ようこそ!みよし福音キリスト教会へ

埼玉県入間郡三芳町にあるプロテスタントの教会です。
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6/23は講壇交換でした

2024-06-25 16:38:00 | 御言葉



本日の主日礼拝は、上水めぐみキリスト教会との講壇交換により、吉村直人先生に宣教のご奉仕をしていただきました。

上水めぐみキリスト教会は私たちの教会を継続的にご支援いただいている教会です。本当にいつも尊いご支援を感謝しています。

「むなしい聖書の読み方」と題しましてメッセージをしていただきました。

聖書箇所: マルコの福音書7章1〜13節

パリサイ人たち、エルサレムからきた律法学者たちがイエス様のもとで、イエスの弟子のあるものたちが、洗っていない手でパンを食べているのを見る。そして、なぜ弟子たちは汚れた手でパンを食べるのかとイエス様を非難した。

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「なぜ、あなたのでしたちは、昔の人の言い伝えによって歩まず、汚れた手でパンを食べるのですか。」 
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パリサイ人や律法学者達が問題視したのは宗教的な汚れであった。当時、昔の言い伝え、食事の前に手をあらう、からだをきよめる、食器や寝台を洗いきよめるなど、昔から受け継いで固く守ってきたことがたくさんあったからだ。

それに対してイエス様の答えはとても厳しいものだった。

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「「この民は口先で私を敬うが、
その心は私から遠く離れている。
彼らが私を礼拝しても、むなしい。
人間の命令を、教えとして教えるのだから。」
あなた方は神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを固く守っているのです。」

またイエスは言われた。あなたがたは、自分たちの言い伝えを保つために見事に神の戒めをないがしろにしています。

モーセは、「あなたの父と母を敬え」、また「父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない」と言いました。

それなのに、あなたがたは、もし人が、父または母に向かって、私からあなたに差し上げるはずの物は、コルバン(すなわち捧げ物)です、というならー」と言って、

その人が父または母のために、何もしないようにさせています。

このようにしてあなたがたは自分たちに伝えられた言い伝えによって神の言葉を無にしています。そしてこれと同じようなことを、たくさん行っているのです。」
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汚れ、きよめについては旧約聖書で語られていたこと。神様は聖い方、人には皆罪があり罪を持ったまま神様に近づくことはできない、神様にそのまま近づけば死んでしまうので死なないように汚れをきよめることについての律法が与えられた。

しかし、年月が経つにつれて神様に対して熱心であり真剣であったのに神様の前にきよさを保つには、〜した方が良いのでは?という論理が幾重にも言い伝えられ、その言い伝えが神様の言葉をむなしいものにしてしまった。

例えば、聖書に父や母を敬えとあるのに父や母を扶養するためのお金を神へのコルバン(捧げ物)といって面倒を見ることからまぬがれることができる。聖書の言葉の抜け道をつくっているのである。

イエス様はその事を指摘し、自分たちの文化や習慣によって神様の言葉を無にしたと言ったのである。

それでは聖書の抜け道を作らないようにするにはどうしたらいいのか。

私たちにできるのは聖書の言葉にまっすぐ向き合うことである。聖書の言葉は極めて現実的で困難を感じる。私たちにとって痛いところ、示されたくないところをついてくる。

私たちが抜け道を作ってしまうのは、聖書の言葉が難しいと思ってしまうから聞き流したり、解釈によって受け止めやすくアレンジしてしまう。
それは読んでいるけれども虚しい聖書の読み方になっている。

私たちを創られ、愛している神様は私たちが抱える問題を棚上げするのではなく、問題を解決して、神様との関係を回復してほしいと願っている。弱い私たちに愛を持って回復させようと、もう一度立ち返るように救い出そうとしているのである。その招きに応じるには抜け道を作らず聖書の言葉をまっすぐ聞くことである。愛しなさいと言われたら「はい、愛します。」赦しなさいと言われたら「はい、赦します。」延べ伝えなさいと言われたら「延べ伝えます。」そのように私たちが歩むことができるように私たち一人一人に聖霊なる神様が与えられている。今もともなってくだっている。聖霊なる神様が私たちを燃え立たせていつもイエス様に目を向けることができるように信じていきましょう。
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礼拝後は吉村先生を囲んでの楽しい愛餐会がありました。このように神様の御手の中での出会いを感謝します。祈りあい、助け合うことができることはなんで幸せなことでしょう。

吉村直人先生、上水めぐみキリスト教会の皆さん、ありがとうございます。
















 

あじさいオープンチャーチ

2024-06-09 18:04:00 | 御言葉



6月9日はあじさいオープンチャーチ(伝道礼拝)がありました。今回4年前に稲垣博史先生に宣教のお願いをしておりましたが、コロナ禍でずっとできなかったのです。この度実現できたこと、本当に感謝、嬉しい限りです。

メッセージは「必要なことは1つだけ」と題しましてルカの福音書10章38〜42節からイエスの話に耳を傾けるマリアの姿から宣教していただきました。

イエス様一行を迎え入れたマルタとマリアの姉妹、一生懸命、もてなそうと準備をしているマルタ、それとは正反対に、イエス様の足元で話を聴き入っているマリア。

マルタはイエス様にマリアが手伝いもしないでイエス様の話を聴いていることを文句を言います。当時の社会では女性が教師の足元で話を聞くことは非常識なことであるとされていたのです。

しかし、イエス様は文句を言うマルタを優しく諭します。

「しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

自分の人生において何が一番大切なのか、マリアはそれを知っていたのです。

人間は皆罪人であり、的はずれな生き方をしています。いろいろなことに心を惑わされる私たちですが、イエス様は弱い私たち、魂、全存在をそのまま受け止めてくださいます。

私たちが信じる方は神の子キリストです。何が一番大切なことなのか考え、その御言葉をいつも信じていけますように。


礼拝後は稲垣先生とともに愛餐のひと時をもちました。
稲垣先生、宣教のご奉仕をありがとうございました!




















