「天狗の中国四方山話」

~中国に関する耳寄りな話~

No.624 ★ 単なる嫌がらせではない中国軍機の領空侵犯、日米レーダー施設破壊が 目的 スパイ機の領空侵犯と接近は、台湾・日本への侵攻準備の一環

2024年09月04日 | 日記

JBpress (西村 金一:軍事・情報戦略研究所長(軍事アナリスト)

2024年9月3日

航空自衛隊の早期警戒機「E-767」(航空自衛隊のサイトより)

1.情報収集機Y-9は、中国軍のスパイ機だ

 中国軍情報収集機「Y-9」が、2024年8月26日、下図のように接近飛行を行い、午前11時29分頃から11時31分頃にかけて、長崎県男女群島沖の領海上空を侵犯した。

 情報収集機というのは、俗にいうスパイ機である。 

 このスパイ機が、監視・通告を受けても堂々と接近して領空侵犯を続け、実働行動による妨害も受けず帰投していったのである。

写真と図:領空侵犯した情報収集機Y-9と接近・侵犯の経路

出典:統合幕僚監部

 今回の接近で、スパイ機Y-9は九州に配置されている航空自衛隊の監視レーダー、戦闘機基地、海上自衛隊の航空基地、港あるいは九州近海に所在していた艦艇とそのレーダー、米軍の艦艇とそのレーダー電子信号情報(以下レーダー信号)をキャッチ、録音して母機地に持ち帰った。

 中国国防省呉謙報道官は8月29日の記者会見で、26日の中国軍機による初の日本領空侵犯について「深読みしないことを望む」と強調した。

 スパイ機の役割を知っている軍の報道官は、それを公にされると中国が批判されることが分かっているので、批判をそらそうと、この表現にしたのだろう。

 中国のスパイ機が、日本に領空侵犯してまで取った米軍および自衛隊の通信電子情報は、戦時に監視レーダーや艦艇を攻撃するために使われる。

 戦時に使う貴重なデータとなることは、軍事専門家であれば「深読み」をしなくても分かっている。

 スパイ機Y-9に関わって、

①電子情報を取る方法
②その情報の戦時での使用法
③ウクライナでの戦争でレーダーの破壊に使用
④中国軍の日米の電子情報を入手する狙い
⑤中国はどの場面で電子情報を使用するのかについて、考察する。

2.スパイ機Y-9による電子情報取得の方法

 中国のスパイ機Y-9は日本の九州に向かってきた。

 そこで、日本と米国の各種兵器はレーダーを作動させ、電子信号を放出してその機を監視し、追随したと考えられる。

 なぜなら、その機が日本に侵入し攻撃行動を取った場合に、撃墜する必要があるからだ。

 今回の場合、航空自衛隊の監視レーダー、防空ミサイルの捜索レーダー、戦闘機の捜索レーダー、日米軍艦の防空レーダーが、図1のように活動したものと考えられる。

 監視レーダーは、300キロを超える探知能力、戦闘機は約150キロの探知能力がある。

 Y-9に捜索レーダー波(射撃用レーダー波ではない)を照射するはずである。

 つまり、中国のY-9は、各種レーダー波を照射された。

 

図1 侵入するY-9が電子情報を収集するイメージ

出典:各種情報をもとに筆者作成(図は、以下同じ)

 Y-9は、エリント情報とシギント情報の両方を収集する能力を保有しているので、その情報を受信し録音する。

 そして、そのデータを持ち帰り、解析専門の機関に提供する。

 解析機関は信号を詳細に分析し、それぞれの信号はどの種類の戦闘機、軍艦、監視レーダーなのかを特定する。

 例えば、電子信号であれば、戦闘機の「F-15」「F-16」「F-35」のどれなのか、イージス艦なのか空母なのかを特定できるようにする。

 海上であれば、商船を含めた各種艦船が航海中に電波を放出しているので、その中から空母やその他軍艦の電子信号を分離しなければならない。

 それができなければ、軍艦を対レーダーミサイルで攻撃することはできない。

 空母は、レーダー信号を放出することが少ないため、エリント衛星で入手した信号とY-9から入手した信号と照合することになろう。

 中国軍は今、最も知りたい米空母の位置を知るために、空母のレーダー信号を特定することに努力を集中している。

 以前、中国が米本土にバルーンを飛行させたことがあったが、そのバルーンも、米艦艇のレーダー信号情報を取るために、軍艦の上空を飛行させたものだと思っていたが、その意図がバレてしまったため、今はできなくなったと推定している。

図2 米空母などのレーダー信号を取得する要領(イメージ)

3.監視レーダーやレーダー搭載艦攻撃に使用

 スパイ機が取得したレーダー電子情報は、兵器の種類や特定個別番号(例えば艦番号)を特定するのが目的であると前述した。

 そのほかにも重要な狙いがある。それは、対レーダーミサイル攻撃だ。

 対レーダーミサイルは、射撃目標に信号がなければ、自らレーダーに向かって飛翔していくものではない。

 攻撃時には、空軍の監視レーダーか海軍艦艇の監視レーダーか、あるいは防空ミサイル用レーダーの信号なのかを特定できていなければならない。

 地上や海上には、レーダー信号を出すありとあらゆる兵器があるからである。

 その中から、戦闘機のレーダーが照射される信号を識別して、対レーダーミサイルは特定のレーダー信号を出す兵器に向かって行く。

 その具体的な要領は以下の順序である。

①敵の監視レーダー(空母の場合もある)が、レーダー波を放出する。
②戦闘機がそのレーダー信号を受信する。
③戦闘機は、そのレーダー信号にロックオンする。
④戦闘機は、ロックオンしたレーダーに対レーダーミサイルを発射する。
⑤対レーダーミサイルが、レーダーの放出源に向かって飛翔する。
⑥対レーダーミサイルが、目標に命中して、破壊する。

