成瀬仁蔵と高村光太郎

光太郎、チェレミシノフ、三井高修、広岡浅子

成瀬仁蔵と国府津(その2)

2014年06月27日 | 歴史・文化
 国府津は、丹那トンネルが開通し、東海道線が熱海まで延伸するまでは、鉄道の拠点であった。国府津駅が始発の御殿場線は、その名残りである。
 成瀬仁蔵は、その人生の最後の暮れと正月を、支援者である森村市左衛門の国府津別邸に滞在、大晦日には隣の大隈重信別邸に避寒に来た大隈重信と近くの丘に登っている。
 温暖な国府津は、別荘に適した地として、早くから栄えた。写真の絵葉書は、大正時代の国府津駅で、富士山が左後方にみえ、駅の手前が海方向であり、駅の後方には丘陵が帯状につらなり、森村別邸や大隈別邸はこの丘陵の麓に所在した。
 駅前の人々が大正時代にしてはモダンであるのは、国府津が政財界人の避暑地であるからで、駅前にはタクシーが客待ちをしていた。
 成瀬仁蔵は、暮れもおしつまった大正7年12月29日、午後3時に国府津停車場に到着、汽車賃1円70銭、荷物は駅前の運送屋に頼み、仁科節と女中のおつるさんを従えて、徒歩で森村別邸にむかっている(「仁科節日記」)。
写真は、大隈重信の国府津別邸である。駅からほど近いところにあったが、現在は分割され戸建て住宅の町並みになっている。大隈は、広壮な早稲田本邸のほか、国府津別邸、軽井沢別邸などを所有していた。
 

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