聖マルタ St. Martha V. 記念日 7月 29日
ヨハネ聖福音書を見ると「イエズスはマルタとその姉妹マリアとラザロを愛し給いき」という言葉が記してある、この3人の兄妹についてたとい他に何の伝えがなかったとしても、これだけで既に彼等の類い希な恵まれた善徳の人々であることがわかる。何故というのに至聖限りなき天主の御独り子が愛し給う以上、悪人であるはずがないからである。しかしなお聖書にはいろいろの記事があって、マルタの実に立派な女性であったことを証拠立てている。
マルタは兄のラザロと共に、エルサレムに程近いベタニアに裕福な生活をしていた。彼女は極めて信心深く、イエズスの奇蹟の噂などを聞くにつけ、早くから彼を世の救い主と信じその後度々主の御訪問を受けるようになってからは、それをこの上もない名誉として喜んだ。そして伝説によれば、マグダラの別荘に住んで倫落の生活に身を持ち崩している妹マリアの上を常に心配して、その改心の為絶えず祈り、また主の御助力を願ったという事である。
その願いは首尾よく適って、マリアは主の御力により7つの悪魔を追い出され、生まれ変わった如く貞淑な婦人となり、間もなくかつては自分から見捨てた兄姉の許へ帰り、共々祈祷と償いの生活を送った。
かように兄妹そろって信仰の厚い家庭ゆえ、主はいたくその訪問をお好みになり、彼等の招きを受ければいつも喜んで応じ給わぬことはなかった。
ある日のことである、やはり主の御来臨をかたじけのうしたマルタは、嬉しさに身も心もいそいそとおもてなしの支度をしていた。ところがふと気がつくと、妹のマリアは主の御足許に座って身動きもせずにそのお話に聞きとれている。これを見たマルタの胸には思わず不平の念がむらむらと起こってきた。自分がこれほど忙しく働いているのに、手伝い一つせずのんきそうに主のお話を聞いているとは、妹もあんまりではないか・・・。そう思うと彼女は黙っていられなかった。いきなり主に向かって、「妹が私一人に仕事をさせて知らぬ顔をしているのを黙っておいでになるのですか。どうぞ私の手伝いをするように言いつけて下さい」と申し上げた。
マルタが晩餐の用意にまめまめしく働いているのは、イエズスをお喜ばせしようという愛の心から出ていることはいうまでもない。しかし主に対する愛の最大の徴は、全心を献げて主と共に居ることである。祈りや黙想が尊重され奨励されるのもその手段として価値があるからではないか。その大切な事を忘れては、いかに外見上華々しい活動も無意義と言わねばならぬ。イエズスはこの機会に右の重大な真理をマルタにはっきり教えたいと思われ容を改めて「マルタ、マルタ、汝はさまざまな事に気を遣うが、必要なことはただ一つしかない、マリアはその一番よい事をしているのだ。それをやめさせる訳にはゆかぬ」と仰せになった。それを聞くともとより怜悧なマルタであるから、すぐにその意のある所を悟り、その後はいかなる仕事を為す時も祈祷と黙想の精神を以て主と一致することを忘れず、一切をその聖手に委ねたのであった。
その信頼の深さと信仰の堅さとを物語る良き例証の一つを、聖福音書の中から選んで左に掲げれば、兄のラザロが重病に罹った時のことであった。マルタはイエズスの御許にわざわざ使いを遣って「貴方の愛し給う兄は今病臥しております」と知らせた。それはこう言い送ったならば慈悲深い主のこと故、必ずおいでになって治療して下さるであろうと考えたからである。けれども主はどうした事かいつになくその期待に反し、薬石効なくラザロの死亡してから、しかも葬式が済んで三日も経った後に、ようやく使徒達をつれてベタニアに帰って来られた。それと聞くとマルタは早速村はずれまでお出迎えして、涙ながらに申し上げるには、
「ああ、主さえここにおいでになりましたら、兄も死なずに済んだでしょうに。でも、貴方が天主様にお願い下さいましたら天主様は何事でも叶えて下さいましょう。」
