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映画『私のちいさなお葬式』を観て

2019年12月13日 | アート

ロシアにも「終活」があるとは思いもよらなかったので、彼の国の国民も高齢化問題で大変なんだなあと同情を寄せていました。そこまでグローバル化が進み、世界中が均質化しているのだろうかと思いながら劇場に向かいました。


大きな湖、鬱蒼とした森林。そんな風景が広がるロシアの片田舎に生きている主人公エレーナ、元教員、73歳。画面に吸い込まれるように見ていると、やがて彼女の住む家が映し出されます。大きいけれど老朽化した住居は侘しさを隠せません。
勝手に、あのセカンドワルツの「第一軍用列車」の時代の開拓地の現在の変わり果てた姿ではないかと想像してしまいました。あの若々しい時代から時は流れついに終活の波がかつての開拓村に寄せているのか、と。

しかし、様子は違うようです。「終活」などと生易しいものではなく、エレーナは本気で葬式を計画するのです。へそくりを配分し必要な物品を調達し、手続きまで済ませてしまいます。そこは元教師の手際の良さを見せるのですが、周囲は大変。元生徒たちや善良なお隣さんたちを巻き込んでのドタバタに展開していきます。ほとんどロシアン・ジョークかと思えるような乗りで終活は整っていきます(笑)。

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自分の命がもう残り少ないと悟ったエレーナは単なる終活であってはなりませんでした。
彼女のひとり息子は村を出て、今ではビジネスに超多忙でほとんど故郷には帰ってこない。母親が倒れても面倒くさそう。病院からエレーナと家に着くや否や仕事優先とばかりに高級外車で戻って行ってしまう。
もはや、もらった鯉しか話し相手がいなくなった今、誰にも迷惑をかけずにとっととこの世から去って行く。これがエレーナ先生の目標になったのです。

あのロシアの大地、風が湖面を渡っていくパースペクティブ。それ自体が遠い青春への挽歌のようでもあり、誰もが迎える最後の時への前奏曲でもあると言いたいような描写です。
開拓時代が情熱の時代であったのであれば、この映画の時代は黄昏の時代と言えるでしょう。挿入歌はいみじくもザ・ピーナッツの「恋のバカンス」ロシア語バージョン。この曲は60年代にロシア(ソ連)でも大ヒットしたそうです。「あの頃」を代表するような曲、ということなのでしょう。

過去の輝きとは反対に年老いて消えていく現実とどうしても向け合わなければなりません。
教室の可愛い生徒たち、詩の朗読、自慢の夫...エレーナの青春時代は遠く消えようとし、最愛の息子はほとんどビジネスに逃避しているようにも見えます。
それぞれの情熱が近づいたり遠ざかったり、交差したり途切れたり。人生には何とすれ違いの多いことか。親の心子知らず、親孝行したいときには親はなし。ああ、思い当たる節がいくつも。


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大人の寓話という部分もあってふんわりもしているこの映画で泣いたり笑ったりした後で心に残ったのは、単なる「終活」に何の意味があるのだろうか、という疑問でした。幸せな去り方、幸せな送り方とは何だろうかと、改めて考えさせられた作品でした。考えても仕方がないのではありますが。

『私のちいさなお葬式』(原題:Thawed carp)
監督:ウラジーミル・コット、脚本:ドミトリー・ランチヒン、音楽:ルスラン・ムラトフ
配役:マリーナ・ネヨーロワ(エレーナ)、アリーサ・フレインドリフ(リュドミラ)、エヴゲーニー・ミローノフ(オレク)他.
2017年、ロシア映画、カラー、100分.


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