図3 中国戦闘機による対レーダーミサイル攻撃(イメージ)

 日米の艦艇については、これまで収集し、解析したレーダーの電子信号をもとに、エリント衛星を使って艦艇の位置を特定することになる。

 そして、日米の艦艇、特に米国の空母がレーダー信号を出し続けていれば、その未来位置を予測して対艦弾道ミサイルを発射し、空母に命中するという仕組みである。

図4 空母のレーダー信号をエリント衛星が受信して攻撃(イメージ)

4.戦争初日に対レーダーミサイル攻撃

 ロシアが侵攻した2022年2月24日の朝、ウクライナの監視レーダーがロシアのミサイル攻撃で破壊され、燃えている映像が世界中に流れた。

 私は、対空レーダーすべてが破壊されて、ロシアが完全に航空優勢をとるだろう思っていた。

 確かに、ウクライナ軍の防空レーダーのいくつかは破壊されたが、多くは生き残っていた。

 ウクライナは、ロシアの対レーダーミサイル攻撃を予想して、それをこれまでの位置から取り外し、隠していたのだ。

 そして、破壊を免れた。すべてのレーダーが破壊されていれば、ロシアはその時点でウクライナを占領していただろう。

 現在では、侵攻当初と異なり、ウクライナがロシアの防空兵器を多数破壊している。

 ウクライナは、「ミグ29」機を対レーダーミサイル攻撃ができるように改良して、ロシアの「S-300/400」防空ミサイルを破壊しているのだ。

 ロシアの防空ミサイルは、「飛翔してくるミサイルを破壊できる」と公表されていた。

 実際は、対レーダーミサイルや巡航ミサイル攻撃を阻止することができず、撃破されている。

 これは、平時にエリント衛星と情報収集機が収集していたロシアのS-300/400の捜索レーダーの電子信号を米軍が解析していたので、その位置データを改良したウクライナのミグ戦闘機に入れて攻撃し、対レーダーミサイル攻撃に成功しているものと考えられる。

5.取得レーダー信号をどの場面で使用するか

 中国国防省の呉謙報道官は、中国軍機による初の日本領空侵犯について「深読みしないことを望む」と強調した。

 だが、実際のスパイ機の能力と接近の目的は、日米の各種レーダーの電子情報を取ること、そしてそれを解析して、その信号データを戦闘機の探知レーダーと対レーダーミサイルに装填し、その後、日米のレーダー攻撃に使用することだ。

 この対レーダーミサイル攻撃は、ウクライナレーダーがロシアによって破壊されたのと同じように、侵攻作戦と同時に実施される。

 その準備を今始めたのである。

 中国軍は、日本の非難を受けようとも、戦争を想定して堂々と実施してきている。

 そして、中国の報道官は「戦争が生起すれば直ちに日米のレーダーとそれらを搭載する兵器を攻撃する作戦が中国にあること」をなるべく隠そうとしているのだ。

 日本の政治家や国民は、中国の真意を知る必要がある。

 中国が「戦時になれば、初日に日米の兵器を破壊することを考え、そして中国はその準備を今進めている」ことを深く認識すべきである。

西村 金一のプロフィール

西村金一(にしむら・きんいち)

 1952年生まれ。法政大学卒業、第1空挺団、幹部学校指揮幕僚課程(CGS)修了、防衛省・統合幕僚監部・情報本部等の情報分析官、防衛研究所研究員、第12師団第2部長、幹部学校戦略教官室副室長等として勤務した。定年後、三菱総合研究所専門研究員、2012年から軍事・情報戦略研究所長(軍事アナリスト)として独立。

執筆活動(週刊エコノミスト、月間HANADA、月刊正論、日経新聞創論)、テレビ出演(新報道2001、橋下×羽鳥番組、ほんまでっかTV、TBSひるおび、バイキング、テレビタックル、日本の過去問、日テレスッキリ、特ダネ、目覚ましテレビ、BS深層ニュース、BS朝日世界はいま、言論テレビ)などで活動中。

著書に、『こんな自衛隊では日本を守れない』(ビジネス社2022年8月)、『北朝鮮軍事力のすべて』(ビジネス社2022年6月)、『自衛隊はISのテロとどう戦うのか』(祥伝社2016年)、『自衛隊は尖閣紛争をどう戦うか』(祥伝社2014年)、『詳解 北朝鮮の実態』(原書房2012年)などがある。

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No.623 ★ 中国の経済成長率「5%前後」目標、大幅未達なら政策変更不可避

2024年09月03日 | 日記

ロイター (By Chan Ka Sing)

2024年9月3日

 9月2日、中国はさまざまな計画や目標を設定するのを好むが、最も注目される今年のGDP(国内総生産)伸び率「5%前後」目標は逆風に直面している。写真は4月、北京市内の建設現場で撮影(2024年 ロイター/Tingshu Wang)

[香港 2日 ロイター BREAKINGVIEWS] - 中国はさまざまな計画や目標を設定するのを好むが、最も注目される今年のGDP(国内総生産)伸び率「5%前後」目標は逆風に直面している。現在の政府はこのような指標をかつてのような強制的な目標ではなく、計画立案ツールとして扱っているとはいえ、景気減速が政策変更を促す可能性はなお高い。

今年第1・四半期の5.3%という目覚ましい成長率を受けて主要銀行から強気な見通しが相次いだ。例えばUBSは4月に中国の成長率予想を4.6%から4.9%に引き上げた。しかし、先週発表されたリサーチノートでは4.6%に戻された。予想以上に深刻な不動産不振が主因という。住宅ローン規制緩和など、政府の支援策強化を受けた追い風も薄れている。

成長率目標のキーワードは「前後」だ。これはおそらく当局者に十分な余裕を与え、最終的に今年が4.5%を上回れば目標を達成したと主張できるためとみられている。また、政府が第14次5カ年計画(2021─25年)でGDPをどこまで拡大させるべきか数字を示さなかったことも助けになった。

