マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年
49.ロザリオの信心
聖母に対する信仰をあらわす、いろいろの方法のうちにコンタツ(ロザリオ》は最も行い易く、緊要なることである。コンタツ(ロザリオ)を用いずとも、ただ、携さえて居るのみにても、聖母マリアの御保護をこうむるのである。
天使祝詞を反覆して唱うるは恰も聖母マリアの尊前に薫香、馥郁たるバラの花を撤布すも同様である。
「天使祝詞を一遍唱うれば、天国の銀行に、金貨一枚をあずけるのである」
と聖女ゼルツルダは観じた。
日曜日、聖堂に参詣する途中コンタツを唱うるのはまことに幸福なことである。御ミサに授かり、告解をなし聖体を拝領するたあの準備として、大いに有益なる方法であるからである。
「途中では心が散り易いから、ひとり祈祷をしても、天主にまでとおりはすまい」
と思う人が若しあるならば、心を散らしてもその祈祷は確かに功徳がある。
「途中の事情で知りながら心を散らして、コンタツを唱うるのは、唱えぬよりも殊勝なことである。」と予は断言する。
コンタツ(ロザリオ)を唱うる習慣あるものが之を廃止るのは、実に恐るべきことであり、コンタツ(ロザリオ)は我々の信仰の篤熱と冷淡との度数を示す寒暖計である。退屈、厭騙、誘惑に迷う憂は、決して無いものであるかもし不幸にして、コンタツを遠ざけて、迷いの道に踏み入ったものがあるならば、速かに告解を以って良心を深め、新らしき清き生活を始めねばならぬ。
聖母マリアに対する深き信仰をもった人が、ある時、重き病に倒れ看護する者にいう。
「我の病、ますます篤くなりていよいよ危くなりし時、あるいは確実に死んだのか、只昏睡状態に陥りたのかを知ろうとするならば、聖マリァの聖名を一枚の紙に書きて我心臓の上に肌直接つけて下さい。もし昏睡状態であるならば私が常に深く愛し奉る聖名の尊い御恩で蘇生るに相違ない。もし心臓の脈が無ければ、無論、この世を逝ったのだと思っで下さい」
読者よ、この美しい言葉の味を味わって、かの如く聖母マリアに対する深き愛の信仰を養われんことを希望します。