
両親が他界した。
チェロを弾いて聞いてもらった3日後に父が逝き、そのちょうど7日後に母も。
父の葬儀の時に母を見舞った時は、私のことをやはりもう認識できなかったし、父が逝ったことも、当然わかっていないようだった。
けれど、父の葬儀を終えた日の明け方、うつらうつらしていると、「もう疲れたから、いいわ」という母の声が聞こえた。
「そうだね、いいんじゃない」と返した。
正確に言えば、親の死に目に会えなかったことになるが、心の準備をしつつ、何度か顔を見せられた。
彼らと話ができた時期にEのことも紹介できたので、心残りはない。
従姉妹たちに言わせると、「ふたりとも安心したんじゃないの?」
安心して旅立ったのであれば、何よりだと思う。
夜、爪を切ると親の死に目に会えないんだよと、祖母がよく言っていた通り、そうなったが、半分はそうなればいいとも思っていた。
弟は葬儀についてのあれやこれやを全て取り仕切って、2回とも喪主を勤めてくれた。
親の葬儀でも香典を包むことも知らなかった世間知らずの姉ちゃんは、母の際に「今度は用意するよ」と申し出たら、香典返しの数が足りなくなるからという理由でやんわり断られたので、かわりに甥っ子たちにそれぞれお小遣いをあげることでチャラにした。
親の場合だから、許してもらえると思う。
弟は2親等以内だけの家族葬を想定していたけれど、遠くに住んでいる従姉妹たちに知らせたら来てくれた。
子供の頃は親類一同が集まる冠婚葬祭が好きだった。
似たような顔つきの親類たちが集まる機会は、自分のDNAを確かめる機会でもあった。
何年かぶりに甥っ子たちに会って話をしながら、アタシはどんな伯母さんに見えるのだろうと思ったりした。
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