しかし、習近平国家主席は21年、35年までに経済規模または1人当たり所得を倍増させる長期目標を達成することは十分可能と表明。Breakingviewsの試算では、目標達成のためには15年間にわたって約4.8%のペースで成長し続けなければならない。これは大変なことだ。

今年の成長率が5%を大幅に下回れば、成長よりもコロナ対応を優先した22年以来2度目の失敗となる。中国の政策当局者は一時的な問題が構造的な問題に発展するのを食い止めようと躍起になるだろう。消費を促進するため福祉への財政支出を手厚くするなど、政策対応がどの程度強いかによって、その懸念度合いが分かりそうだ。

背景となるニュース

*UBSは24年の中国経済成長率を4.6%と予想。従来の4.9%から引き下げた。8月28日付のリサーチノートで「不動産活動の低迷が従来の想定以上に経済全体の足を引っ張ると予想している」とした。

*国務院(政府)は24年の成長率目標を「5%前後」に設定。中国のGDPは第2・四半期に4.7%、第1・四半期には5.3%成長した。

(筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)

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No.622 ★ 中国の消費不足、世界需要に「300兆円の穴」 中国の低消費・  高投資経済は他国との衝突が不可避

2024年09月03日 | 日記

DIAMOND online (The Wall Street Journal)

202493

 これは中国だけでなく世界全体の問題だ。中国企業は国内で売れないものを輸出している。その結果、現在の年間貿易黒字は9000億ドル(約130兆円)近くに達している。これは世界全体のGDPの0.8%に相当する規模だ。この黒字は事実上、他国に貿易赤字を強いている。

 中国の黒字は長年、米国にとって頭痛の種だったが、最近では他の国も頭を悩ませている。米外交問題評議会(CFR)のブラッド・セッツァー氏がまとめたデータによると、中国の12カ月間の貿易収支は2019年以降、対米黒字が490億ドル増、対欧州連合(EU)黒字が720億ドル増となっている。日本およびアジアの新興工業国に対しては、赤字幅が740億ドル減った。

 米調査会社ロジウム・グループの中国調査責任者、ローガン・ライト氏によれば、中国が世界の消費に占める割合は13%にとどまるが、投資は同28%を占めている。投資がこれほどの割合になるのは、中国が他国から市場シェアを奪い、他国の製造業投資が成り立たなくなった場合でしかないという。

「中国の経済成長モデルは、現時点では他の国々とのより対立的なアプローチに依存している」とライト氏は述べた。

 多くの発展途上国は初期の成長の原動力として投資と輸出に頼ってきたが、中国はその規模の大きさと消費不足という点で例外的存在と言える。ロジウムはリポートで、中国の消費シェアがEUや日本のそれと同等であれば、中国の年間家計支出は6兆7000億ドルではなく9兆ドルになると推計している。この2兆3000億ドル(イタリアのGDPにほぼ相当)という差は、世界需要に2%の穴が開いていることを意味する。

 こうした消費不足の原因は、中国の財政システムと政策選択の両方に深く根ざしている。

 中国の所得格差は非常に大きい。富裕層は所得に占める消費支出の割合が貧困層よりも低いため、所得格差が大きいと消費は必然的に抑えられる。ロジウムは、上位10%の世帯が貯蓄全体の69%を占め、3分の1の世帯は貯蓄率がマイナスであるというデータを引用している。

 他国では、富裕層への課税を強化し、現金給付や公的医療・教育を通じて中低所得層の消費力を高めることで、このような格差に対処している。中国はそうした取り組みをあまりしていない。ロジウムの推計によると、税収に占める個人所得税の割合が8%にとどまる一方、増値税(消費税に相当)は38%に達しており、相対的に所得が低い層への負担が大きくなっている。

 

 また、中国は主要な市場経済国よりも医療や教育への支出が少ないため、貧困層や中所得層は可処分所得からより多くの資金をこれらの項目に回す必要がある。

 一方、抑制された賃金・金利は家計の所得・支出を押し下げる反面、国有企業の利益を押し上げている。

 地方政府は課税権限が限られているため、製造業支援やインフラ整備向けの資金を捻出するために不動産を売却せざるを得ず、さらに投資を膨らませる要因となっている。

 中国指導部は10年前、欧米の経済学者と同様に、マクロレベルでは中国は投資から消費への転換を進める必要があると考えていた。中国共産党は2013年、今後の経済成長は市場原理と消費者に委ねると述べた。

 習近平国家主席は結局、逆の方向に進んだ。消費の停滞が続く中、経済に対する国家統制を強めた。改革派を排除し、経済全体の成長よりも分野別の目標達成に主眼を置く腹心を要職に起用した。

 こうした消費不足の原因は、中国の財政システムと政策選択の両方に深く根ざしている。

 中国の所得格差は非常に大きい。富裕層は所得に占める消費支出の割合が貧困層よりも低いため、所得格差が大きいと消費は必然的に抑えられる。ロジウムは、上位10%の世帯が貯蓄全体の69%を占め、3分の1の世帯は貯蓄率がマイナスであるというデータを引用している。

 他国では、富裕層への課税を強化し、現金給付や公的医療・教育を通じて中低所得層の消費力を高めることで、このような格差に対処している。中国はそうした取り組みをあまりしていない。ロジウムの推計によると、税収に占める個人所得税の割合が8%にとどまる一方、増値税(消費税に相当)は38%に達しており、相対的に所得が低い層への負担が大きくなっている。

 また、中国は主要な市場経済国よりも医療や教育への支出が少ないため、貧困層や中所得層は可処分所得からより多くの資金をこれらの項目に回す必要がある。

 一方、抑制された賃金・金利は家計の所得・支出を押し下げる反面、国有企業の利益を押し上げている。

 地方政府は課税権限が限られているため、製造業支援やインフラ整備向けの資金を捻出するために不動産を売却せざるを得ず、さらに投資を膨らませる要因となっている。

 中国指導部は10年前、欧米の経済学者と同様に、マクロレベルでは中国は投資から消費への転換を進める必要があると考えていた。中国共産党は2013年、今後の経済成長は市場原理と消費者に委ねると述べた。

