キリストのあかしびと 公教会の教父たち

公教会(カトリック教会)の諸聖人、教父、神父らの伝記を掲載していきたいと思います。彼らは、クリスチャンの模範です。

地獄に墜ちた者からの手紙 ◆12

2017-10-22 04:07:31 | 地獄体験談
ミカエル・モスカ神父訳『わたしは亡びた』、12

 偏った愛情ほど、人を神から引き離すものはありません。それからは、マックスを種にしてわたし自身を崇拝することが、わたしの宗教となっていたのです。その頃、わたしは、会社で、司祭や信心深い人、ロザリオ、償いけなと許しなどをけなして話していました。あなたは、いつもわたしを押し止めて、弁明していましたが、本当はどうでもよかったのです。ただわたしは、神から離れたことを正当化し、良心の呵責から逃れたかったのです。

 わたしは神に反抗していたのです。あなたは、わたしを信者だと思っていました。わたしもそう思われたかったので、教会維持費も納めていました。あなたの言葉は時にわたしの心を突き刺すこともありましたが、あなたの思い過ごしもあって、あまり効果はありませんでした。そしてあなたとの仲も、わたしの結婚をさかいに、後味の悪さを残しながら絶えてしまいました。わたしも結婚式の前には告解をし、聖体拝領をしました。でも、しきたりとしてそうしたに過ぎません。かれも同じでした。あなたたちは、このような聖体拝領を汚聖と言っています。でもわたしは、良心の呵責も感じなくなっていました。

 二人の生活は本当に幸せでした。かれは、ひとりぐらい子供が欲しいと言っていましたが、わたしはかれの考えを変えさせてしまいました。子供を育てるより、楽しく遊びくらしたかったのです。わたしたちの生活はずいぶん華やかで、楽しそうに見えていましたが、心からの安らぎはありませんでした。何者かに怯えて生きているようでした。わたしは、死ができるだけ遅くやってきて、死によってすべてが終わればよいと願っていました。

 子供の頃に司祭から聞かされた、「神はかならずよい行いに報いを与えられる」という話は事実です。来世でそれができなければ、この世で与えられるのです。突然わたしのもとに伯母の遺産がはいり、そのうえ、かれの収入も良くなったのです。わたしたちの生活は贅沢なものになりました。信仰は、わたしの生活になんの光も与えませんでした。町のカフェやドライブ先で泊るホテルには、わたしを神に引きつけるものは何もありませんでした。こういう所に出入りしているのは、わたしたちのように外から内を見ている人たちばかりでした。

 教会を訪れることもありましたが、それは芸術作品を見物するためでした。そしてそれらの作品の宗教的な香りを中傷し、案内人の修道者の物腰の貧弱さを笑っていたのです。こうしてわたしは、心の扉を叩かれる神の恵みを追い払ってしまったのです。わたしは特に、墓地や聖堂の壁にかかれている地獄の絵を、子供だましとばかにしていました。その絵には、悪魔が呪われた者の体を燃え上がっているかまどの中へ投げ込んだり、霊魂を地獄に引きずり込む場面が描かれていたのです。


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