喜びをともに

2024-05-12 16:00:00 | お知らせ

教会では母の日に喜ばしいことが重なりました。兄弟姉妹が喜びをともにするということはなんと幸せなことでしょうか。
久しぶりの愛餐会もとても楽しいものでした。全てを神様に感謝します。





かたばみの花言葉

2024-05-11 17:42:38 | 知ってる?キリスト教あれこれ





春になりカタバミがあちこちで綺麗な花をさかせています。管理人はこの小さな花が大好きです。小さな子供たちもこの花を詰んだりするくらい身近な花ですよね。

黄色、ピンク、白、他にも檸檬色の大きな花のカタバミもあります。

教会にもカタバミが咲いていますよ。カタバミの花言葉、ちょっと気になって調べてみました。そうしたらびっくり!
キリスト教と関係のある花言葉があったんです。もともとカタバミの葉は(英語ではシャムロック)その3つの葉からキリスト教の三位一体の教義と結び付けられていたそうです。


花言葉① 「喜び」
 
イースターの頃に咲くので復活の喜びから。フランスやスペインではこの花のことをハレルヤと呼ぶのだそうです。

花言葉②「母の優しさ」

イエス・キリストの母マリアの優しさからでしょうか。


花言葉③「あなたと共に」


イエス・キリストと共に生きるという意味で。イエス様は私たちと辛い時もどんな時もいつも共にいてくださいます。ですから私たちもイエス様と離れずにともに歩みたいですね。


カタバミの葉もハート型で可愛いし、花も可憐です。雑草だなんて引っこ抜かないでくださいね。


イースターおめでとう!

2024-04-01 01:29:00 | 御言葉
イースターおめでとうございます!

今日はイースター礼拝でした。春らしい良いお天気に恵まれました。このような日に主の復活をお祝いするのは嬉しいことです。

今日のメッセージは牧師先生のお祈り、病の中にある人、困難の中にある人、とりわけ戦争の中にあり酷い苦しみの中にいるその人々のためにお祈りから始まりました。

礼拝メッセージはマタイの福音書28章1〜15節から。「あなたがたより先にガリラヤに」

主イエスの復活の喜びを一番最初に聞いたのはその時代において立場が低かった女の弟子達であった。なぜ彼女たちだったのか。それは主イエスに対しての愛と信仰は男性の弟子達以上であったから。(イエスが捕らえられた時、男の弟子達はみんな逃げ出してしまった。)

そして御使いはイエスが墓の中にいないことを認識させると同時にイエスが以前に言っておられた旧約の時代の約束を思い出させ、「イエスは死人の中からよみがえられました。そしてあなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこでお会いできます」と弟子達に伝えるように言われた。

それは弟子達と共にこれから先も人々に、あらゆる国の人に伝えることになる。

その時彼女たちは恐ろしくはあったが大いに喜んで急いで墓から立ち上がり.弟子たちに知らせようと走っていったとある。

その後、復活された主イエスご自身が彼女達の前に現れ「恐れることはありません。行って、私の兄弟達に、ガリラヤに行くように言いなさい。そこで私に会えます。」と言われる。

復活の知らせは弟子全員ではなく先に信じて聞き従うものが信じていないものに証言するという形を取られた。

なぜガリラヤなのか。ガリラヤは主イエスと弟子達が出会った地。

イエスの弟子ではないと否んだり、逃げて閉じこもっていた弟子たちに対しての信仰の原点であったガリラヤで主イエスと出会い主とともに再出発をしようという愛と赦しのメッセージが込められている。

もうひとつは、低く小さき者を用いて御業を行い、それによってご自身の栄光を現すため。

しかも、主が先にガリラヤに行き彼らを待っていると言ってくださった。

一方番兵たちから報告をうけ、祭司長、長老たちは兵士たちに多額のお金を渡して「弟子達が夜やってきて、我々が眠っているうちにイエスを盗んで行った。」ということにするが、

それは矛盾だらけで、
・本当に寝ていたのなら誰が盗んだのかわからない。
・墓の番をするための番兵なのに眠ることなどあり得ない。
・墓の前の巨大な石を誰が動かしたのか)
このような矛盾が返って復活が本当のことであるということを間接的に証明してしまった。

このようなお話でした。感謝です。😊

礼拝の後、グループに分かれての祈り会があり近況を語りそれぞれお互いのために祈りました。

その後は楽しいお茶とお菓子の時間。

牧師夫人から御言葉カードが入ったイースターエッグのプレゼントがありましたよ。

皆様にも主の祝福が豊かにありますように!