1月12日、手術終了後はICUに一晩お泊りし、翌日の午後、外科病棟のリカバリーに
無事戻ってきました。
ここからは13日にリカバリーで急いで書いた記録です。
全身麻酔のせいか、ところどころ「わけのわからない」文章がありますが
どうぞ笑ってやってください(笑)
1月13日(木)13:20
戻ってきました~~!今、リカバリーにおります。
上半身起こして座っているけれど、まだまだ頭がくらくらするので、また後ほど
昨日からのことを書く事にするのだ。ここはリカバリーなのでTVがないから
たくさん書けるのだ!!うぴぴ。
リカバリールーム。なにやら器具がいっぱい。
このときはまだ私一人だったけど、夜には男性の患者さんで満室状態になった。
12日 手術の直前の話。
看護師のHさんが車椅子を押してくださり、芳子ちゃんと3人車椅子で手術室へ。
Hさんの優しい心配りで全身毛布に包まれていてよかった。あの時、毛布をまとっていなかったら
きっと寒いのと武者震いで大切な第一歩がマイナーの方向へいってしまっていたと思う。
手術室への一つ目のドアは、なぜか高級中華料理屋のような両開きで丸いガラスが
中心に施された場違いな感じのドアだった。まずそれで小笑い。
ドアを入ると受付があり、名前の確認。奥から担当の看護師が二名、ストレッチャーを押して出てきた。
そこで車椅子からストレッチャーへ乗り換えたのだが、なぜかアットホームな雰囲気で
気持ちもなめらかになる。それから手術室へ入り、手術台への乗り換え、背中に「硬膜外麻酔という麻酔を
打ってもらうのだが、その準備をしている間、私はやたらあたりをキョロキョロ観察していた。
するとすぐ横のワゴンの横に白いシールが貼ってあり「久ちゃんワゴン」と印刷されていたのだ。
それを見て思わず笑ってしまい、これは何ですか?と看護師さんに尋ねたら、なにやらそのワゴンの
「久ちゃん」の由来を語ってくれた。が、さっぱり覚えていない。全部忘れてしまった・・・・・
でもどうして?と聞かれたので、「うちのダンナも久ちゃんです」と言ったら、そこにいた看護師さんや
麻酔科の先生全員で大笑いしました。
もうこの時点でなんだか手術に買ったような妙な安心感みたいなもので気分が高揚し、
楽な気持ちに導かれていった。そしていよいよ背中の麻酔を打たれ、その後まもなく全身麻酔。
「はい、では麻酔を入れますよ」「はい。どうぞ」
約3秒ほどで意識がなくなった。
それから麻酔が覚めるまで、私の感覚では10分くらいに感じた。
最初に目覚めた時、主治医のW先生、アイドルのK先生、H先生みんなで私の顔を笑顔で覗き込んでいた。
W先生が「無事終わりましたよ。気分は大丈夫?」
よく覚えていないが、そのときはたしか大きく頷いたような気がする。
そしてその次に目覚めた時、今まであったことが無い先生が笑顔で
「大丈夫ですか?気分はどう?」
私はその瞬間とても嬉しくなり、思わずピースサインを送ってしまったようだ。
翌日、ICUで眠れぬ一夜をすごした朝、何となく見覚えがある先生がやってきて
「無事終わってよかったですね。お疲れ様でした。昨日はピースサインがでたもんね。あははは~~!」
を・・・昨日の先生だったんだ。
本当にあの時は手術が無事終わり、とっても嬉しかったんだと思う。
大手術のあとなので、もうそろそろ寝なくては・・・でも、不思議と傷口は痛くない。
でも痛くないとはいってもやはり内部は痛いのだ。昨日は殆ど興奮していて眠れなかった。
眠くてしょうがないはずなのだが全く眠くない。
夕方、知り合いの看護助手のKさんがリカバリーにきてくれた。
リカバリーにて。まだ元気だった頃。
10種類近い管に繋がれ、これからが地獄の戦いだった。
13日~14日 わきの下の痛み、頂点に達する。
13日は一晩中苦しみ、またまた眠れず14日、半分死んだ状態で個室へ移る。
手術中か後か、記憶がさだかではないが、気がついたら前歯が二本無かった。
人工呼吸の器具を喉に入れるとき、誤って前歯にあたって折れてしまう場合があると聞いていた。
一眠りして舌で前歯をさわったら、今度は前歯がセメントでくっつけてあった。
これは夢だったのか現実だったのか定かでは無い。。・。。。。
夜中じゅう、看護師のIさんにお世話になる。
死ぬほど痛くて眠れず、意識が朦朧としてしょっちゅうナースコールを鳴らし続けた。
少しでも動くと心電図やその他のモニターの警告音がピーピー鳴り、まわりの患者さんが
心配してナースコールを押してくれたりして、この日も一晩中地獄の苦しみだったのだ。
痛みといらいら、この時ほど「もう勘弁してくれ~~」と思ったことはなかった。
そんな私に嫌な顔ひとつしないで必死で看護してくださったIさん、本当に感謝です。