何という厚い信頼であろう、主はその報酬としてもラザロを蘇らさねばならぬと思し召したに相違ない、「汝の兄は復活する」と力強く仰せになった。しかしマルタはその復活が今の事とは思わなかった。それで「はい、私は世の終わりに、すべての人が復活するとき、兄も復活することを知っております」と答えたが、主はなおも重ねて「私は復活である、生命である、私を信ずる人は死んでも生きるであろう。また生きて私を信ずる人は、すべて永遠に死ぬことがない。汝はこれを信ずるか?」とおっしゃって、新たに御自分の全能についての信仰と信頼をお求めになった。これに対するマルタの返答は実に天晴れなものであった。
「はい、主よ、私は貴方が活ける天主の御子キリストのこの世に来たり給うたものであることを信じます!」
この堂々たる宣言は、使徒の頭ペトロが人智に悟り難い御聖体の御約束を受けた後にした、あの信仰告白と好一対であるが主に治して頂こうという最初の期待を裏切られて、ラザロの死んで直後であっただけに、マルタの場合の方が一層賞賛に値するであろう。さればこそイエズスもその殊勝な心根をよみして、前代未聞の大奇蹟を行い、死して4日、既に肉体の腐敗しかけているラザロを蘇生させ、元の健康体にかえして下さったのである。
さてマルタは主の公生活中何くれとそのお世話をしていたが、いよいよ主が、敵の手中に落ちてカルワリオに引かれ給うた時も、妹マリアと御あとを慕い、その恐ろしい十字架上の御最期もお傍を離れず見届けた。そして御昇天の後は主の御為一層の熱意を以て働き、布教や初代教会の信徒の世話などをしたと思われるが、不幸にして歴史には確かな事が何も伝えられていない。ある伝説に従えばヘロデ・アグリッパの聖会迫害の際、捕らわれてフランスに流されたと言うが、終焉の地は不明である。
教訓
聖女マルタの信仰の堅さや信頼の厚さには、ただただ感嘆の外はない。故に我等も平生これらの点において彼女に見習うと共に、彼女に与えられた主の御誡めを忘れず、日々の務めを天主と一致する目的で果たすよう心がけよう。そうすれば仕事もまた一種の祈りとなり、それによって得られる主の御祝福は、蓋し計り知れぬものがあるに相違ない。
ヨハネ聖福音書を見ると「イエズスはマルタとその姉妹マリアとラザロを愛し給いき」という言葉が記してある、この3人の兄妹についてたとい他に何の伝えがなかったとしても、これだけで既に彼等の類い希な恵まれた善徳の人々であることがわかる。何故というのに至聖限りなき天主の御独り子が愛し給う以上、悪人であるはずがないからである。しかしなお聖書にはいろいろの記事があって、マルタの実に立派な女性であったことを証拠立てている。
マルタは兄のラザロと共に、エルサレムに程近いベタニアに裕福な生活をしていた。彼女は極めて信心深く、イエズスの奇蹟の噂などを聞くにつけ、早くから彼を世の救い主と信じその後度々主の御訪問を受けるようになってからは、それをこの上もない名誉として喜んだ。そして伝説によれば、マグダラの別荘に住んで倫落の生活に身を持ち崩している妹マリアの上を常に心配して、その改心の為絶えず祈り、また主の御助力を願ったという事である。
その願いは首尾よく適って、マリアは主の御力により7つの悪魔を追い出され、生まれ変わった如く貞淑な婦人となり、間もなくかつては自分から見捨てた兄姉の許へ帰り、共々祈祷と償いの生活を送った。
かように兄妹そろって信仰の厚い家庭ゆえ、主はいたくその訪問をお好みになり、彼等の招きを受ければいつも喜んで応じ給わぬことはなかった。
ある日のことである、やはり主の御来臨をかたじけのうしたマルタは、嬉しさに身も心もいそいそとおもてなしの支度をしていた。ところがふと気がつくと、妹のマリアは主の御足許に座って身動きもせずにそのお話に聞きとれている。これを見たマルタの胸には思わず不平の念がむらむらと起こってきた。自分がこれほど忙しく働いているのに、手伝い一つせずのんきそうに主のお話を聞いているとは、妹もあんまりではないか・・・。そう思うと彼女は黙っていられなかった。いきなり主に向かって、「妹が私一人に仕事をさせて知らぬ顔をしているのを黙っておいでになるのですか。どうぞ私の手伝いをするように言いつけて下さい」と申し上げた。