 習近平国家主席は結局、逆の方向に進んだ。消費の停滞が続く中、経済に対する国家統制を強めた。改革派を排除し、経済全体の成長よりも分野別の目標達成に主眼を置く腹心を要職に起用した。

貿易の根底にある原則は「比較優位」であり、各国は得意分野に特化し、それを輸入と引き換えに輸出する。習氏はこの原則を否定している。「独立と自立」を追求し、国内でできるだけ多くのものを作り、輸入をできるだけ少なくすることを望んでいるのだ。

 龍洲経訊(ガベカル・ドラゴノミクス)のアンドリュー・バトソン氏によると、中国当局は「国連が定めた工業製品分類の全項目を生産している国は中国だけ」と自賛している。

 中国は電気自動車(EV)や半導体などの先端製品をターゲットにしているからといって、相対的に価値の低い製品の市場シェアを明け渡すつもりもない。 ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の報道 によると、習氏は官僚らに「先立後破(先に新しいシステムを作り、後から古いシステムを壊す)」を命じた。

 その結果、「中国が輸出市場として提供する機会は減る一方で、同国はローテクやミッドテクの分野で新興国と真っ向から競合している」とロジウムは指摘する。

 中国はかつて多くの国から顧客と見なされていたが、今では競争相手と見なされている。韓国銀行(中央銀行)の李昌鏞(イ・チャンヨン)総裁は昨年、「中国企業の多くは、韓国の主な輸出品である中間財を製造している」と述べた。「中国の好景気に伴う(韓国経済への)10年来の後押しは消滅した」

 メキシコのロヘリオ・ラミレス・デラオ財務・公債相は7月、「中国はわれわれに売ることはあっても、われわれから買うことはない。これは互恵的な貿易ではない」と不満を漏らした。

 皮肉なことに、2018年にドナルド・トランプ米大統領(当時)が中国に高関税を課し、他の貿易相手国への関税を削減して以来、各国当局は、米国を世界貿易システムに対する最大の脅威と見なす傾向にある。トランプ氏は、今秋の大統領選で勝利すれば、これらの関税を拡大すると約束している。

 もっとも、トランプ氏が導入した関税は、既存の貿易ルールが通用しないことが明らかになった、中国の「近隣窮乏化」経済モデルへの対抗策とみるべきだろう。

 とはいえ、この問題を解決できる国は一つもない。洪水をそらす堤防のように、米国の関税は中国の輸出を他の市場へと迂回(うかい)させているのだ。


 その他の国々は今、行動を起こしている。メキシコ、チリ、インドネシア、トルコはいずれも、年内に対中関税を検討すると表明している。カナダは8月下旬、中国のEV・鉄鋼・アルミニウムに新たな関税を課すと発表し、米国の発表済み措置と足並みをそろえた。

 しかし、世界各国は今のところ、中国の消費不足に対する統一的な解決策を見いだせずにいる。中国がそれを問題と認めないからだ。

 習氏は家計への財政支援について、怠慢を生む「福祉主義」だとして反対している。ジャネット・イエレン米財務長官は4月、中国の「弱い家計消費と過剰な企業投資」が米国の雇用を脅かしていると批判した。中国国営の新華社通信はこれを保護主義の口実と呼んだ。8月には国際通貨基金(IMF)が中国政府に対し、4年間でGDPの5.5%を費やして未完成住宅を買い取るよう勧告した。中国側はこれを丁重に断った。

 中国がこのままでは、さらなる摩擦が起こり、ただでさえ脆弱(ぜいじゃく)な世界貿易システムは限界までストレスを受けることになるだろう。

***

――筆者のグレッグ・イップはWSJ経済担当チーフコメンテーター

(The Wall Street Journal/Greg Ip)

 


No.621 ★ パリ五輪で中国人観客が自国選手に大ブーイング「醜いいじめ」は なぜ起きたのか?

2024年09月03日 | 日記

DIAMOND online (ふるまいよしこ:フリーランスライター)

2024.8.31

Photo:Unsplash

オリンピックといえばとかく「メダルの数」「国威高揚」となりがちだった中国で、近年、国民とスポーツの接し方に変化が起きている。「スポーツは勝負だけど、それだけじゃないよね」という見方をする人が増えてきたのだ。さらには日本でいう「推し活」的に選手を応援する、熱狂的なファンも増えつつある。こうした変化によって、アスリートたちは従来とはまた違うことに悩まされるようになった。ファンの愛情は時に暴走することがあるからだ。(フリーランスライター ふるまいよしこ)

中国で「メダルの数」が以前ほど話題にならなくなった

 パリ五輪が終わった。もちろん、28日からはパラリンピックが始まったが。

 五輪と言えばいつも「金メダルの数」にばかり注目が集まる中国で、今年の期間中に流れたコメントや起こった「騒ぎ」は、意外にもこれまでとはひと味違うものだった。もちろん、政府系あるいは大衆系メディアの報道は「金メダルの数」にこだわり続けた。中国の金メダルは最終的に40個とアメリカに並んで1位になったが、「台湾と香港を足せば、金メダル数はアメリカを抜いた!」という発言も飛び出した。

 だが、総メダル数ではアメリカに及ばない。以前もそのことが話題になり、それが議論を呼んだ。たしかその際は、中国では「スポーツ普及率が低いからだ」という意見で落ち着いた。つまり、一般庶民の生活にはスポーツが浸透しておらず、アスリートたちは日常のスポーツ活動の成績で抜擢されたわけではなく、特殊な手段で小さい頃から養成された「エリート」だからだという話だった。口の悪い人はそれを「金メダルマシーン」とまで言ってのけた。

