写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

終わっていいとも!

2013年10月27日 | 思い出

 

30数年間、勤務していた期間のお昼時間に

放映されていたという、「笑っていいとも!」。

 

2014年3月末で番組は終了するそうだが、それに関して

「笑っていいとも!」終了にPC-9801を思い出す

というサイトがアップされた。

 

1982年10月4日に「森田一義アワー 笑っていいとも!」という

番組が第1回目だそうで、その年の10月13日にPC-9801が

発売開始されたのだという。

 

情報処理学会によって、2009年に「情報処理技術遺産」なるものが

制定され、「PC-98」などが認定されて、現在では

Webサイト「コンピュータ博物館」を運営し、PCの他、約1000点の

写真などが公開されている。

 

 

思い起こせば、

Windows の前は、MS-DOS全盛であったが、

業務ではPTOS なるOSの「N5200/05」なるマシンを使っていた。

(使わさせられていた、と言うべきだろうか・・・)

 

8インチフロッピーが2ドライブ装着され、読み書きの時には

「ガッチャン、ガッチャン」という音をたてる、という悠長なもので、

横幅が 約60cm、重さが 約40kgという代物だった。

 

せっかくの16ビット機なのに、汎用機A-cos の端末機としてしか

位置づけない上部団体のアホ が災いして、当時の他のPCでは

当たり前になっていた「漢字出力」ができない、というお粗末な使い方だった。

 

見返してやろうと、メーカー側に直談判し、30万円キャッシュで

N5200の中古機を購入して、業務改善の方法にトライした・・・。

 

「PCという道具」の使い方というものを見せつけてやる、という

そんな「意地」に 賭けた費用だった。

 

とにかく、大きいし重すぎて、家まで持ってくるのに往生した・・・。

 

 

振り返ってみると、

最初に購入したPC8001は、本体は168,000円だったが、

CRTは別売で、安くても10万円はした。

プリンタも、いくらしたか記憶がないが、とても手が出ない価格だった。

 

 

 

 

次に買ったPC8801から漢字ROMが標準装備され、ROMに無い

漢字はドットで自作してたりした。この機種も、本体が228,000円

キーボードもCRTも含まれてないので、一式そろえようとしたら、

40万円程は かかった。

やはり、プリンタまでは手が出なかった。

 

 

 

8001、8801ともに、下取りに手離してしまったが、今となっては

残しておけばよかった、との思いが強い。

 

東京で開催される「データショー」とかには こまめに足を運んだが、

1983年に日本IBMから「マルチステーション5550」が発売され、

PCが本格的にオフィス業務に入り込んできたことを実感していた。

 

 

 

日本マイコンから発売された会計ソフト「弥生2」に関わり出すのは

こういうきっかけからであり、いろいろと機能への注文を出していた。

 

時代の、そういう風潮を感じつつ、翌年、「PC-9801VM2」を購入した。

5インチフロッピーヂスクドライブが、上下に2つあり、

上にプログラムディスク、下にデータディスクという使い方だった。

 

 

本体価格415,000円。CRTは8801のときのものを活用した。

このマシン、思い出として現在も一式そのままを所蔵している。

 

「10万円ほどの予算で10MBのハードディスクを買いに行ったら、

もう2万円で20MBのハードディスクが買えてメッチャ嬉しかった」と、

以前、 パソコンライフ で紹介したのは、この機種である。

 

 

config.sys と、autoexec.bat を編集するだけで、

同じマシンが如何ようにも変身するという面白味を楽しむことができた。

 

 

ソフト類も、だんだんと充実してきて、特にワープロソフトと

日本語入力システム(FEP:フロントエンドプロセッサーと呼ばれた)の

サバイバルが盛んになり、一太郎の「ATOK」、桐の「松茸」、テラⅢ世の

「FIXER」、後にマイクロソフトが採用することとなる「VJE-β」など、

それぞれに強力なファンも多く存在していた。

 

当時、PCと言えば「PC98」のことであり、市販ソフトも、ほとんどが

PC98でしか動かなかった。

 

富●富●通が1989年に富●八尾中核工業●地に建設され、

目玉商品として、CD-ROM搭載のFM-TOWNS が展示されていたが、

社員は(そ~っと・・・)PC-98 を使い続けていた・・・そんな時代である。

 

ソフトは、使いやすくなっていたのだが、問題は価格。

 

うろ覚えだが、一太郎で8.4万円、ロ-タス123が9.8万円、桐7.8万円

だったように記憶している。その後、いろいろ変動もあったし、量販店なども

まだ出店してきていない時代の話である。

 

 

それでも、ロ-タス123などは、算盤1級者が誇りとしていた縦横集計を

さりげなく こなしたり、弥生会計では簿記初心者が陥りがちな「転記ミス」を

正確に処理したり、そういう処理をさらりとこなすPCの威力に感動の声を上げる

受講者の顔を拝めることが、講師をしているときの醍醐味でもあった。

 

 

 

その後、Windows95 が発売されてから、状況は一気に変化してきた。

 

文字中心から、画像や音楽といったマルチメディア機能への対応が

世の中の流れとなり、その体験をすべく、「98MULTi CanBe」を購入。

 

 

 

当時、日本初のパワーセンターといわれた「上越ウィングマーケットセンター」に

ラオックスも出店していたのだが、パワーセンターというものの視察を

兼ねてクルマで出かけ、CanBe をキャッシュで買って、持ち帰った。

 

このマシンは、今でも処分せずに持っているが、故障したわけではないので、

もしかしたら、当時のソフトで動くかもしれない。

 

 

その後、PCはネットで買うようになり、

Windows2000 Professional を駆使する、MATE NX を購入。

 

 

2004年には同じくネットでWindows Xp Professional の

VALUESTAR PC-VG28S1ZGG を購入。

 

 

 

2台ともに、マザーボードが故障して、修復ができず、使えなくなったが、

今も、記念として保存している。

 

2011年に、今つかっている Windows 7 Professional (64bit)の

VALUESTAR PC-GV313VZLN を購入した。

 

 

PCは、性能がどんどん良くなると同時に、価格はどんどん下がった、と

よく言われるが、先人たちが、糸目を付けずに、買いまくってきたからこそ

為し得た現象であって、その「先人たち」のひとりに、自分がいる。

 

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今回のタイトルは、タモリとケツモンタ撤退を意図したものなので、

タイトルから連想されると不謹慎になってしまうのだが、

師と尊敬する 社長が亡くなった。

 

覚悟はしていたが、やはりショックは大きかった。

たくさんのお話を、何度も、夜が更けるまで、聞かせていただいたが、

そのうちの1つが下記に掲載されていたので、紹介して供養としたい。

 

世界一の加工メーカーの社長になっても、まるで「先生」のままでした。

(森本毅郎)

http://www.tbs.co.jp/radio/stand-by/attack/20021023.html