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映画『ノマドランド』を観て

2021年05月24日 | アート


ノマドとは遊牧民のことで、土地に縛られず自由に移動する誇り高い人々というニュアンスがあると思うのですが、最近のアメリカでは行き所のない高齢者がキャンピングカーなどで各地を、それも辺鄙な場所を転々とすることを言うようです。ノマドの意味が逆転しているか皮肉に聞こえます。動かざるを得ない人々、と。

スクリーンに映る風景を見ていると改めてアメリカは広い、かなり広いのだと自分に言い聞かせました(笑)。岩山や砂漠が見渡す限り広がる風景は見慣れた日本の風景とは異質ですが、荒々しさが美しいのだと気付きました。人家もなく看板もなく人の気配が感じられない景色。別の天体のような無機質なあっけらかんとした世界です。どこにでも植物が茂り田んぼがあり水気が多く霞のかかる日本的な風景とは真逆です。

アメリカは自動車の国でもあります。どれをとってもアメリカン・サイズ。セダン然り、キャンピングカー然り。ビッグサイズの車でアウトドアを走る国です。フォード然り、ジープ然り。だから、その中古車も多いのでしょう。ノマドの高齢者が乗るのもそんな流れの車のようです。
年寄りなのに大型車を乗り回す。狭くて屈曲の多い道路ばかりの我が国とは全く異なる道を高齢者が行く。歳なので免許返上という世界ではなさそう。自動車がノマドにも必需品。贅沢か。クルマは惜しみなく奪う(笑)。
かなり昔のことですが、アメリカの若者は免許を取ることで移動の自由を取得し、それが一人前になる第一歩などと聞いたことがあります。自由の証が車なら死ぬまで手放せないということでしょうか。乗り物との一体感も生まれてこようというものです。


マクドーマンドが演じるファーンは工場の閉鎖により勤め先と家を失い、白いヴァンに生活道具と先立った夫の思い出を詰め込んで町を出ていくことになります。荒野を走り続け車で野宿する現代のノマドの暮らしが始まります。追い出されたり、差別されたりもします。僅かな年金では暮らせないのでキャンプ場を転々とし臨時の仕事にありついて食いつなぎます。
次第に、同じ境遇のノマド達とも交流が始まりますが、距離を置く彼女でした。彼女は、静かに、しかし強く生きていこうとします。どことなくですが、ワイエスが描いた肖像画を思わせます。小市民的なぬるい世界、汲々とした親族、さらに大切であったはずの過去にも別れを告げて一人荒野を行く彼女。白いヴァンはもう彼女自身のようです。

キャンプ場に泊まりながら稼ぐのは楽ではありません。安定して稼げるのはアマゾンでの単純作業。巨大企業あっての賃稼ぎ。その背景にあるのは「豊かな」生活。黄色で覆われた無機質な作業場は人工的な砂漠にも増して荒涼としています。その中で商品であるパッケージと格闘して生活の資を稼ぐ。チャップリンのモダンタイムスのほうがよっぽどマシだったのではないかとも思わせる光景です。

静かな映画でした。時折流れるピアノ(音楽はルドヴィコ・エイナウディ)が一層の孤独を感じさせます。荒野を行く白いヴァンのシーンでは牧水の「白鳥は...」の歌を思い出してしまいましたが、それは日本人の私が多分に情緒的だからなのかも知れません。
抗うのでなく、セオリーでもストーリーでもなく、静かに染み込んでいく旅と人生。その静けさの中に、成功者だけを描いたアメリカ映画の別の視点が見えてきたように思えました。

『ノマドランド』 原題:NOMADLAND
アメリカ映画、2020年、108分
監督/脚色/編集:クロエ・ジャオ、製作:フランシス・マクドーマンド、ピーター・スピアーズ他
出演:フランシス・マクドーマンド、デヴィッド・ストラザーン、リンダ・メイ、スワンキー他
原作:ジェシカ・ブルーダー(『ノマド;漂流する高齢労働者たち』)


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