 とにかく、数の上で西洋諸国を上回りたい、それでこそ国威発揚……そんな昔ながらの五輪評価は今も健在ではあるものの、かつては国の威信をかけて大騒ぎしていた五輪も、今や季節の話題程度に落ち着いた感がある。

五輪は勝負の場だが、それだけじゃないはず

 今回は特に、「競技の外」に注目が集まった。

 例えば、中国の国技と言われる卓球。女子シングルス2回戦で中国のエース、孫穎莎選手と対戦した、ルクセンブルク代表の倪夏蓮選手である。

 倪選手は1963年、上海生まれ。10代から20代にかけて中国のナショナルチームで活躍したものの、「勝つため」の卓球に嫌気がさして引退。英語を学んでからルクセンブルクに移住した。そこの卓球クラブで夫となるコーチと出会い、「楽しむ卓球」を覚えたという。

 今回、倪選手は2000年生まれの孫選手に負けたが、その試合が終わると夫であるコーチが歩み寄り、彼女を抱きとめてキスをした。健闘を称えられて幸せそうに微笑む「61歳のおばあちゃん選手」の姿に、中国人観客の間では「勝ち負けだけが人生じゃないよね」というメッセージも流れた。かつて、日本チームの一員として中国選手と戦った小山ちれ(何智麗)選手に向けられた罵声を思い起こすと、隔世の感がある。

 今回の五輪では「五輪は勝負の場だが、それだけじゃないはず」という声があちこちで上がっていた。銀メダルを獲得した女子バドミントンの何冰嬌選手が、自分との対戦中にケガで棄権した、リオ大会金メダリストのスペイン選手に敬意を表し、スペイン五輪チームのバッジを手にして表彰台に立った姿は、中国でも高い称賛を受けた。

 体操男子団体戦では、蘇イ徳選手(「イ」は火へんに「韋」)が鉄棒で2回も落下した。同選手はもともと「控え」で、選手村に入ってからも練習のチャンスを本メンバーに譲っていたという。だが、突然の出場命令に従ったものの落下、その結果日本の後塵(こうじん)を拝して銀に終わったことで、「金メダル至上」の観客から激しい叱責や罵声が飛んだ。中国メディアの映像では同選手がチームメイトから離れて1人ぽつんと座っている姿ばかりが流れていたが、実は香港メディアによると、チームメイトたちは現場でそんな彼の肩を抱くようにして囲み、一緒に結果待ちをしていたという。

 やはり、かつて倪選手が嫌った「勝つだけ」のムードは、時代とともに変化しているようだった。

中国人選手同士の試合なのに、片方の選手にブーイングが……

 その一方で、議論を巻き起こしたのは「競技場の外」、中国人観客の態度だった。

 あからさまだったのが、女子卓球シングルスの決勝戦だ。対戦したのは、倪選手を破って勝ち進んだ孫選手と、ベテランの陳夢選手という最強の中国人選手2人。一部で「まるで国内選手権みたい」と言われながら臨んだ試合はその後、驚きの展開を見せた。

 なんと、ゲームの最中に中国人観客たちが陳選手の一挙一動に激しいブーイングを浴びせ続けたのだ。そのあまりの激しさに、観客席の外国人観客からはあえて陳選手にエールを送る声も上がった。また、観客席で「陳選手も孫選手も中国の選手。どっちも頑張って!」と声を上げた中国人観客が、孫選手を応援する観客に激しく詰め寄られたというエピソードもSNSで投稿された。

 最終的に、試合は陳選手が東京五輪に次いで孫選手を下し、金メダルに輝いた。だが、その表彰式でも陳選手の名前が呼ばれると、観客席からそれをかき消すように孫選手の名前の連呼が起きた。それについて、メディアにその理由を問われた観客のひとりは、「自分のお気に入り選手の名前を呼んじゃだめなの?」とうそぶいたという。

 五輪が「愛国精神」の発揚の場になりやすいのは前述したとおりだが、自国選手同士の試合でどちらか一方がブーイングやヤジの的になるケースは記憶にない。特に国技である卓球で繰り広げられた「自国選手いじめ」はあまりにも醜く、「一体どうした?」という声が内外から上がった。

一部の選手に牙を剥く飯圏(ファンダム)

 中国メディアはすぐにそれを「『飯圏』のなせるわざ」だと論じた。飯圏とは「ファンダム」、日本的には芸能人などの「推し」文化の延長にあり、一般的にいわれるファンたちの中でも熱狂的な行動を起こす人たちが形成したグループや団体が「ファンダム」と呼ばれる。

 しかし、なぜ五輪という「栄えある場」で孫選手のファンたちが自国選手の陳選手に「牙を剥いた」のか?

 ネットでは、ベテランの陳選手に対し、「孫選手は3種目に出場している。その疲れにつけ込むとは」「全国民が損選手の優勝を期待していたのに、お前がそれを潰した」「先輩のくせして、私欲で利益を奪うのか」「4年前(注:東京五輪)に監督はお前に金メダルを送ったのに、今回その恩返しをしなかった」「孫選手への愛惜があってもいいはず」などという“公開質問状”も流れた。

 どの意見もあまり筋が通っておらず、つまり、「陳選手はベテランなんだから孫選手に金メダルを譲るべき」と言っているのだろうか? だとしたら、それ自体がスポーツマンシップに反する要求であり、それで推しの孫選手が勝ったとしても決して喜ばしいことではないはずだ。一体どうしたら推しのために、そんな要求まで出てくるのか?

