the belle(ザ・別嬪)
<序>
動画でアップされた。・・・文字だけ、だが。
さぞ、感動すると思いきや、見ているうちに、だんだんと・・・
「ん~、たまたま、一年生からの記録が目に止まったから
いいようなものの、その時に見ることがなかったら内申書は
罵詈雑言で埋めてたんだろ、オレの6年生のときみたいに・・・」
という、どこかの国民みたいな被害妄想が湧いてきた・・・・やべェ。
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50年前になる。
1964年10月10日、第18回オリンピック東京大会
(The Tokyo 1964 Olympics)が開催された。
The Tokyo 1964 Olympics Part 1(24分)
http://www.youtube.com/watch?v=JOIYgXzMSC4
この映像開始後9分15秒には、チャスラフスカが日本に
降り立ったときの映像が流れる。
11分05秒からは、感動の入場行進の様子が映し出される。
今どきの、ちゃらちゃらした開会式ではない。
全員が整列しながら、正面では敬意を表し、聖火のときには
走り寄って近づき、盛り上げる。
音楽(オリンピック・マーチ)も最高に いい。
下記は、公式の記録映像である。
The Complete Tokyo 1964 Olympics Film (125分)
https://www.youtube.com/watch?v=WHt0eAdCCns
1:04:40から2分間、チャスラフスカの平均台と床運動の映像が、
その後1分間ほどは、ラチニナ(ソ連)の映像も流れる。
(因みに、1:36:05からと、1:42:32から、美智子皇后が映る。
ほんっ…とに、きれいだったんだなぁ・・・・今も気品あるけど。)
ラチニナのことも含めて、次回に書く予定だけど、
やはり、この時代というのは、大人の女性の演技だ。
「コマネチッ」と揶揄されるような、幼児体型の選手たちではない。
だから、アクロバティックな人目を引く演技はない。正統派の、
にじみ出てくる力量を持っていなければ勝てなかった。
「東京オリンピック1964」 で、三島由起夫が書いている。
「あんなに直線的に、鮮やかに、空間を裁断してゆく
人間の肉体。全身のどの隅々にまでも、バランスと
秩序を与えつづけ、どの瞬間にもそれを崩さずに、
思い切った放埒を演ずる肉体。・・・全く体操の美技を
見ると、人間はたしかに昔、神だったのだろうという
気がする。」(69ページ)
「体操が『大人の競技』だった」のは、東京大会、メキシコ大会が
最後だったのだ。
確かに、↓を見ていても、奇をてらうような演技はない。(2分13秒)
Gymnastic Generations Collide - Tokyo 1964 Olympics
https://www.youtube.com/watch?v=xNzLEvURDeM
最後の名花 ベラ・チャフラフスカ
(メキシコ大会も合わせて。4分46秒)
https://www.youtube.com/watch?v=L5sywxwhgSY
Vera Caslavska (3分12秒)
https://www.youtube.com/watch?v=EC6vBFBilaA
しかし、チャスラフスカは、東京オリンピック後は政治問題に
巻き込まれ、メキシコ大会の出場も懸念されたりするなど、
複雑な人生を送ることになる。詳細は下記。
http://matome.naver.jp/odai/2138045929383169701
東京大会で「オリンピックの名花」「体操の名花」「東京の恋人」と
讃えられたチャスラフスカは、メキシコ大会で「メキシコの花嫁」と
呼ばれたソ連のナタリア・クチンスカヤ(Natalia Kuchinskaya)が
平均台で優勝したときの授賞式では、顔を背けることでソ連の
チェコ侵攻への抗議の意を示していた。
そのクチンスカヤは、根が明るく、チャスラフスカのことが好きで
尊敬もしていたようだが、そんな明るい性格が、↓を読んでいても
何か救われるような思いにしてくれる。
http://blog.goo.ne.jp/4tnhtknorms/e/7c293dc96accb192e1490d7249143f2e
その後も苦難が続いたチャスラフスカだが、最近は穏やかな日々を
送っているようだ。
2010年、秋の叙勲で「旭日中褒賞」を受賞している。
(続く)
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ウクライナ南部クリミア自治共和国の検事総長に就任した
ナタリア・ポクロンスカヤ(33歳)
http://www.kotomatome.net/Natalia+Poklonskaya