Chan-de-lier(シャンデリア)のギタリストのBlog

私は生まれて来なければいいと思っていました

2024年04月13日 21時37分43秒 | 日記
いきなりどうした!




あ、いや最近、Netflixで三度目の殺人という映画を見てな。そのセリフだよ。

僕は病んでいないぞ。


それで、これ2019年にテレビで放送された時に初めてみた作品で、つまりこれは2回目の視聴になる。

作中に表題のセリフが出てくるのだけれども、ネタバレにもならないようなセリフだから引用させてもらう。


さて、実はこのセリフの続きに

でも、こんな私でも誰かの役に立つことができる。


というのがあるのだけれども。




ちょうどその時はアドラー心理学等の心の健康も学んでなくて平凡に暮らしていたからか、もう精神的にはまだまだ不安定だったように思う。

2018年に少し疲れて精神的にまいっていて自殺を考えたりすることもあったりで、仕事には復帰したものの、まぁ自尊心みたいなのは低かったように思う。



で、ダラダラ何年も仕事して寝ての繰り返しで、まぁそんな中で自分は平凡な人間だったし、その日暮らしっていう感じで生きて来ていた。




まぁ本題の前に言っておこうと思うけれど、これから書いていくことを踏まえて僕はだからといって今の自分に満足しているわけではない。という前置きを言ってから続ける。


数年前に仕事で部署が異動になったりしたのだけれど。

いろいろ理由があって。



何かいろんなことに苦しんだり、悩んだりした後の決断でもあったのだけれど。





詳しいことはある程度伏せるけれど、



僕の中で職場をどうにかしたい、と思う事がその時結構あって。ちょうどそんなことを考えたりしてたタイミングでもあった。

その、いい人ぶるつもりはないのだけれど、もともと善人ぶったことを言うのは好きなタイプだったし、かといってまぁ汚ないことは無視してきたから矛盾しているのだけれども。

結局あんまり積極的なタイプでもなかったから出世願望も全くなかったし、意識だけで行動なんてできてなかったと思う。




まぁそんな話をしながら

そう、

平凡な人間だった僕は、別に力などはなかったのである。



ただ、そんな中、仕事を続けるうちに

誰かの役に立っているのかもしれない。と思えるようになったのである。



人はそれを自意識過剰とか自己満足とかいうのだが、

まぁ、心理学の勉強をしたりしたうえであえて言おう。


自己満足でも自意識過剰でも
それは健全な他者への貢献感である。

という考えがあることを知ったのである。




つまり僕は承認欲求などを求めているわけでもないのだが

貢献しているとは勝手に思っているのである。




つまり、私は誰の役にも立たない人間だと思っていたのだけれど

そんな私でも誰かの役に立つことができる。




そんなことを思ったというところからこの映画のセリフは何度聞いても良い。



多分死ぬまで自分を前向きにする言葉だと考えている。



あの時死ななくて良かったなぁと今は思っている。



かといって自分の幸せも大事だからまだ今の仕事の課題はたくさんある。
それに自分が結果を出せるかは


分からない。