チャンネル桜二千人委員会栃木県支部ブログ

二千人委員会栃木県支部は、頑張れ日本!栃木県本部を応援しており、彼らの活動報告もこのブログ上でさせていただいてます。

桜ゼミ 『未だに拭えない東京裁判史観』 東條由布子 先生

2011-02-23 00:23:55 | イベント
講師 : 東條由布子 先生
演題 :「いまだに拭えない東京裁判史観」
日時 : 平成23年2月20日(日)午後2時から
場所 : 栃木県護国神社(護国会館)



東條先生の簡単なご紹介

1939年5月20日生まれ 東條英機氏の御令孫にあたります。NPO法人環境保全機構 理事長であります。環境保全機構の事業として、南洋諸島における遺骨収容活動と三ヶ根山における慰霊事業をなさっています。また、作家としてもご活躍されており、代表的な著作物に『祖父東條秀機「一切語るなかれ」』『大東亜戦争の真実』があります。

※一方的に連合国側視点に偏って伝えられてきた大東亜戦争(太平洋戦争)史ですが、上記の書籍は戦後マスコミが伝えてこなかった大東亜戦争(太平洋戦争)史が書かれています。当時の状況を考察する上での価値の高い内容であり、日本の近現代史に興味をもつ方々には必読の書に加えるべき書籍です。



当日、護国会館の会場は、多くの幅広い年齢層の方々がお越し頂きました。東條先生の講演は、優しい語り方が印象に残り、東條先生のやさしいお人柄を感じました。

最初に、日本には未だに拭えない東京裁判史観があり、それが日本の多くの人達に影響を与えている事による問題を、先生が取り組んでいる南洋諸島での遺骨収容活動と三ヶ根山の慰霊事業の実体験を交えて話して頂きました。

遺骨収容活動について

・パラオのペリリュー島で平成8年から遺骨収容活動を始めた。

・遺骨収容活動は、かつて遺骨収集活動と呼称していたが、「収集」という言い方はご遺族の気持ちを傷つける言い方なので、現在は「収容」という言い方に統一しつつある。

・当時のアメリカ海兵隊の人達の協力もありご遺骨の埋まっている場所の特定が行われた。

・パラオは人口2万人にみたない小さな島々の国だが、未だに4000~5000人の方々のご遺骨が埋まったままである。


未だに収容されない多くのご遺骨

・驚くべきことに、大東亜戦争(太平洋戦争)が終わり60年以上経つにも関わらず、113万人の方々のご遺骨が収容されていない。

・その事に対して、政府やマスコミは極めて冷淡である。

その背景は

・結局、政府自体があの戦争をどう見ているかという事

・「あの戦争は軍部が国民を引き摺り込んだ悪い戦争なのであり、軍人達は国民を戦争に引き摺り込んだ。国民は日本の軍部の被害者であり、なんでわざわざ遠くまで行って、侵略戦争の手先になった兵隊の骨をなんで収容するのだ。」・・などと朝日新聞なんか堂々と書いていたほど亡くなった軍人に対し冷淡であった。

・そういう感性で日本人は戦後過ごしてきた。だから戦後何年もたっても、未だに113万ものご遺骨が収容されていない。

東條先生のお話をお聞きして、私達は、戦後長い期間経つのに、祖国日本の為に戦い亡くなった多くの軍人さん達のご遺骨が、未だに113万ものご遺骨が収容されていない・・・という事に驚きました。




続いて、戦後作られた「日本は悪い事をした国」というイメージは誤りである事を具体的な説明を交えて話して頂きました。

日本は軍部が暴走しアメリカに戦争を仕掛けたというのは誤りである事がアメリカの情報公開の文章で明らかになったとのことです。

下記の通り戦争を回避しようとしていた日本

・東條英機氏をはじめとする日本政府は、ギリギリまで戦争を回避しようと努力していたが「こんなモノを突きつけられたらルクセンブルクでも戦争を決意する」と言わしめたハルノートによって、日本は追い詰められた。

パールハーバーを利用したアメリカ

・真珠湾攻撃は、日本のだまし討ちと言われているが、アメリカ側は日本側の攻撃がある事をあらかじめ知っていながら、現地ハワイの艦隊には知らせずにいた。若者を戦場には送らない事を公約していたルーズベルトは、アメリカ国民に対日参戦を決意させる為にあえてハワイにいる艦隊の海軍将兵を犠牲者にした。(その事により、ルーズベルトは死後に遺族から殺人罪で告発された。)

・これらは、アメリカの情報公開で確認する事が可能である。

先生のお話をお聞きして、少しでも早く、大東亜戦争(太平洋戦争)における日本に対して、日本人自身が戦後植え付けられた東京裁判史観から脱却し正しい見方ができるようになってほしいと思いました。

また、東條先生が伝えた東條英機氏のご家族に対する細やかな愛情は、マスコミなどが伝えてきた「日本を戦争に引き摺り込んだ人物」というイメージとは異なり、一人の人間として「国を思い家族や周囲の人々を大切にする人物」であったと感じました。

東條先生のお話は、上記の紹介した話以外にも広く多岐にわたりましたが、先生の日本を思う強いお気持ちが伝わってくる講演でした。

後日、動画にてアップされますので、ご覧になって頂けましたら幸いです。

桜ゼミ 特別企画 『大東亜戦争の原因、その他』 松本公男 先生

2011-02-23 00:13:00 | お知らせ
演題 : 大東亜戦争の原因、その他
講師 : 松本公男 先生(元防衛省統合幕僚学校教官)
場所 : 護国会館 
日時 : 平成23年2月13日(日)午後2時から



今回は、栃木県議会議員増渕賢一先生に司会をしていただきました。

前半は、航空機からみた大東亜戦争ということで、技術面からのお話をしていただきました。

尾翼の重要性の例として、B-29の主翼ではなくて尾翼を攻撃すれば、すぐにバランスを崩し撃墜できた例を挙げられました。主翼は燃料タンクであり、一見弱点のようですが、セルフシーリングという弾が貫通してもタンクを覆っているゴムで自動的に穴を塞ぐ機構になっており、攻撃しても撃墜できなかったそうです。


 夜間飛行が大変危険な行為であり、基準である水平線が見えないため、ジャイロ無しで飛行すると平衡感覚を無くし墜落された方がいたそうです。そのための対策として、敵機を追跡すべきサーチライトを水平線の代わりに水平に並べさせてほしかったそうです。

 当時は物不足により、まともなオイルがなかったため、ヒマシ油を使っていたとのこと。アメリカに運ばれた日本製の機体にきちんとしたオイルとハイオクガソリンを入れたところ、680km/hの世界一の速度を記録し驚かせたそうです。

 また、B-29が墜落した場合も考えて、航路上に救出用の潜水艦が置かれていたそうです。

後半の大東亜戦争の原因では、古くは中国の羅針盤と火薬の発明が遠因だとお話しされました。満州事変、海軍と陸軍の不仲の原因は、成り立ちや文化の違い等々についても述べられました。