満ちるは桜。

好きなものを書いてる普通の人日記。

月曜日はじまり。

2020年12月08日 02時18分00秒 | A.B.C-Z
今日は月曜日だし早く帰ろう。
なんて思っていたのに、普通に遅くなった。
ちなみに、火曜日はラジオだから早く帰ろう。
水曜日は中間日だし早めに帰りたいなぁ。
木曜日は金曜日がまだあるし早く帰るか。
金曜日は早く帰るべきでしょ〜!

と思っている。

土日は、子供の頃はスーパーに行きたがる子供だった。
どっかに行きたい!→イトーヨーカドーとか、
大きいスーパー位しか知らないので行きたがる
という図式である。
父にねだってスーパー行きたがって、
時々アイス買ってもらって喜んで食べてた。
今だったら多分イオン行きたがる子供になったと思う(笑)。
今は土曜日動いて日曜日は休みたい。
そしてもっと頻度が低いのが外食で、
出来た時は何てラッキーなんだ!と思っていた。
今は時期的には難しいけれど、
それでも、外食が楽しみだなぁ、という瞬間は残っている。


自分比で遅くなったー!
とか思って帰ったのだけど、
「何でじゃー!」と思うこともあったのだけど、
とりあえず、ひとつごと読んでみた。
あとWiNK UPの戸塚くんのアイドル調査?みたいなやつの受け答え、良き。
そして、愛って…みたいなのはわかるけど、
その境地行くの難しいな。

ここから戯言なんですけどね。

戸塚くん変わってるというか、
キャンプでの奇跡とか、面白いなーって。
基本的に戸塚くんは面白い人だと思ってるんだけど。
かっこいいし。
何考えてるかわからない時とかもあるけど、
ファンだし全部は見えないしなぁ。
そんなにプラベは変人なんだろうか?
個人的にはですよ、
「それは誰?どういうことー!」
って返す人はいると思うんだよ。
そこで「は?」ってなってビミョーな空気…
で終わらない人だっているわけで。
それとも最初の返答もダメなのだろうか?
多分、いろんな人のいろんな反応とか、
色々経験してきたことから思う色々があるんだろうなぁ。
戸塚くんは戸塚くんのまんまで全然良いのにね。
なんかあったのかな。
でもこの断片を見せてもらって、
なんかあったのかな、みたいな心配ができるのもさ、
やっぱ戸塚くんからの何かがあればこそなんだなぁ、と。
心配すらできないんだよなーって。
多分、生きてるし、頑張ってるんだろうな…
みたいな漠然とした祈りしかできないわけよ。

なんかなー。

戸塚くん見てると「変って何なんだろ?」と思う。
具体的に何してたらそういう空気?になるのかな。
そこまで言われちゃう程なの???

ってなるんだよね。難しいね。

もっと戸塚くんの事知りたいなー。
って結論なるよね。好き。
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思い出す日

2020年12月08日 01時40分00秒 | ブログ
祖父のことを書く。

祖父の事は好きだった

祖父と孫という距離感だったからうまく行ったのもあると思う。

祖父は仕事人としてのプライドがある人で、
自分はすごい技術を持っていて、
その技術を理解して使える頭があるからこそ、お金を稼げていたと話していた。
私が幼い頃は雑貨屋さんをしていて、
祖父の家に行くとよくコーラやファンタを貰って飲んでいた。
老後は煙草を売っていたし、
それだってちゃんと考えて仕入れていたようだし、
体調が相当悪くなるまで、ずーっと一人で自立して暮らしていて、
老年で金銭的に厳しいという事もなく、
金銭的に私よりずっとしっかりしていた。
自分がどうにかなった時に金銭面で迷惑はかけない。
そう思っていたからだろう。
年老いてからも他者と関わりを持つ人で、
老人クラブを通して色々人と会っていたと思う。
争いは笑顔で遠ざけるようにしていた。
趣味だってしっかりあったし、その為の名前だって持っていた。
コレクションは膨大で、部屋を埋め尽くしていた。
港町にいながら魚が苦手で肉が好きな人。


月日が経つのは早いもので、
年始のカメラロールに写っている人が年末にいないのが当初信じられなかった。
すごい悲しかった。

戸塚くんの誕生日は有給を取っていたのだけど、
祖父のお見舞いに行った。
その日、病院の窓から見えた曇り空をよく覚えている。

その時に、生きてるって何なのだろうと思っていた。

私が気付いた時は祖父は入院していた。
その数日前まで祖父が転んだから病院一緒に行くんだ、
なんて話を母から聞いていたのに、病院行ったら急転直下で次の日即入院。
それから、祖父はずっと眠っていたのだった。
お見舞いというと響きは良いけど、
祖父が回復する見込みは無い。
行ける時にせっせと会いに行くことが、
いつかくる終わりの日を待っている気がして、
自分は性格が悪いのだと思った。
幼い頃見た祖父の姿とは異なる姿を見ながら、
病室に響く呼吸音を聞いていると、
こんなので生きてるって言えるのだろうか?
と思っていた。
目覚める事はなくて、ただただ眠っている。
生きてるって何なんだろうと思った。
その日は突然やってきて、
前日会った最後の身内は私だった。
明日もまた来るからね、なんて声がけして、
次の日、私は行く前に呼び出された。
あんなに、眠る祖父に生きるって何なんだと思っていたのに、
その姿を見たら、
生きてるって生きてるんだ
としか思えなくなって、苦しかった。
圧倒的に違うその差が、悲しかった。

と、同時に、
祖父でこんなに悲しいだなんて、
親がいなくなったら耐えられないのではないかと思った。

祖父と特別仲が良かったわけじゃない。

大型連休や夏休みに会いに行って、
毎回毎回同じ話を聞いて、
でも、好きだったんだよ。

おじいちゃんにはおじいちゃんの世界があって、
私には私の世界があって、
時たま会って話をして、それで良かった。

まとめられないなー

すごく大切

本当はお誕生日に書きたかった
けど、ここまですらまとめられなくて無理だったよー
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