 飯圏と呼ばれる活動はそれだけではなかった。前述したように体操で失敗した蘇選手には、ネット上で激しい罵倒が続いたという。その罵りは選手だけではなく、彼の家族や友人、所属クラブのアカウントにまで及ぶほどの激しさだった。

 あまりの過熱ぶりに、中国当局は飯圏規制を呼びかけ始め、国内の主要SNSサービスはそれに応える形で、過熱した「ファン行為」を強制的に排除すると発表。また詳細は明らかにされていないものの、当局は「過剰なファン活動を行った」として29歳の女性を逮捕したことを発表。それに続いて、水泳男子混合金メダルの立役者である潘展楽選手がSNS上の自身のファングループ解散を宣言、その決断の素早さは周囲を驚かせた。

飯圏はリオ五輪から始まった

 中国メディアの報道によると、いわゆる飯圏活動が始まったのは2016年のリオ五輪がきっかけだったという。国際オリンピック協会(IOC)がオリンピックの現場でのSNS利用を解禁し、またそれまでオリンピック期間中にその施設内で撮影された写真などを無断で商業利用することを禁じていた「オリンピック憲章」の項目が書き換えられた。これを受けて、当時すでにSNSが隆盛を迎えていた中国の選手たちが一挙にアカウントを開設、選手村から選手自らがファンに向かってそこでの生活やトレーニング中のこぼれ話を発信するようになった。

 SNSは選手たちと観客たちの距離感を大きく縮め、プラットフォームや企業などを巻き込んでそれを活用したPRも行われるようになった。特に「エリート」アスリートである選手たちは長い間、卓球協会や体操協会といったそれぞれの種目別協会の管理下に置かれていたのが、SNSによって一挙に選手を囲んでいた壁が取り払われ、肉声が聞けるようになったことで多くのファンを惹きつけた。

 そこから次第に飯圏が誕生した。その飯圏が企業スポンサーたちの注目を呼び、選手や協会とファン、そして企業を結びつける大事な役割を果たすようになったのである。

飯圏の暴走が止まらない

 しかし、ここに来て飯圏がここまで暴走することになるとは、当初は誰も考えていなかったのだろう。

 現実には推しの対戦相手に対する嫌がらせや誹謗中傷は、今回初めて起きたわけではない。だが、飯圏を通じて次第に、「推しが負けたのは仕組まれた試合だったからだ」とか、前述の陳夢選手に対してぶつけられたように「コーチや所属団体が優勝者を手配済みだった」などという批判が巻き起こるようになる。さらには、「推しの足を引っ張った」「仲が悪い」など、根拠不明の噂が流れるだけでチームメイトすらも攻撃の標的にされることが増えた。

 2021年の東京五輪で、わずか14歳で女子飛び込み金メダリストとなった全紅嬋・選手を巡っても、昨年の世界水泳でライバルの陳芋汐選手が同選手を抑えて優勝すると、「出来レースだった」などと激しいバッシングにさらされた。だが、2人は今回の五輪で女子10メートルシンクロ飛び込みでコンビを組み、金メダルを獲得している。

 また、過熱した飯圏では選手たちの個人情報も売り買いされるようになった。一部アスリートは、出先でファンにツーショット写真を求められ、それが「カップルの証拠」としてネットに流れたこともあると証言。また、プライベートな生写真も取引されるようになり、選手たちの日常生活にも支障が出る事態となっていると苦言を呈している。つまり飯圏の暴走ぶりはすでにスポーツ関係者の間では問題視されていた。

 それが今回、五輪という栄えある場で、世界中の観客の眼の前で吹き荒れたのだから、中国当局も黙っているわけにはいかなくなったというわけである。

テニスやバスケットでは、飯圏は暴走しない?

 ところが、である。

 女子卓球の優勝戦で陳夢選手が激しく罵倒されたものの、女子テニスの金メダルを獲得した鄭欽文選手の対戦相手には、観客の怒号が向けられることはなかった。銀に終わった男子体操選手に嫌がらせが殺到したが、準決勝にも進めなかったバスケットチームがバッシングを受けることはなかった。

 これはなぜなのか?

 そこには明らかに商業利益が絡んでいるとメディアは論じている。

李立峯、ふるまいよしこ、大久保健 他『時代の行動者たち 香港デモ2019』 白水社

 テニスやバスケットは、もとより商業性の高いスポーツである。それぞれの種目協会が主催する大会やイベントはチケット収入が得られ、グッズなどの関連商品は大事な業界収入となってきたし、企業スポンサーのおかげで入賞者の賞金も必ず保証されてきた。つまり、こうした種目ではファンたちの存在は自然に経済効果を生んできたのである。

 しかし、卓球や水泳、体操といった種目は、昔から中国では人気種目の一つであるものの、実は業界団体がイベントを開いても入場料を払って観に来る観客はほとんど期待できない。たとえ観客がいっぱいに入ったとしても、それは公的機関による動員や、無料チケット配布などの行為が習慣化している。そのおかげで、わざわざ高額なチケットを買い求めて試合を見に行くという意識が「ファン」の間に育っていない。

 その結果、経済効果の差は歴然となっている。中国メディアが引用する例でご紹介すると、プロ選手の収入を見ても、2016年の卓球トップ選手だった劉詩ブン(「雨」かんむりの下に「文」)選手の年収は699万元(約1億円。以下、レートは当時のもの)だったのに比べ、当時の人気男子バスケットボール選手は1000万元(約1億5000万円)、2000万元(約3億万円)を軽く稼いでいたとされる。

 こうした歴然とした「経済格差」の中で、種目別協会は競技人気を高めようと、金メダルや人気選手の話題を投げ込み、火に油を注ぐように飯圏を煽ったと言われている。

 しかし、今回の「事件」をきっかけに、中国のスポーツ総局は傘下の各種目別協会に対して、飯圏活動への厳しい対処を厳命した。それを受けて、体操協会、卓球協会が次々に「過剰なファン行為」に対し、「刑事罰も含めた処分を行う」と取り締まりを行っていくことをわざわざ宣言したが、それは実のところ、それぞれの協会による「立場表明」でもあった。

 いったん燃え上がった飯圏は、このまま沈静化していくのだろうか。中国のスポーツ業界は大きな困難に直面している。


No.620 ★ 病気・政変・失脚…習近平をめぐるデマが大拡散した理由、インプ稼ぎか 認知戦か、それとも?

