セブ島移住者の本音トークⅡ

セブ島でNGO活動に従事する管理人が、フィリピン人家族との奇妙な生活や、現地での国際交流について語ります。

事の善悪...

2011-05-05 | Weblog

今日のテーマは... ちと、厄介なところに踏み込みますので、読者の皆様には、まあ、‘権兵衛の戯言’くらいに捉えて頂ければ幸いです。

...テーマに挙げました‘事の善悪’と言う事については、多分、皆さん、普段は、そんなに深く考えず、どちらかと言えば、世間のあり方に沿うというか、(悪く言えば、迎合する形で)日々を暮らしているのではないかと思われます。

少なくとも、僕は、そうだったのですが、あれが良い(善い)これが悪いという判断を下す中で、ある日、ふと考えた事は、その判断の基準
元々、一体全体、何処に由来するものなんだろう...と。

何故、そんなところに思い至ったのかと言えば、それは、取りも直さず、僕の比国でのNGO活動の中やら、日常の生活の中で出会う、様々な問題からであり、ここセブに定住して、2,3年も経った頃に、結論付けた事は、人間の善悪の判断基準は、文化背景他によっても異なるのだと言う事でした。


例えば、最近では、カナリ少なくなって来た事ですが、時に、セブに出没する‘雲助タクシー’(要は、タクシー乗客に対して、規定の料金以上の請求をするドライバーたち)の事ですが、勿論、こうした輩のこうした振る舞いは、特に、チップ(心づけ)の範疇を超える、法外な(律かられた)料金となった場合には、国際的に見ても、‘悪’という判断をされましょうが、ここフィリピンでは、率直に言って、法律が軽んじられている背景(見かけ上は、憲法も法律も存在しているが、実質的には、法治国家とは言い難い実態)もあって、‘二つの判断基準’が生じてしまうのです。

つまりは、法的に、或いは、乗客の立場から見れば、こうした雲助行為は、明らかに、‘悪’ですが、例えば、それを働いた運転手が、家族を背負って、毎日、一生懸命に働いても、まともに食べて行くだけの糧を得られていない、或いは、病の妻なり、子どもなりを背負って、生活苦に喘いでいたような場合、こうして、法を犯してでも、家族の為に、‘エクストラ’の収入を得るお父さんは、家族にとっては、‘善いお父さん’になってしまいかねないのですね。

...日本的な文化背景からすると、こうした行為(法律・ルール違反)は、‘世間に顔向けできない行為’と見做され、人夫々、多少の差は、あるでしょうが、多くの場合、その当事者の家族が、“お父さん、御願いだから、悪い事はしないで”…と言う話になるんじゃないかと思われます。


また、ここからの御話は、先に挙げた問題とは、ちょっと質が異なりますが、以前、奨学生の関係で、偶々、知り合った、その近所の顔役の税関をリタイアした職員(故人)の‘奥さま’(未亡人)から、旦那さんの生前の悪行(汚職)について、堂々と、話をされ、驚いてしまった事がありました。

その時、僕は別段、その奥さまに、反論とかはしないで、単に聞き役に回っただけだったのですが、聞きながら、周囲を観察し、気付いた事は、確かに、彼女(その奥さま)が旦那の汚職に直接関与した訳では無かったのでしょうが、それでも、そうした不正の事実を知りながら、それを容認し、更には、それを背景にして、大変に贅沢な暮らしを送り、尚且つ、その時点で、旦那は亡くなっていた訳ですが、そうして不正な手段で得て蓄財したモノをベースに、彼女が、悠々自適な生活を送っている事を平気で吹聴していた訳で、また、
その奥さまは、その時、僕以外にも、周囲に、その奨学生の家族親戚などが居る中で堂々と、そんな御話をしていた中で、そこに居た他の比人たちも、そうした話に違和感を覚えたような様子も見受けられませんでしたから、比人たちの感覚は、僕ら(日本人)の‘それ’とは、明らかに違うし、そうしたモノが、この国で汚職が蔓延する、根本の原因なのだろう…と言う事でした。

...まあ、非常に低次元の御話にはなりますが、こうした御話の中で、唯一の救いは、その奥さまが、亡夫の為した事は、悪であるという認識をしていた事だけですが、それを容認して、贅沢三昧をして来た自分自身については、‘免責’だと考えていたし、周囲もそのように捉えていた事は間違いの無いところですね。

また、僕が、ここセブで卒業式等に参加する中で、各種のゲストスピーカー(地元の名士:勿論、比人)たちから、よく耳にする事には、善い比国市民’たるために、

1.家族に優しくあれ(良く尽くせ) 

2.良いクリスチャンたれ 

…この2点が強調されるのですが、こうした事柄を上記の事例に当てはめると、

1.手段はどうあれ、家族へ利益をもたらす事は良い事である。

2.社会に対する罪を働いても、教会へ足しげく通って、若干でも寄付をし、懺悔をし、常に祈っていれば全てはOK。
 そして、何でもかんでも、Forgiveness (赦し)という宗教用語を用いて、許せ許せ…と。

...そんな風じゃ、何でもやったモン勝ちで、悪事を働いても、償う事もなく、改める事も無く、教会で懺悔する事により、全て許されてしまって便利だなぁ…そうした解釈にも成り得るなぁ... と、思ってみたりもするのです。(苦笑)

