Step forward one step!(夢の実現へ)

新たな「夢の更新&実現」への一歩を踏み出す息子!

母校

2018-06-02 | 息子

小学校から始まり

中学校 ⇒ 高校 ⇒ 大学 と

かつて身を置いた学び舎を 「母校」 と呼ぶ。。。

きょうは、

息子の母校=高校時代について語ります

 


の度、

高校水泳部で長年 顧問を務められていた恩師が

「定年退職」をされる・・・ということで

OBをはじめ 多くの方々が集ってパーティが開かれる とのこと。。

それが 本日のこと!


懐かしぃですらぶ②

息子が水泳を始めたのは、単なる基礎体力作りの一環!

しかも 週1しか通っていなかったので、

何度も

  「もう一日増やしませんか?」

  「選手コースに入りませんか?」

と SC(スイミングクラブ)からお誘いを受けたものの、

当時は、「競泳」という競技の世界に頓着がなくて

週2のコースに切り替えたのは、

息子が一人でも通える状況が整ってからのこと。。。


本人の意欲が出てきて 選手コースに通うようになったのは

小学校4~5年生の頃のことで、

そのころの競技大会を観戦していて気づいたことは、

「体型」の違い苦笑


同年の選手でも、そこに至るまでの練習量が異なるので

息子は未だ「競泳選手」の体型にはなっていなかったあせる


れでも、

小6の時には県でトップになって しばらくは上位を占めていたので

所属SCのコーチたちの期待を集めてはいた苦笑

そういう時期があったからこそ。。。

SCの競泳選手コースで

毎朝(4:30スタート)の練習 ⇒ 登校 の利便性 を優先して

地元ではない SC近くの公立中学校に通うこととなり、

全中(全国中学校水泳競技大会)にも出場したのでした。。

 

 

て、話は戻りまして

今回退職される高校水泳部の顧問の先生とは、

高校(=母校)水泳部へのお誘いを受けたことからのご縁でした。

中学校から高校へ・・・という進路は

どの家庭の親子にも 様々な迷いがあるものです。

わが家としては、

「たまたま」と言っては不謹慎かもしれませんが・・・、

「水泳」を始めて「競泳」に転じたのも 「たまたま」のことであり

「始めた以上は、納得できる期間は継続する」という 原則の中で

「中高一貫」という概念が高まった時代の中で、

その期間を「競泳」に打ち込んできました


当然! やるからにはどの競技選手も高みを目指します!

息子も! 

まず個人選手として 県大会 ⇒ 全国大会 を 目指していました。

それは! あの 萩野公介くん や 瀬戸大也くん他の

東京オリンピックを目指す競泳選手たちもまた、

当時はまったく同じ一選手でした。


息子の結果は、

団体での全国高校総体出場ではありますが、

その体験も 多くの人がしていることではなく、

母校の高校水泳部であったからこそ 体験させて頂けた結果です。



中学~高校を決めるまでの話に戻ります

息子の高校(私立)は 偏差値(Aランク)の高い進学校ですが、

陸上部野球部水泳部は、県下の上位(常勝チーム)レベル⤴

入部したい選手も多くいるものの、

「学業重視」であるために、入れない・・・という学校。。

部活動としても

有望な選手に入ってもらいたいけれど

「学業が満たされない」選手は取らない、という校風で有名。

ですから、息子が母校=高校水泳部に入れたのは、

中学時代、厳しい競技生活(4:30からの朝練)の中でも

中学生としての学校生活全般に手を抜かずに努力をした結果らぶ②

そういう意味で、

中学校時代は さまざまな辛い思いを体験しましたが、

腐ることなく・・・、自分の意志で「文武両道」を貫いたからこそ

高校水泳部での体験に結び着いたのだ・・・と

親としては、息子を誇らしく感じる思い出の時代でもありますらぶ②

 

学業があってこそ 母校水泳部に入るチャンスを勝ち取った!

そして

他の競技でも「文武両道」で高みを志す友人らとの出会いがあり

それぞれの大学に進んでも尚、

未だに刺激しあって交流できる友人にも恵まれた・・・と。


OBには 同じSCの先輩も多いので 

きっと楽しい時間になることでしょうらぶ②


息子の「母校」は 本当にすばらしい

※どこぞの大学体育会部とは違う(>_<)




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