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つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

啐啄(そったく)

2019年02月10日 | 随想

 

」(そつ)とは、今まさに生まれ出ようと雛が卵の中から殻を破ろうとすること、「」(たく)は、親鳥が外からくちばしで卵の殻をつっつくこと(因みに、キツツキのことを啄木鳥(木を啄く鳥)と書く。石川啄木(本名「一」)のペンネーム。筆名の由来はつっついている音が好きだったからだという。)、その両方が一致する「得難い好機」のことを「啐啄同時」という。

 

」が、漢字ペディアでは「さ行」に入っているように、本来の読み方は「さい」であり、「そつ」と読むのは、実は慣用音である。

泰斗 安岡正篤は「啐啄同機(さいたくどうき)」という成句を用いているが、「同機」となれば機会(「最もよいとき」)となるので、こちらのほうが、より当を得た表現であることは間違いない気がする。

 

啐啄同時」の出典である「碧巌録(へきがんろく)」の第16則「鏡清草裏の漢」(「鏡清」という高僧と、「草裏の漢」(たわけ者)のやりとり)には、「同時」という言葉は出てこない。(ちなみに、リンク先の【私的口語訳】で紹介されている内容は適切ではないように思われる。「草裏の漢」とは「草葉の陰で生きている人」ではなく、「妄想の草の中に埋まっている『たわけ者』」というような意味であるが、どうも日本では使われていない言葉のようで、検索してもヒットすることがない。)

まぁ、その他にも「啐啄の機」という言い方もあり、大切なのは「同時」か「同機」かという言葉遣いではなく、「啐啄」のほうの意味合いなのだろう。

 

第16則「鏡清草裏の漢」原典を見てみると、「舉僧問鏡清。學人啐。請師啄。清云。還得活也無。僧云。若不活遭人怪笑。清云。也是草裏漢」とただ漢字をずらずら並べたようになっており(中国語だからしゃぁない・・・)、これが日本語(古語)に訳されたら、「挙す。僧、鏡清に問う、学人啐す、請う師 啄せよ。清云く、還って活を得るや也た無しや。僧云く、若し活せずんば、人に怪笑せられん。清云く、也是草裏の漢。」となる。

どこをどう読めばここまでの意味づけができるのかと呆れるばかりなのだが、浅学を晒すことになるだけなので、そのまま受け入れていく。

現代訳というか口語訳に言い換えると、

一人の僧が鏡清禅師の処にやって来て言った。「私は禅の修行を積んできたため、今や開悟の機が熟しています。老師、どうか1つ悟りを覆う殻をつつき破って悟りを開かせて下さい」、と。鏡清は言った。「そうか、つついてやってもいいが、お前さんの命は大丈夫かな。」すると僧は言った。「もし私が悟りを開くことができなければ、老師がかえって世間の笑いものになりますよ」。すかさず鏡清が言った。「このたわけ者め!」

禅の本(公案集)「碧巌録について」から引用した。もう少し解説すると、

訪れた僧は自分の修行に自惚れているが、問題は「悟りを覆う殻をつつき破って悟りを開かせて下さい。」と鏡清に頼み込んでいるところである。「悟り」は自己の問題であるのに、「師に殻をつつき破って悟りを開かせてもらう」という甘えと先入観にとらわれているところが問題。しかも、「もし私が悟りを開くことができなければ、老師がかえって世間の笑いものになりますよ。」などとタメ口をきいたりして、「このたわけ者め!」(師を恐喝するとはたわけ者だ!)と叱責されている。

 

中国の古典紹介ではよく使われる手法であるが、まず原文、次に和訳(いにしえの人が訳したので当然ながら漢字かな混じりの古文)、続いてそれの口語訳、それでもわかりづらいので意訳しての解説、と、ここまでやらなければ現代人(という弱輩の我が身)には理解できない。

 

碧巌録(へきがんろく)」のような公案集というのは、わかったようなわからないような禅問答を集めたもので、禅宗の中でも特に臨済宗で重んじられており、あの破戒僧「一休宗純」が臨済僧であることからして推して知るべしというものである。(作麼生(そもさん)/説破(せっぱ)で以前、少しだけ触れてみたことがある。)

なお、「碧巌録(へきがんろく)」第6則には雲門禅師の「日々好日(にちにち これ こうにち)」も載っている。一読の価値あり。

 

さて、ここまでが前置き、である。

 

啐啄同時(そったくどうじ)は、導く者と導かれる者の関係の大事さを説いたものだが、「」と「」の立場の人が固定している訳ではないだろう。親が子に教えられることもあれば、コーチが選手に学ぶこともあるので、いつもいつも「」と「」が成立するということでもないのでは、と浅学ながら感じる次第、である。

そこで、だ。(どこ、なんだろ?)