…こうした事について、以前、僕は、比国或いは、比人に対して、非常に批判的な考えを持っておりましたし、今でも、正直、こうしたモノによって、何らかの実害を被った際には、頭に来る事もありますが、頭に来たとしても、その場限りになりました。或いは、以前なら腹が立って仕方が無かった事でも、全く意に介さないようになって来ました。そして、何れにしても、ただ、もう、‘仕方が無いなぁ’という所に落ち着いてしまい、批判する気も起こらなくなりました。(苦笑)

結局、言える事には、ここに於いての善悪の判断は、

1.自分にとって都合が良い=良い(善い)

2.自分にとって都合が悪い=悪い

…こうした風に整理すると分かり易いかなって事で、そうしたスタンダードの違うところで、こちらの(彼らとは異なる日本のスタンダードを用いて)良いとか悪いとかの判断をする事は、如何に馬鹿馬鹿しいか…って事です。更に言えば、裁判などで争ったとしても、判決ですら、金で買う事が出来るような実態をして、善悪と言うモノの判断が本当に分かり辛く、最終的には、金と力のあるモノが勝ってしまうのかな…と言う感じですものね...
(と、言って、僕は、批判をしているつもりではありませんから、どうぞ誤解なさらないで下さいね。また、そうしたモノをヨシとしている積りでもありませんので...)

...要は、比人と日本人とでは、人によって差はあるでしょうが、一般的には、意識の及ぶ範囲が違うのであり、比人は、意識の及ぶ範囲が、精々、自分と家族に対して、損か得かで止まっているのに対し、日本人は、ちょっと、‘その範囲’が広がり、社会全体を考えた時に、社会に対して、善い事なのか、悪い事なのかにまで、意識が及んでいるのかな…と言うところです。

…が、僕は、比国のこうした状況を決して、日本の方がマシだと、馬鹿にする事は出来ないと言う思いを、
最近の日本の混乱振りを見て、強くしております。

例えば、今回の震災において、こうした非常時においても、略奪やら、破壊行為が起こらない、日本人の資質の高さが、世界中で報道・賞賛された裏で、実は、こうした他人の難儀やら、不幸をビジネスチャンスとして、必要な物資・サービスの値段を不当に吊り上げた、‘アキンド’の暗躍も、最近、伝え聞かれるようになりました。

まあ、僕は、こうした御話を聞くと、余り気分は良くないのですが、厳しい競争の中、普段、ギリギリまで値を落として商売をしているところで、こうした‘チャンス’を逃す手はない…と、そうした考えも理解できない訳ではありません。…が、これって、実は、先に挙げた、比国の‘雲助ドライバー’と、その質において、変わるところはなく、彼ら雲助ドライバーとて、金回りの良くない、比国の経済状況(比国全体の経済規模が、日本の広島県一県と、ほぼ同程度の規模)において、ギリギリの低料金で普段はやっているが(それも、日本のスタンダードに置き換えれば、それでよく生きて行けるな…というレベル)、偶々、カモさん(当地の事情がよく分からない外国人旅行客)がやって来た時には、‘ビジネスチャンス到来’とばかり、フッカケにかかる訳ですね。(苦笑)

…で、笑えてしまうのが、こうした日本の賢しいアキンドさんが、セブへやって来て、こうした雲助ドライバーに出会って、通常、300円の筈が500円の請求をされたと腹を立て、トラブルになった…なんて事も、実際に起こっております...

そして、話は変わりますが、今も進行中で、大変に気がかりな原発事故ですが、この被害に遭われた方々には、‘騙された’という思いは強い事でしょう。国やら、電力会社は、‘原子力は絶対に安全です’…と言い切り、カネをばら撒きながら、原発を推進して来た訳で、“まあ、大きな会社とか、国(権威を持った者)がそう言うなら”…と、信用したのが、見事に裏切られた感じですからね...

僕も、何も起こらなかった時には、何も考えなかったし、勉強もしませんでしたが、こうした事が起こって、初めて、強い関心を抱き、色々と自分でも調査して見たのですが、僕的には、結論として、原発なんて代物は、まだまだ人類の手には負えない…という所のように見ています。

...冷静に考え、そして、現在進行中の事故の様子を観察する時、非常にハッキリして来ることは、原子力(核)の災害と言う事については、人類史上、広島・長崎の原爆投下と、スリーマイル島・チェルノブイリの原発事故という限られた事例しかなく、机上で、好ましいデータ・数値のみを集めて‘安全だ’と言った所で、(これって、まるで、営業活動のようですが...苦笑)それには、事実の裏づけが乏しく、机上の空論でしかない…と言う事なんですね。それが、国とか大企業とか、それに飼われた御用学者’と言った、‘権威’に、人間はまんまと騙される訳です。

…が、こんな状況下での統一地方選の結果を見てみると、原発推進派には逆風が吹くかと思われたのが、実は、原発推進派の力が、一向に衰えていないという事なんですよね...

まあ、それと言うのは、やっぱり、原発を頂点とする、ある種の産業構造(カネの流れ)があって、その恩恵にあずかる人(それによって、‘利’が得られる人)には、やはり、‘それ’を手放す事は出来ないって事かと思います。

...僕のような凡人が、別段、エラそうな事を言う積りはないのですが、ここで、ちょっと考えたい事は、視点を変えると言う事で、この記事の冒頭でも述べました通り、比人が、自分とか、自分の家族とかにしか視界が及んでいない事に対して、日本人には、元来、社会全体とかにも、‘それ’を広げるだけの文化的バックグラウンドがあるのですから、それを、もうちょっと広げて、人類全体とか、もっと大きくは、地球全体(環境とか、他の生物への影響他)の事も考えられるなら、自ずと答えは見えてくるようにも思えるのです。

大変な時代ですが、頑張って行きましょう...

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