早川書房
ジャン=ルイ・エティエンヌ
1989年6カ国の隊員からなる南極横断の話です。
シャクルトン隊のように大ピンチも起こらず、
せいぜい人間関係のあれこれや犬ぞりを曳く犬の
不調くらいが事件でした。
それでも、マイナス47度なんて想像もつかない世界で
温度が高くても(マイナス24度とか・・・)ブリザード
だったり、とにかく私の想像を超える気象条件に
読んでいるだけでも憂鬱になってきました。
言い換えると、シャクルトン隊が無事南極大陸について
いたら大変なことになっていたんじゃないかと思いました。
なにしろこのチームは途中の食料も前年から準備してあって、
そのうえ後半は、雪上車に先導してもらって
均した雪の上を進んだんですからね。
準備も装備も違うシャクルトン隊が大陸横断できるわけ
ないなという気分になりました。横断成功はシャクルトンに
捧げられてましたが。
また、1989年ってまだソ連があった頃で、
けれどGPS携帯とかはなさそうで、少し前なのに
すごーく前のような気がしました。
それから当時の海部首相からも横断成功の暁にはお祝いが
届いたそう。日本でこんなニュースやってたかな?と
思いました。私が知らなかっただけ?
ジャン=ルイ・エティエンヌ
1989年6カ国の隊員からなる南極横断の話です。
シャクルトン隊のように大ピンチも起こらず、
せいぜい人間関係のあれこれや犬ぞりを曳く犬の
不調くらいが事件でした。
それでも、マイナス47度なんて想像もつかない世界で
温度が高くても(マイナス24度とか・・・)ブリザード
だったり、とにかく私の想像を超える気象条件に
読んでいるだけでも憂鬱になってきました。
言い換えると、シャクルトン隊が無事南極大陸について
いたら大変なことになっていたんじゃないかと思いました。
なにしろこのチームは途中の食料も前年から準備してあって、
そのうえ後半は、雪上車に先導してもらって
均した雪の上を進んだんですからね。
準備も装備も違うシャクルトン隊が大陸横断できるわけ
ないなという気分になりました。横断成功はシャクルトンに
捧げられてましたが。
また、1989年ってまだソ連があった頃で、
けれどGPS携帯とかはなさそうで、少し前なのに
すごーく前のような気がしました。
それから当時の海部首相からも横断成功の暁にはお祝いが
届いたそう。日本でこんなニュースやってたかな?と
思いました。私が知らなかっただけ?
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