」を「」に見立ててみると、明治維新というのは、尊皇攘夷から始まった国内の危機意識の高揚という「」と、列強諸国の植民地支配の進展という「」がタイミングよく出会って実行されたものではないか、とも考えられる。

昨今は、自虐史観というか、被害者さま意識の高まりというか、少数派正義感というか、鬱積蔓延症候群というか、どうも2018年はせっかくの維新150という節目だったにもかかわらず、国民的な盛り上がりは全くといってよいほどに無かった。偉業を称えるよりも負の側面ばかりが横行し、ここはどこの国なんだろうと首を傾げたくなる風潮が横行しているのだ。まさに、降る雪や 明治は遠くなりにけり

他方、「」の段階にまで成熟していなかった未開民族に、「」をしてしまったのが、韓国議会から頼まれたとはいえ、韓国への日本の統治・投資だった、と言えるだろう。

お節介な「」は、結果としては乞食根性熊手性つけあがりの助長しかもたらさなかった。書名が気に食わないけど、「今こそ、韓国に謝ろう」の内容そのものである。

頼まれもしないのに、学校を建て教育を施し、ハングルを普及させ、山に植林し、鉄道を作り、河川、海の治水工事を行ったり、農地を増やしたり、工業を発展させたほか、下水がなく不潔な街を整えたり、貨幣を流通させたり、身分制度を破壊させたり、等々と、これらの事を当の朝鮮が頼みもしないのに勝手にやってしまったことを謝ります、という痛烈な皮肉を盛り込んだ書だが、なぁに、皮肉が通じるような相手じゃぁない。むしろ、「謝った」ということだけを殊更に喚き立てる連中だ。日本人とはメンタリティが根本的に違う。昨今のレーダー照射であらためてそれが証明された。あぁでなくっちゃ、朝鮮じゃぁねぇわな。

 

いわゆる男性向けゴシップ誌と呼ばれる「週刊実話」(週刊文春61万部、週刊新潮42万部、週刊現代40万部、週刊ポスト36万部についで業界5位)に、『ナチス・ドイツ』に併合されたオーストリアと、『大日本帝国』に併合された韓国の大きな違いという特集記事が載っている。

曰く、「韓国も少しはオーストリアを見習った方が、世界から尊敬される国になれると思う」・・・・日頃、日本はドイツを見習えというコリアの論調に冷や水を浴びせるような痛快さ溢れる記事である。

「韓国は1910年に当時の大韓帝国議会の賛成多数で日本への併合が決まった。」という指摘など、記事には間違ったことは書いてないが、敢えて異論を唱えれば、「尊敬される国になる」ような事態は金輪際あり得ないから。

 

さて、「」の右側は「」だが、「おわる」の意味の他に、「死ぬ。亡くなる。」という意味もあり、「卒去」という使い方をされる。「生」が「おわる」ことは「死ぬ」ということなので、まぁ、さもありなむとは思うものの、元号の変わり時だからなのか、「崩御」を思い出した。「平成」の世は昭和天皇の「崩御」によって始まったのだった。

 

連想して、「逝去」「崩御」「薨御」「薨去」「卒去」の意味や、遷化(せんげ)、入滅(にゅうめつ)、帰寂(きじゃく)、帰元(きげん)、滅度(めつど)と、仏教系の言葉が多いが、まとめたサイトが「亡くなる」の連想類語辞典。まぁ、あるゎあるゎ、想像以上。

(「死」についてコメントしたからといって、直面しているとか、近いとか、縁起でも無いとか、ではないので誤解なきように。あくまでも表現の多さについての話題の範囲。ただ、今回は前半部分で貼ったリンクに多少の邪気ありしことは認める。)