マルタが晩餐の用意にまめまめしく働いているのは、イエズスをお喜ばせしようという愛の心から出ていることはいうまでもない。しかし主に対する愛の最大の徴は、全心を献げて主と共に居ることである。祈りや黙想が尊重され奨励されるのもその手段として価値があるからではないか。その大切な事を忘れては、いかに外見上華々しい活動も無意義と言わねばならぬ。イエズスはこの機会に右の重大な真理をマルタにはっきり教えたいと思われ容を改めて「マルタ、マルタ、汝はさまざまな事に気を遣うが、必要なことはただ一つしかない、マリアはその一番よい事をしているのだ。それをやめさせる訳にはゆかぬ」と仰せになった。それを聞くともとより怜悧なマルタであるから、すぐにその意のある所を悟り、その後はいかなる仕事を為す時も祈祷と黙想の精神を以て主と一致することを忘れず、一切をその聖手に委ねたのであった。
その信頼の深さと信仰の堅さとを物語る良き例証の一つを、聖福音書の中から選んで左に掲げれば、兄のラザロが重病に罹った時のことであった。マルタはイエズスの御許にわざわざ使いを遣って「貴方の愛し給う兄は今病臥しております」と知らせた。それはこう言い送ったならば慈悲深い主のこと故、必ずおいでになって治療して下さるであろうと考えたからである。けれども主はどうした事かいつになくその期待に反し、薬石効なくラザロの死亡してから、しかも葬式が済んで三日も経った後に、ようやく使徒達をつれてベタニアに帰って来られた。それと聞くとマルタは早速村はずれまでお出迎えして、涙ながらに申し上げるには、
「ああ、主さえここにおいでになりましたら、兄も死なずに済んだでしょうに。でも、貴方が天主様にお願い下さいましたら天主様は何事でも叶えて下さいましょう。」
何という厚い信頼であろう、主はその報酬としてもラザロを蘇らさねばならぬと思し召したに相違ない、「汝の兄は復活する」と力強く仰せになった。しかしマルタはその復活が今の事とは思わなかった。それで「はい、私は世の終わりに、すべての人が復活するとき、兄も復活することを知っております」と答えたが、主はなおも重ねて「私は復活である、生命である、私を信ずる人は死んでも生きるであろう。また生きて私を信ずる人は、すべて永遠に死ぬことがない。汝はこれを信ずるか?」とおっしゃって、新たに御自分の全能についての信仰と信頼をお求めになった。これに対するマルタの返答は実に天晴れなものであった。
「はい、主よ、私は貴方が活ける天主の御子キリストのこの世に来たり給うたものであることを信じます!」
この堂々たる宣言は、使徒の頭ペトロが人智に悟り難い御聖体の御約束を受けた後にした、あの信仰告白と好一対であるが主に治して頂こうという最初の期待を裏切られて、ラザロの死んで直後であっただけに、マルタの場合の方が一層賞賛に値するであろう。さればこそイエズスもその殊勝な心根をよみして、前代未聞の大奇蹟を行い、死して4日、既に肉体の腐敗しかけているラザロを蘇生させ、元の健康体にかえして下さったのである。
さてマルタは主の公生活中何くれとそのお世話をしていたが、いよいよ主が、敵の手中に落ちてカルワリオに引かれ給うた時も、妹マリアと御あとを慕い、その恐ろしい十字架上の御最期もお傍を離れず見届けた。そして御昇天の後は主の御為一層の熱意を以て働き、布教や初代教会の信徒の世話などをしたと思われるが、不幸にして歴史には確かな事が何も伝えられていない。ある伝説に従えばヘロデ・アグリッパの聖会迫害の際、捕らわれてフランスに流されたと言うが、終焉の地は不明である。
教訓
聖女マルタの信仰の堅さや信頼の厚さには、ただただ感嘆の外はない。故に我等も平生これらの点において彼女に見習うと共に、彼女に与えられた主の御誡めを忘れず、日々の務めを天主と一致する目的で果たすよう心がけよう。そうすれば仕事もまた一種の祈りとなり、それによって得られる主の御祝福は、蓋し計り知れぬものがあるに相違ない。