無い。。・。。。。

 

夜中じゅう、看護師のIさんにお世話になる。

死ぬほど痛くて眠れず、意識が朦朧としてしょっちゅうナースコールを鳴らし続けた。

少しでも動くと心電図やその他のモニターの警告音がピーピー鳴り、まわりの患者さんが

心配してナースコールを押してくれたりして、この日も一晩中地獄の苦しみだったのだ。

痛みといらいら、この時ほど「もう勘弁してくれ~~」と思ったことはなかった。

そんな私に嫌な顔ひとつしないで必死で看護してくださったIさん、本当に感謝です。