9月1日から3日は、旧暦の7月14日、15日、16日、つまりお盆(盂蘭盆)の3日間だ(2020年の場合)。
今では、「お盆(盂蘭盆)」と言えば「月遅れ(8月)のお盆」、ということが定番のようになっていて、本来のお盆(旧暦の7月15日=新暦の9月2日)というものは身近に感じられなくなっているどころか、ほとんど全く知られてさえいない、というのがホントのところなんだろうが、本来の「お盆」(旧暦の7月14日から16日)というのは、(太陽歴の)9月1日から3日のことなのだ。
同じく、七夕(7月7日)というのは、昨今は現在の太陽暦での7月7日であったり、月遅れの8月7日であったりするが、太陽暦での7月7日なんざぁ梅雨時の真っ最中で、織女星や牽牛星なんか、ほとんど見ることができない訳だが、本来の旧暦での7月7日っちゅうのは太陽暦での8月25日(2020年の場合)、月齢6.0、ということで、この時期、この「月の欠け具合」なら、2つの星に思いを寄せることは充分に可能だ。
日本では明治5年(1872年)の改暦(後述)までは「太陰太陽暦」を使用していて、2~3年に一度の閏月(うるうづき)、つまり13カ月目の月を入れて「太陰暦」のずれを「太陽暦」に合わせるという方法によって調整していたが、この暦、暦法というのは日本の気候風土や農業を中心とした生活とも極めて相性がよかったものだった。
改暦の前年の明治4年9月には、明治政府の役人の給料が「年俸制」から「月給制」に変更されていたが、2~3年毎に給料を13カ月分払わなければならないということが財政的に大打撃となるため、急遽、突然、即座に、「明治5年は12月2日で終わりとし、明治5年12月3日を明治6年1月1日とする。」との改暦詔書を出し、併せて、時刻法も従来の一日十二辰刻制から一日24時間の定刻制に替えることを布達した。
まぁ、たまたま、旧暦の12月3日がちょうど太陽暦の「元旦」に当たったという理由もあったので、無理を承知で強行した訳だが、結局、12月も2日しかないので12月分の月給は無し、ということで、財政再建を真剣に考えるなら、こういう「役人の給料をまず切らにゃぁなんねぇぞ」ってことを、おぃおぃ今の政府も歴史に学んだほうが良いぞぇ。
・・・というのは結果のひとつであり、改暦を急いだのは、明治維新(1868)によって樹立した明治政府が、富国強兵策の一環でいろいろと西洋の制度を導入しようとした過程の中で、否応なく暦も欧米との統一が急がれた、というのが最大の理由であった。
ところで、旧暦というのは「月」を基準にしているので、当然、毎月の15日あたりは「満月」ということになる。
この三箇日の夜の明るさは衆人を家から誘い出しても、会えば顔の判断ができるほどの明るさがあったので、格好の出会いの場となっただろうことは想像に難くない。
風の盆を語るときに、あまり「月」のことが出てこないようだが、「月がきれいですね」の世界だったであろうことや、「まちは劇場、通りは舞台」であっただろうことは疑いようもないだろう。
因みに、第1回目の「月見のおわら」が開かれた平成10年10月3日(土)は旧暦の8月13日。会場を照らす中秋の名月(十五夜)二日前の「十三夜」の明るい月の写真が翌日の新聞紙上を鮮やかに飾っていた。
余談だが、風の盆のPRの際、「人口2万人の小さな町に、10倍以上の観光客が訪れ云々」などと喧伝されるが、「人口2万人」というのは平成17年の合併時の八尾全体の人口のことであって、「風の盆」の主な舞台となる旧町部の人口は、現在2,000人を割り込みかかっている(「町丁ごとの人口世帯一覧」ファイルより)のが現実である。
昭和35年当時は8,000人ほどの人口があり、旧町部の面積がほぼ1k㎡なので、人口密度8,000といえば、現在の東大阪市なみの規模、という都会だった訳だ。「夢よもう一度」という訳にはいかないだろうが、出会いの場や仕掛けがいくつもあり、ヒトが定住して、住むことに誇りを持ち、生活しやすい環境のまちづくりをしていかないことには、世界に誇る伝統文化も発展どころか維持も困難となるのは目に見えている。
「月」の話に戻ると、電灯というものが無かった時代、「夜」というのは、それはそれは暗闇の世界、漆黒の世界で、我が幼少の頃も、街灯などは全く無かったので、夜道を歩くにはたいへんな思いをしたものだった。
見上げれば、晴れた夜には天の川がきれいに見えもしたが、星々の光くらいでは隣にヒトがいても顔などわかるはずもなく、話しかけて声を聞かなきゃ、オトコかオンナか、オトナかそうでないかもわからないくらいのものだった。
東京オリンピック(1964年)の頃から、じわじわと電気製品が巷にはやりだし、ところどころの電柱に裸電球なんかもお目見えするようになっていった。
それからの電気製品の普及には目覚ましいものがあり、「夜」が明るさに満ちているほうが当たり前の世の中となった。
そんな明るい夜が当たり前と思っていた矢先、約30年ほど前だったと思うが、誘われて能登は珠洲市にある「湯宿さか本」に宿泊したことがあった。
とにかく、「な〜んにもありません」と、主人の坂本さんが言っているように、テレビも空調も、電灯さえもなかった。
当時は喫煙していたが、暗闇でライターを着けたときの光がひときわ明るかったことが強烈な印象として残っている。
結局、何もすることがなく、フトンの中でしゃべっているうちに眠ってしまっていたが、何故か我が身を振り返る良い機会のようでもあったし、「光」というものをあらためて考えたり、テレビという媒体の功罪とかも見直した、という記憶がある。
何も無くても、不満もなかった。
なぜ、町を挙げての行事の名前が「風の盆」という、仏教行事でもないのに「盆」という字が付くのか。
「風」の部分については、時期的に「風よ治まれ」という意味が後付けされた訳だが、「盆」のほうについては、「盆と正月が一緒に来たようだ」というふうに言い回して、うれしいことや楽しいことが重なることのたとえとされているが、「盆と正月にはそれぞれ特有の行事があることから、一年のうち最もにぎやかで慌しい二つの日が同時に来るくらい、忙しくてにぎやかなこと。」という意味であり、単独でも「にぎやか」であることは間違いない。
つまり、日常とは違うハイな気分の日、ということで「盆」ということなのだが、「盆」には「にぎやか」とともに、抹香臭さもついて回るので、「盆」は「盆」でも抹香臭さのない「盆」だということで、古来、「廻り盆」などと称していたのであり、何故9月1日、2日、3日なのかというと、その日が『本当の「お盆」の期間』なのだから、ということになる。
(蛇足)注文もしてないのに、種らしき怪しい郵便物が届いた。迷惑千万なので受け取り拒否をしに郵便局に走った。
コロナ禍もそうだが、世界の迷惑、C国、K国!!