セブ島移住者の本音トークⅡ

セブ島でNGO活動に従事する管理人が、フィリピン人家族との奇妙な生活や、現地での国際交流について語ります。

近況報告から...

2011-05-19 | フィリピンの文化・風土・風習

しばしご無沙汰してしまいました。

前回の投稿から、既に2週間が経過してしまいましたが、その間、僕は、こちらの里子(奨学生)たちが、夏休み中(*)で、偶々、里親さん方の御訪問が重なり、各種イベントを精力的に、こなしておりました。(*こちらの盛夏は3~5月前半で、4~5月にかけては、一学年終業後の長期休暇となり、6月から新学年・新学期がスタートします)

そんな形で、こちらも日常業務からは離れた動きをしており、遠くはマニラへまで出張するなどしておりまして、久々に、色んな再発見(?)が多かった期間にて、子どもたちへ、こうした機会をプレゼントして下さった里親さん方には、感謝の気持ちで一杯でおります。

こうした機会がありますと、非日常というスチュエーションの中で、里子たちの本当の姿が良く見える事、それに、緊張感が薄い中で、色んな本音なども聞く事が出来るので、
以後の活動に、かなりのプラスになるのです。また、今回は、既に、大学を卒業して、職に就き、自立している元奨学生(里子)たちの参加もあり、彼らの住まいを訪問する中で、彼らの卒業後の家族の暮らし向きなどを知り、更には、同行していた後輩職君(現役の里子・奨学生)にも、‘勉強を頑張ったら、こんな可能性もあるんだ’…と言う、実例を見せて上げられて、本当に良かったと思います。(…プライバシーの問題もある上、以前の状況が分かる画像・写真も存在していないので、画像の公開は敢えてしませんが、就学中には、食うや食わずの暮らし向きだった彼らの生活が、ここの標準よりは、ずっと高く安定した収入を得られた事で、住居の増改築をしたり等々の目に見える変化がありました。それでも勿論の事、日本の標準には及ぶべくもありませんが、彼らの中で、まず、目指すところは、‘そこ’ではないかと...)

...そして、こうした行事は、僕一人ではハンドルし切れない為、ウチの嫁も参加するのですが、彼女は、こうした奨学生たちに、年齢的にも近いし、勿論、同じ文化・言語背景を背負って育って来ている為、奨学生たちも、結構、フランクに話がし易いようで、こうした中で、ウチの嫁から、上がってくる情報と言うモノも、非常に重要なのですね。

さてさて、ここからの御話は、ちょっと番外編的なモノになりますが、こうした交流の中で、そろそろ、お年頃になった、里子グループの女子から、嫁に対して、

 『日本人との結婚生活って、どんな感じですか?』

…と言った類の質問が幾つかあったようでして、中には、もう少し、突っ込んで、

 『奥さん、権兵衛先生は、何でも御願いを聞いてくれますか?』

…なんてモノもあったようで、嫁の方は、

 『ウチの旦那は貧乏だから、‘何でも’って訳には行かないわねぇ~』

…と、ちょっと茶化しながらも、本音タップリに答えたようです...(苦笑)

...そう言えば、これに似た話で、今度の6月から、ウチの長女は、日本で言うところの幼稚園の年長組になるのですが、昨年、入園した直後に、ウチとしては、結構無理して入れた、某私立大学附属の幼稚園には、僕なんかより、余程、‘羽振りの良い’比人の父兄がゴロゴロといる訳でして、新しくお友達になった、アリアナちゃん(仮名)が、何だか、ガジェットを一杯持っていて、ウチの娘に、

 『マキちゃんもパパに買ってもらいなよ』

…なんて言うのを、ウチの娘が、

 『それは、無理よ。ウチには、そんなにオカネが無いから...』

…なんて、返したと聞いて、ちょっと苦笑いしたモノでしたが...