2024年09月03日 | 日記

JBpress (福島 香織:ジャーナリスト)

2024年9月2日

この夏、習近平国家主席に関する噂・デマ・ゴシップが数多く駆け巡った(写真:新華社/アフロ)

中国では7月中旬に三中全会が行われ、8月上旬に恒例の北戴河会議が行われた。この2つの重要な会議の間、習近平をめぐるさまざまな噂、デマ、ゴシップが国内外を駆け巡った。中国政治の秘密主義、不透明さを思えば、こうした噂、ゴシップが起きやすいことは理解できるのだが、今年の夏の政治的噂、デマの多さは異様だ。その背景について考えてみたい。

 7月、三中全会の最中に習近平が脳卒中で倒れた、という噂が流れた。その後、7月30日から8月19日まで習近平は公の場所に姿を現さなかったので、病気ではないか、肝硬変が悪化し肝臓移植の手術を受けた、といった噂がいくつも流れた。

 8月に入り北戴河会議が始まると、政変、クーデターの噂が相次いだ。たとえば、李強や蔡奇が習近平から離反したとか。解放軍制服組トップの張又侠・中央軍事委員会副主席と公安部部長の王小洪が手を組んで、習近平を拘束したとか。紅二代メンバーらが、共青団派の生き残り政治家、元政治局委員の胡春華を後押しして習近平から実権を奪ったとか。

 さらに温家宝が北戴河会議で習近平の腹心、蔡奇らを痛罵したとか。長老たちが習近平に反省をせまり、習近平に鄧小平路線回帰を受け入れさせた…などなどだ。

 7月30日から8月19日まで、習近平の動静が不明となったこともあり、病気説、政変説、失脚説が飛び交った。ざっくり数えると30くらいの異なる噂が錯そうした。

 こうした噂、デマはおよそ3つに分類される。1つが習近平の健康にかかわる噂。もう1つが習近平失脚の噂。そして3つ目が習近平の政策路線転換の噂。

 もう少し噂の具体的な中身を見てみよう。

デマその1:脳卒中説

 まず習近平の脳卒中説は紅二代の証言なるものが在外華人知識人たちの間で流れた。CCTVの三中全会報道で、習近平の写っている映像があまり取り上げられていないこと、閉幕日に閉幕式の中継がおこなわれず、またその日の夕方のCCTVの定時ニュースでも、閉幕式の映像が使われなかったことが、こうした噂の拡散に拍車をかけた。

 閉幕日の夜には習近平がきちんと出席している閉幕式映像が配信されており、一応、この噂は「デマだった」ということになったが、一部では「噂を打ち消すためにつくられたフェイク映像ではないか?」といった噂も広がった。習近平は脳動脈瘤、糖尿病、肝臓の病があるといった噂があり、会議中に習近平だけ2杯分の茶杯があるのは1杯が漢方の煎じ薬であるという、健康問題の「噂」は広がりやすい素地があった。

習近平国家主席だけ2杯分の茶杯がある(写真:新華社/アフロ)

 ただ、中国共産党指導者たちが受ける医療水準は世界最先端であることは間違いなく、脳動脈瘤や糖尿病などで執政不可能になるとは常識的には考えにくい。

 次に政変デマだ。

デマその2:政変説

 これは8月19日にベトナム共産党のトー・ラム書記長との会談で完全に否定された。20日はフィジー首相、パリ五輪選手団との会見、全国人民代表大会(全人代)列国議会同盟(IPU)加盟40周年記念行事・第6回発展途上国議員セミナー参加の外国議員らとの会談と三連荘の外交パフォーマンスを見せ顕在ぶりをアピール。8月29日にはサリバン米大統領補佐官と会談、クーデター首謀者と噂されていた張又侠もこれに先立ってサリバンと会談しており習近平と解放軍不仲説を否定する外交パフォーマンスとなった。

 ただ、三中全会期間中から人民日報など官製メディアが、習近平報道を抑制ぎみにしていたのは事実だ。李強や蔡奇も、演説の中で以前よりも習近平新時代思想の言及が極端に減り、側近たちが習近平と距離を取り始めたのではないか、などという説も流れた。書店などで習近平に関する著書が一番目立つところから撤去される状況もあり、代わりに鄧小平に関する書籍の陳列が明らかに増える現象が起きていた。

 今年の8月22日は鄧小平の生誕120周年なので、それなりの鄧小平記念イベント、記念出版物は増えると予想はされていたが、想像以上に鄧小平記念の報道やイベントが盛り上がり、そのことは習近平の失脚、とまではいかないが、これまでの政策を反省して路線変更するのではないか、という噂の拡散を後押しすることになった。

 さらに習近平の路線変更説もある。

デマその3:路線変更説

 面白いのは、北戴河会議で長老たちに反省を迫られた習近平が、自らの政策の過ちを認め、個人独裁から集団指導体制に回帰するなど「8つのコンセンサス」を長老たちと共有した、という「噂」だ。在米華人政治学者の呉祚来がSNSのXで発信したものが大きく拡散されたのだが、8つのコンセンサスとは以下のとおり。

①習近平同志は、党と国の重大な決定において、政治、経済、外交、軍事の各分野で党と国に悲惨な影響を及ぼした、核心的権威の過度の強調と重大な誤りを深く見直さなければならない。

②中央政府の重大な政策や決定は、一個人によって決定されるべきではなく、個人崇拝を助長するものであってはならない。指導者が仕事に関係のない内容の本を出版してはならず、新聞や雑誌が仕事に関係のない行為を公表してはならない。集団指導体制が重視され、党と国家の重大な決定は、事前の調査とベテラン同志と大衆の意見聴取によって行われるべきである。

