写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

AT車

2013年11月03日 | 思い出

 

GT-R も F-1 も

 

 

Windows の世の中になってからは、

使いやすくなった分、好きなようにマシンをカスタマイズする

楽しさがなくなり、一時、PCというものがつまらなく感じた時期もあった。

 

と、因果関係 では書いたが、

 

マイクロソフトも敏感にそのあたりを察知していたらしく、

Windows 95からは、必ずインターネットエクスプローラ

バンドルして販売するようになっていった。

 

インターネットを かじり出した頃は、どちらかというと、

ネットスケープナビゲーターが主流であり、用語とかも、Bookmark が

一般的だったのだが、IEがFavorite(「お気に入り」)と呼びだしたときにゃ、

正直、ズッコケたね。「お花畑」みたいで・・・

・・・もうちょっと気の利いた言葉がなかったもんかいな。。。

 

それでも、

「Windows + IE + MS-OFFICE」 という抱き合わせ販売に

時流が あれよあれよと乗ってしまい、いつの間にか、

ネスケも、ロータス123も姿を消し、一太郎も青息吐息である。

(なぜ「青」なのか調べておこう・・・)

 

かつては、ネクラとも呼ばれたパソコンユーザーだったが、

「パソコンとは、マウスでアイコンをカチカチすれば何でもできるもの」と

いうイメージが定着し、今では「ユーザーであることが当たり前」となって、

逆に、

「パソコンが無かった時代は、どんなふうに仕事してたの?」と

聞かれるようなありさまの世にまで なってしまった。

(ネクラの一部は、ネ申 と呼ばれたりもした・・・)

 

 

 

そこで思い出したのが、AT車

 

PC/AT互換機のATではなく、

オートマチックトランスミッション(Automatic Transmission)の AT。

 

 

出始めた頃は、

「あんなもの、運転がヘタな者か、自信がない者が乗るものだ」

というイメージや風説が定着しており、クラッチ操作と、

ギアチェンジにこそ運転の醍醐味がある、とされていたものだった。

 

 

極端な者は (実は自分自身のことだが・・・)、

クラッチを踏まずに、速度とエンジンの回転数を合わせるだけで

ギアチェンジをするところを見せつけて、同乗者を驚かしたり、

 

あるいは、エンジンブレーキをきかせるために、ダブルクラッチで

一度、空ふかしをしてエンジンの回転数を上げてから1つか2つ、

ギアを落とし、その滑らかさと制動力の強さに、

「い、今、何したの?」と 感心させたりして楽しんでいたものだった。

 

時速40kmほどのときに、ローギアに入れて、わざと「キィキキーーッ!」と

大きなきしみ音を出してみたり (100km/hのときに ローギアに入れて、

ガツンっ という音とともにミッションをズタズタに壊してしまった猛者もいたが・・・)、

 

時速60km程で運転中に、一旦、キーをoffにして、

そのまま少し走り続けてからon にすることで、

未燃焼のガスをマフラーで発火させるアフターファイアーを起こさせ、

バぁーーーーン」という大爆音を出させたり・・・

まぁ、これは二人連れを見かけたときとかの僻み根性で・・・。

 

時効と思って何でもバラしますけど・・・

ムカシのクルマだからできたことであって、今、こんなことすると

まるごとパーッになるので、真似しないこと。

 

 (かつての愛車・・・)

 

 

雪が降り出そうものなら、それこそ、犬じゃないけど、同じように大喜び。

 

ドリフト走行ができる、と はしゃぎ回り、直角ターンで駐車位置に

クルマを停めたりしていたのだが、ある日、調子に乗って、クルッと

クルマを滑らせて直角に停めたつもりが、少しだけ勢いが強すぎて、

とある工場の社長のクルマにコツン・・・ゴツンではなくて、コツン。。。

 

社長には「雪で滑りまして・・・」と謝って、社長からは

「まあ、雪だから・・・気をつけて」ということで お咎めは最小限だったけど、

実際は「滑らせたら ちょっとミスりまして・・・」だったりして・・・

滑ったタイヤの跡をみれば、遊んでたな、とわかるんだけど、

後から降ってきた雪が、その証拠を消してたり・・・

 

