写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

五右衛門風呂、だったなぁ・・・

2014年08月02日 | 思い出

 

 

2014年7月31日の「越山若水」(福井新聞)から。

 

・・・杉は日本の固有種。木理が真っすぐで柔らかく、

脂気に富む優れもの。また樹皮は屋根葺きに、葉は

線香に使うなど用途も多様である▼子どものころ、

杉皮を屋根や腰板に使った作業小屋をあちこちで

見かけた。杉の実を集めては杉玉鉄砲にしてよく

遊んだ。そして子どもの重要な手伝いの一つが

杉葉拾いだった▼年配の人なら百も承知、お風呂を

沸かすときのたき付け材。杉葉は脂分を含み火を

付けるとパチパチとよく燃えた。もちろん五右衛門風呂。

踏み板を沈めてお湯につかった▼「杉落葉(すぎおちば)

見れば懐かし五右衛門風呂」。ネットで見つけたこの一句。

まさに遠き昭和の暮らしを彷彿(ほうふつ)とさせる。

ちなみに「杉落葉」は夏の季語である▼歳時記をひもとくと、

杉であれ樫(かし)や椎(しい)であれ、常緑樹には

「落葉」の季語がある。若葉青葉が茂り始めるころ、

古い葉は身を引くように落ちていく。何とも奥ゆかしい

世代交代。杉を見る目が少し柔和になった。

 

 

「たき付け材」としての 赤茶けた「杉葉」や、

「踏み板」を沈めてお湯につかった「五右衛門風呂」など、

いろいろ子供時代を思い出させるものだ。

 

  

 

五右衛門風呂(長州風呂)について解説してあるサイトででも、

風呂桶の下で直接、火をくべて暖めるため、風呂の湯自体が

「対流」を起こしていることが実感でき、しかも、常に温かい湯が

体に当たり、風呂釜の遠赤外線効果もあって、体が温かいまま

風呂から出られ、風呂上がりから暫くの間、カラダがポカポカした

ままだった、というようなことが書いてある。

 

 

 

 

その後、ボイラー式になると、呼び名も「風呂」から「バス」に

変わり、湯冷めすることも多くなったような記憶がある・・・。

 

 

子供の頃、

いつの頃からか、この「風呂焚き」を楽しむようになったが、

経験から思い起こせば、「たき付け材」としての「杉の葉」は

あまり役に立たなかった。

 

確かに、火を付けるとすぐにパチパチとよく燃え上がるのだが、

サッと燃えて、サッと燃え尽きてしまうので、薪にまで「火」が

移ってくれないのである。

 

 

薪に火を付けるには、材質は違っても、小さな木片のほうが

早く、安定した火にすることができた。

 

 

薪は、これも自宅に積んであった丸太を斧で割って用意するのだが、

こういう薪割り体験で、危険だと言われた「斧」の使い方も学んだ。

(これは、後日、野球の打撃にも役立ったような気がしている。)

 

  

 

 

薪は、いつも充分に乾いている訳ではないので、安定した火に

するために、「火吹き竹」で、「フーっ」と何度も息を吹きかけて

やらねばならなかった。

 

 

「火吹き竹」を使うことを、最初に親から教わったとき、子供心に、

ふと、「違うんじゃないの?」という疑問が湧いていた。

 

「吐く息って、CO2だろ? 逆に火を消すんじゃないの?」

 

というものだった。学校では、酸素を吸って二酸化炭素を吐く、と

学んでいたからである。(マウス・トゥ・マウスの人工呼吸にも

「CO2を吹き込めば、逆に死なせるんじゃないの?」と思ってた・・・)

 

 

実際には、「火吹き竹」で息を吹きかけるたびに、火は大きくなった。

 

(火吹き竹のしくみ)

周りの空気も一緒に注ぎ込む・・・

 

 

呼吸のときの成分も、実際には「酸素」が結構多いことも、あとから

知った。酸素を吸って、体内で生産されて吐き出されたCO2の

分だけは少なくなるが、それでも多くの酸素を吐いている訳である。

 

 

 

「火吹き竹」は「竹」でできているので、使い込むうちに焦げてきて

使い物にならなくなると、それを燃料にして、新しい竹で作り直した。

 

あくまでも、循環型の、環境にやさしい生活だった。

 

 

とにかく、この「風呂焚き」で、「火」の付け方、保ち方などの

知恵というか、テクニックを習得していった。

 

 

後日、キャンプ等では、いつの間にか、「火」の「番」を任せられる

ようになっていった。

 

ハンゴウでごはんを炊いたり、味噌汁とか カレーとか、

夜間の灯りというか、防御用というか、とにかく、

「火」を扱うのは、いつも任せられたものだった。

 

 

因みに、キャンプでは、「火」を付けるには新聞紙、片づけ用の

フキンの代わりに新聞紙、ティッシュの代わりに新聞紙、雨に

濡れたときのタオル代わりに新聞紙、濡れた衣服の下に新聞紙、

寝るときの保温用、暖房用として丸めた新聞紙・・・・と、

とにかく新聞紙は重宝した。必需品と言っても過言ではない。

 

 

くるくるっと丸めて「火吹き竹」のような使い方をすれば、

木炭なんかでも、着火剤を使うよりも早く火が付くもんだ。

 

 

昨今、元気な高齢者の登山とかがブームだそうだが、時折、

事故ったりしたニュースを聞く度に、「ああ、新聞紙を

持参してれば助かってたのに・・・」と思うことがしばしばだ。

 

 

 

「ご飯を炊く」といえば、これも「ガス釜」とかが出てくる前は、

「モミガラかまど」を使っていた時代があった。

 

 

今は、たぶん、捨てているだけ(と思う・・・)籾殻を燃料として

使うもので、なかなか「火」が着かないものだが、着いたとしても

なかなか大きな火にはならず、そのうちに一気に勢い良く

燃え上がってくるようになる。

 

 

ご飯の炊き方としては、

始めチョロチョロ中パッパ、ジュウジュウ吹いたら火を引いて、

赤子泣くとも蓋とるな、最後にワラを一握りパッと燃え立ちゃ出来上がり。」

というものがあるが、そのとおりの火の勢いを、自然にしてくれたのが

「モミガラかまど」だった。

(モミガラが足りなくなったときは両側の袖から注ぎ足した・・・)

 

 

どんな仕組みかというと、これがまた、いろいろな部分が、単に

順に上に乗せていってあるだけ、というものだったが、こういう

単純なところにこそ、デザインというか、「機能美」というものを、

子供心に感じていたものだった。

 

 

便利で快適な環境にはなったが、

こいう、昔の人たちの生活の知恵を、今の若い人たちや

子供たちに、どこかで体験させてやれないものか、とも思う。

 

不便だったけど、味があったような・・・