ちょこっと、息ぬき。

「いきいきと、生きていたいね。」

いきいきと、生きていたいね。(7) 

2006-03-02 17:13:49 | Weblog

 まず、文系であった私が就職してする仕事を思い浮かべてみたら、研究・開発ではなくて企画・運営・営業であることは間違いありませんでした。

 

  「物を売る営業という仕事をするにしても、自分が本当にすばらしいと思っていない商品を『これはすばらしいですよ』などと人に勧めることはつらいな。」と思いました。『これはすばらしいですよ』と言わないまでも、自分自身が惚れ込んでいない物の売り上げを上げることに力を注ぐのは虚しいと考えました。

 

  でも仕事をして給料をもらい、得た金銭で物品や食料を購入して生活するということは生きていくためには必要なことなので、あんまりこだわりすぎたら自分が苦しくなるしそういう意味では考えが甘いのかなとも感じていました。

 

  でも自分の気に沿わないことをして40年も50年も過ごすのは非常につらいことだということは自分の気持ちの中には非常に大きくあったので、多少収入が少なくても納得のいく仕事を選ぶことにしました。妥協しないで。

 

  そのように考えて調べていくと、医療・福祉という分野に行き当たりました。その中でもいろんな仕事があったのでどれにするかが今度は新たな課題となりました。

 

  このようなことを大学3年の頃に考えていたはずなのですが、その年をどのように過ごしたかははっきりとは覚えていません。ただ、この年の5月初旬にバイクに乗っていて転倒し意識を失って救急病院に運ばれました。丸2日意識がなかったため、主治医は駆けつけた母親に「このまま意識がもどらないかもしれません。」と告げられたという経緯があります。

 

  幸運にも3日目に意識が戻り1週間か10日ぐらいで退院することができましたが、長い間寝ていたため筋力がかなり低下しており、歩いていても少し強い風が吹くと風が向かうほうに自分も進んでしまうほどでした。ですから、学校にはおそらく6月に入ってから行きだしたと思います。

 

  満員電車に乗ることがあんなにもエネルギーの要ることであるとはそれまで気づきもしませんでした。体力が落ちていたため、電車に乗ることが非常に怖かったです。その影響で必修の体育の単位も取得できないこととなり、4年生になってから1年生に混ざって履修することとなりました。

 

  この入院が影響したのか、なにか模索していたのか、3年という時期は過ぎ去ってしまったようです。