 

最近はあまり見かけないけど、ムカシは雪道で滑って、

路肩から脱輪しているクルマによく出くわしたものだった。

 

冬になれば、トラブルも多発するので、スコップの他に

ブースターケーブルや、ロープなど、救助七つ道具のようなものを

常備していたので、何台も引き上げて助けてあげたりもした。

 

あるとき、側溝に脱輪していた軽四乗用車を、

一人で持ち上げて救助したことがあった。

 

実はこれには コツがあって、

持ち上げながら、タイヤを側溝に押しつけて道路に上げるのだが、

見ていたヒトは、「スーパーマンみたいなもんだな。」と、感心しきりだった。

 

 

 

交差点で、青信号になってスタートダッシュをする「シグナルGP」

なるべくローギアで引っ張り続けるのがテクニックの1つなのだが、

ギアチェンジのタイミングを間違うと惨めな結果に終わったりもした。

 

こういうとき、エンジンとの対話がしっくりこなかった、などと言ったものだ。

 

そういえば、日本の暴走族の発祥地が富山市 の全日空ホテル前であり、

そのときのリーダーが女性だったとの伝説がある。

 

これが全国に広がって、昨今マスコミなどにも登場する関東連合なども

結成されていったようである。

 

 

まぁ、

最近では、世界のスーパースポーツカーのゼロヨン・レース

BMWや、マスタング、ポルシェ、フェラーリ、ベンツなどに競り勝ち、

優勝した日産GT-R も AT車のみということらしく、極限までの

性能を引き出すにはATでなければダメなのだとか、同じことがF-1の

レーシングカーでも言われているという時代となってきたようである。

 

(GT-R、フェラーリ、アウディ、ベンツ、レクサス、シボレー・・・の順)

 

変われば変わるもんだ、という隔世感を禁じ得ない。

 

 

AT車の必要性を感じたのは、渋滞時のクラッチ操作であり、

渋滞で足が死ぬ、という表現もあながち間違いではないな、と実感してから

AT車への見方が変わってきたように思う。

 

MT車は、よく、発進時にクラッチ操作をミスしてエンストさせ、

後続車から即座にクラクションを鳴らされたり、坂道では

祈りながら必死でクラッチをつないだり・・・

 

運転に集中するというよりも、発進に一番神経を使って・・・で、

一時停止とか、踏切なども、なるべく完全に止まってしまわないようにして

警察に見つかってしまったり・・・・ギスギスした社会だったよなぁ。

 

 

AT車が普及してきた結果、

発進時のエンストへの心配が無くなり、その分、運転が丁寧になり、

ドライバー同士にも ゆとりが出てきて、意地悪なクラクションも減り、

クルマ社会の運転マナーが格段に良くなったように感じる。

 

交差点で、直線車よりも我先に発進して右折する輩も減った。

 

衣食足りて・・・・礼節を知る、人は生活に余裕ができて、初めて

礼儀や節度をわきまえられるようになるということなんだろうが、

AT車の普及で、

やっと、日本も成熟したクルマ社会になったのかもしれない。

 

 

雪道では、

タイヤが格段に良くなったことを実感する。

 

ムカシの「スノータイヤ」は、

ほんの少しでも勾配のある圧雪路で止まったが最後、

ツルッツルに滑りまくったものだった。

前にも後ろにも進めず、人間の力で押してもらって

やっとこさ、動き出すという ていたらく・・・

 

 

下り坂でのブレーキは、ハンドルもきかず、それこそ

行き先はクルマに聞いてくれ~ッ、という状態だった。

 

凍結路ではチェーンを巻いていても横滑りしたりして、

スパイクタイヤ」が出てきたときは、

やっと雪道も恐怖なく走れるという安心感があったが、

粉塵公害とかであっという間に姿を消してしまった。

 

代わって登場したのが「スタッドレスタイヤ」。

スパイクタイヤに比べれば、安心感では及ばないものの

性能的にはほとんど甲乙付けがたいところまで改善されてきた。

 

雪道走行の楽しさというのは、

クルマそのものの性能向上もさることながら、

「タイヤのおかげ」 という点が非常に大きい。

 

(クルマについてはもう少し続けたい。)