...実は、こうした、ちょっとしたやり取りの中に垣間見えるのが、日比結婚(…と、言うか、比人女性と先進国男性との結婚)の実態ってヤツでして...

これまでも繰り返し、同じような事を述べて来たと思いますが、基本的に、庶民層の比人女性が、日本人を含む外国人男性との婚姻に及ぶのは、多くの場合は、経済的事情に拠るモノであり、ある種の‘ワリキリ’があるので、年齢差も関係ないって事になるようです。

そんな中で、ウチの嫁とか、娘とかの発言は、カナリ、レアなモノだと思われますが、反面、これで、同居8年以上になりますが、それでも、結構、仲良くやっておりますし、それは、取りも直さず、(僕が、他の日本人とか外国人に比べて経済的に豊かではないという事が嫁にも受け入れられ)精神的な繋がりが出来ていると言う事であり、僕は、寧ろ、好ましい事と捉えております。(笑)

...まあ、そんな事はどうでも良い事で、もう一点、この、“何でも言う事を聞いて貰えるか”…と言う質問に見え隠れする、比国の文化背景なのですが、実は、これが、比国の問題の全体を投影しているとも言えるのですね。

前回の投稿のタイトルを、‘事の善悪...’としましたが、この中で述べました、

1.自分にとって都合の良い人=良い(善い)人

2.自分にとって都合の悪い人=悪い人

…という2点が、ここにも懸かって来る訳でして、例えば、子どもを育てるに当たって、子どもが訳も分からずに、“あれが欲しい、これが欲しい”というモノを例え、経済的に余裕があったとて、何でもかんでも際限なく、買い与えるような事をしたら、どうなるかって事を、日本の皆さんだったら、分かって下さる事だと思います。

…が、比国の状況を見ておりますと、そうした事が良く理解されていない傾向が強くて、例えば、貧困層から頑張って、立ち上がって、中流層までに生活を改善した比人たちに多く見られる事なのですが、その家庭の子どもたちが、肥満体になってしまっている場合が非常に多いのですね。

…で、そうした御両親に御話を伺ってみますと、

 『僕らは、食べる物すら、まともに無くて、何時も御腹を空かして辛かったから、子どもたちには、何でも腹一杯、
 食べさせてやりたい』

…と言う答えが、ほぼ例外なく、返ってきます。

まあ、こうした御両親には、貧困という体験が、‘悪いモノ’として捉えられ、一種のトラウマになってしまって、その反動が、子どもに出てしまっている訳ですね。(また、この国では、‘食えない人’が大多数を占める中で、痩せている子は、‘貧相に見える’とした考え方もあって、こうした肥満が大きな問題として捉えられていない傾向があるのも確かですが...)

このようにして、良い(善い)悪いと言うのも、実は、カナリ主観的なモノであり、絶対の基準にはなり得ませんから、何とも言い難い部分はありますが、結局、言えるのは、比人にしろ、日本人にしろ、‘バランス感覚’ってヤツが大事なんじゃないか…そんな風に思っております。

しかし、こうした事を説いて理解できるだけの素養をもった人と言うのは、日本人と比人を比べた場合、その文化背景の違いもあって、日本人の方が圧倒的多数になると思われます。

...そして、実は、僕が、比人学生を支援するに当たって、成績他を見ながら、選抜する理由は、そこにもあって、何か問題が起こった際に、こちらがアドバイスをする中で、それをちゃんと受け止めるだけの素養とか柔軟性があるかないかをも見ているのです。

まあ、そんな風で、ウチの女房に、‘僕が何でも御願いを聞いてくれるか’と質問した女子には、成長の過程にある中で、止むを得ない部分もあるのですが、やはり、折に触れて、何らかの御話はして行った方が良いのかな…そんな感じがしております。当然、この子には、それだけの素養があると僕は判断しているのですから...




*
次回以降、また、今回のイベントの中での出来事他をボチボチと投稿して行く予定ですが、今回は、取り敢えず、こんな所にて、失礼します...


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