③党と政府の分離が重視され、党中央委員会が主要な決定と政策に責任を持ち、国務院は国の行政事務を処理する上で比較的独立しており、党中央委員会は国務院の行政事務にあらゆる面で干渉しない。

④ロシアによるウクライナの侵略、中東テロ勢力を支持せず、米国、西側諸国との関係を改善する。

⑤香港の自治権を尊重し、台湾海峡の平和を維持し、台湾および南シナ海の周辺国家との問題を激化させない。

⑥経済、特に民営経済を中心とした任務を推進し、民生の保障を発展させ、暴力による治安維持を行わず、陳情のスムーズなルートを保証し、マフィア勢力を取り締まり、社会の安定を保証する。

⑦幹部層の育成、特に党と国家の後継者の経験を育て、党と政府の人事原則として各地から平等に登用し、個人を中心としたコネ登用や派閥形成をしない。

⑧政治体制改革を議題のスケジュールに挙げ、草の根の民主、党内民主を強化し、制度的な民主的プロセスを保証して、中国共産党の真の民主化に取り組む。でなければ、人民に対する裏切りであり、初心を忘れれば、必ず人民か見捨てられ転覆させられる。

 さらにもう1条付け加えるなら、北戴河会議は制度化し、1年に1度開催し、退職後の国家指導者も現役の中央委員会常務も参加するべきだ。その職責は主に、中央の任務に対する監督であり、重大な錯誤があれば問責し、挽回不可能な間違いに対しては、指導者の責任を問い、反省、修正、あるいは辞任を求めること。

 退職・現職の正国家級中央指導者、民主党派の指導者、鄧小平ファミリー、江沢民ファミリー、毛沢東ファミリーから鄧樸方、江綿恒、毛新宇が参加した会合で、習近平がこうした反省をさせられた、というのだ。

 もう1つ興味深い噂は、温家宝が北戴河会議で、習近平の腹心である蔡奇と李希を名指しして、「文革時代の極左思想に回帰している」と批判した、というものだ。

デマその4:温家宝ブチ切れ説

 ネタ元はオーストラリア在住の華人法学者の袁紅冰で、本人が体制内の良識派筋から聞いた話、という。温家宝はこの時、「改革開放の流れ逆走することは、長江や黄河を逆流させるようなものだ」とブチ切れた、らしい。

 ちなみに温家宝がブチ切れた理由は北京青年報が8月5日から3日連続でキャンペーンを展開した「トランプゲームの摜蛋禁止令」で、これは蔡奇が主導で行った「反腐敗キャンペーン」の一環だという。

 このカードゲームは金融官僚の間で流行しており、「接待麻雀」のような感じで欧米金融マンとの交流にも利用されたりするのだが、蔡奇はこれを「退廃を助長するカードゲーム」と禁じるキャンペーンを北京青年報紙上で仕掛けたのだという。温家宝はこうした息抜きガードゲームですら、党として禁じる蔡奇らのやり方が、文革時代の四人組に似ていると感じて「切れたのだ」という。

「8つのコンセンサス」も、「温家宝が蔡奇、李希を痛罵」も、ともに裏は取れない。だが、ちょうどその頃、鄧小平生誕120周年報道が異様なほどに盛り上がっていたので、これは習近平が反省している証ではないか、という人もいた。

 この夏に流れたこうした噂、ゴシップについて、おそらくはすべて、デマであろう。だがすでに、多くの人にとってそれが「裏のとれた事実であるか」ということは重要ではなくなっている。とりあえず、こうした噂を拡散することに意味があるのだと思う。

 主に3つの理由があろう。

デマが大拡散した3つの理由

 1つはかつてないほどのSNSの発展があり、SNSのインプレッションは在外華人ウォッチャーたちの重要な収入の1つであるということがある。だが、もう少し深くみれば、習近平の健康不安、習近平失脚、習近平の路線転換の話題をアップすれば多くのインプレッションを稼げるということは、多くの国内外の中国人、中国に関わる人たちがこうした状況になってほしい、起きてほしいと思っている、ということだ。

 もう1つは、在外華人たちによる暗黙の共闘での「認知戦」が仕掛けられているのではないだろうか。言霊ではないが、言い続けていればそれが現実になる、という思いがある。

 嘘でもデマでも、それを人々が口にし、噂しあうことは人々の認知に作用する。中国が国内の人民や、日本や米国、台湾などの世論に影響を与えるべく情報戦、認知戦を仕掛けていることは有名だが、共産党から国を追われた在外華人民主活動家や法輪功学習者らは、逆にSNSや動画配信サイトを通じて中国の官僚や人民、社会に対する認知戦を仕掛けている、と考えられないだろうか。

 3つ目は、習近平自身への心理攻撃という見方がある。習近平自身が、自らの健康や、権力維持能力、部下たちの忠誠心や人民の支持などに、極度な不安を感じているのは間違いない。こうした不安を一層煽る目的で、アンチ共産党の在外華人やチャイナウォッチャーたちがデマとわかっていても噂をまことしやかに拡散しているのかもしれない。

 習近平は心配で夜も眠れず食事ものどを通らなくなり、最終的には個人独裁や社会主義回帰路線を修正したり、あるいは自ら引退を決意したりするようになればよい、という願いをこめて。

 もっとも、認知戦のつもりでデマやゴシップを真実らしく拡散しすぎるのは考えものだ。拡散している側の認知もゆがむからだ。そうなれば習近平政権の状況を見誤ることになり、それが1つのリスクとなる。噂はほどほどに。裏をとり続けるジャーナリズムの意義は失われてはならない。

福島 香織(ふくしま・かおり)

ジャーナリスト。大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002~08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。主な著書に『なぜ中国は台湾を併合できないのか』(PHP研究所、2023)、『習近平「独裁新時代」崩壊のカウントダウン』(かや書房、2023)など。

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