写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

PDCA・・・

2016年08月15日 | 随想

」(2016-08-11)の中で は、「象徴としてのお務めについての「お気持ち」をビデオメッセージで表明された背景には、天皇陛下を縛っている「憲法」を『変えよ!』というメッセージが込められているのではないだろうか?」という、ある意味、禁句だったかもしれないことを指摘していたのだが、その箇所にあたるのが、「日本国憲法」の第5条「皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。」の条文である。この「摂政」については、「否定的なお言葉があった」としか報道されなかった。

日本国憲法」は、第1章 天皇(第1条~第8条)、第2章 戦争の放棄(第9条)、第3章 国民の権利及び義務(第10条~第40条)、第4章 国会(第41条~第64条)、第5章 内閣(第65条~第75条)、第6章 司法(第76条~第82条)・・・・などとなっているが、第1条 天皇の条文は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」となっている。

よく聞かされた言葉だが、「天皇は、日本国の象徴」、「日本国民統合の象徴」・・・ん~っ、「象徴」って何や?

三省堂 大辞林 によれば、例えば、として「ハトで平和を,王冠で王位を,白で純潔を表現する類。シンボル。」なっている。

研究社 新英和中辞典での「symbol」の意味を調べてみると、「The cross is the symbol of Christianity. 十字架はキリスト教の象徴である。」として、訳語を「象徴、表象」としている。

ハトで平和を表現したり,十字架でキリスト教を表現したりするのは理解できるが、天皇で日本を表現っていうのは、なかなか理解できない。ちょっと違うんじゃないの?という感じが否めない。

しかしながら、jp.reuters(ロイター)の「高齢化日本」を象徴する天皇陛下というコラムを見てみると、確かに日本という国の行く末と天皇が重なっているように感じる。イケイケドンドンの勢いってのは、もうこの国には無いのだ。

 

日本国憲法」だが、英訳というか、原文というか、英語では「The Constitution of Japan」である。「Const・・・tion」と来れば、「建設業、建築業、建物、建造物」などを意味する「construction」や、構造、構成などを意味する「constitution」などが浮かぶが、この「constitution」が「憲法」と訳されており、研究社 新英和中辞典での「constitution」の意味では「解説」として、「 国家の基本的条件定めた根本米国日本などのものを成文憲法という米国憲法成文憲法としては最古のもので,1787 年に起草1789 年に発効1790 年に全州により批准された英国のものは成文化されたものがなく慣習法による不文法それを不文憲法という.」と記載されている。

2016年8月15日付け日本経済新聞21面では、「池上彰の大岡山通信 若者たちへ」という かったるい連載もののテーマとして「憲法で読み解く戦後  英語版から浮かぶ解釈」なる記事が載っていた。いつものことだが、表面をサラッ~となでて、「どんなもんじゃい!」(亀1号かよ・・・)という目線がウザいのだが、「憲法 第2章 戦争の放葉」の日本語原文、英語版、英語版の意訳、という順序で内容の比較がしてある。原文は英語なので、本来なら「英語原文、英語原文の意訳、日本語版」、として比べるべきだったろう。何しろ1週間のやっつけ仕事で作ったと言われる英語原文である。意訳に当たった人たちの苦労が偲ばれるというものだ。

まぁ、しかし、一度できてしまったら、後生大事に守り抜こうとするのが日本人だ、っちゅうことも当時の関係者は知ってたんでしょうね。なにせ、「鰯の頭も信心から」ということで、鰯の頭でも有り難く大事にするお国柄ですから。当時はギブミー・・・と言ったら もらえたチョコレートみたいなもので、一度いただいたら有り難く大事にしてきたんでしょうね。

だから、フツーのビジネスでは当たり前のPDCAサイクルが、こと、「日本国憲法」では、「C」の、検証する前でストップしたままである。「C(検証)」をしようと「言う」ことさえもタブーとなっている。

 

よく言われることだが、「日本国憲法」の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(原文:we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.)と謳われているが、PRC(中共)の尖閣諸島略奪の動きや、北朝鮮のミサイル発射、南朝鮮による島根県竹島の占領、ロシアとの北方領土問題北方領土は、択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島からなる北方四島、と言われるが、歯舞群島だけで16個ほどの島々からなっているので、「四島」という表現は如何なものか、と常々思っているのだが・・・)など、周囲の国だけでも「justice(正義) 」と「faith(信頼)」が無い上に、それらの国々からは、「知ってた (*_*) ・・・(2016-07-30)」で書いてたような犯罪者がわんさか来ていたりしている。ましてや、前文では「peace-loving peoples of the world(平和を愛する世界中の人々)」という空想に浸っている。ISISやアルカイダといったイスラム過激派集団をはじめとするテロ組織は、ますます勢いを増してきている。お花畑もいいところだ。

 

(歯舞群島)

 

因みに、「憲法で読み解く戦後 英語版から浮かぶ解釈に載っていた比較表

 

憲法 第2章 戦争の放葉

【日本語原文】

【英語版】

【英語版の意訳】

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

Article9, Aspiring sincerely to an interhational peace based on justice and order,the japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use offorce as means of setting international disputes.

ln orderto accomplish the aim of the receding paragraph,land,sea,and air forces,as well as other war potential,will never be aintained.The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

第9条 正義と秩序に基づいた国際平和を心から求めるにあたり、日本国民は永遠に、日本が自ら進んで主体的に行う戦争を放棄する。また、日本国民は永遠に、国際紛争を沈静化させるために、武力を用いて脅したり武力を行使することも放棄する。

この前の段落に書かれている目標を達成するために、陸軍ならびに海軍、そして空軍、さらには戦争にかかわるものすべて、これらを日本がもつことを禁ずる。また、日本が他の国と戦うことも禁ずる。


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日経新聞コラム春秋(2016/8/15付)からは当時の昂ぶりと落ち込みの様子が少し窺える。

 「放浪記」で知られる林芙美子は、日中戦争が始まると従軍作家として華々しく活躍した。陥落した首都・南京に真っ先に入城し、いったん帰国してこんどは内閣情報部の「ペン部隊」に加わる。このときも新首都・漢口への「一番乗り」を果たし、大いに名をはせた。

▼「もう今はくだらん恋愛なんか書いてゐる時代ぢやないと思ひます」。ペン部隊出発前に芙美子が朝日新聞に寄せたコメントである。政府と軍部、メディア、文化人が一体となって戦意をあおり、戦争を称揚し、人々は熱狂的にそれを受け入れていった。叙情的な「放浪記」が読まれたころから7、8年しかたっていない。

▼戦後71年の終戦の日を迎えた――。こう言うとどうしても、太平洋戦争の無謀な戦いと無残な敗北ばかりが頭に浮かぶ。しかしその前史は長く、国民こぞって破滅へのレールを敷いていたのだった。 ソラ日本勝ったまた勝った ソラまたまた大勝利……。日中戦争の初期に流行した戦時歌謡はあっけらかんと調子がよい。

▼「くだらん恋愛なんか」と口走った芙美子だが、戦後の名作「浮雲」では切々と悲運の男女を描いた。作品のなかの、南方に進出した日本人は心細げだ。彼女だけではない。のちにそういう感覚を得た人たちが異様に高ぶったのが昭和の一時期である。正気を取り戻したときの悔恨の深さを、いまも思わなければならない。