Carnal Engagement

大人のための真面目な blog

客の勘違い

2006-08-29 15:39:30 | ソープ
主婦…でもソープ嬢 で、姫が仕事以外でもSEX好きだと誤解する客についての話が出ている。まったく困った客が多いものだ。
しかしこの問題は、もちろん悪いのは誤解する客なのだが、客を誤解させるような環境というものも絡んでいる。具体的に言うと、客の誤解を煽るようなメディア、ならびに時代の変化である。今回はそれについて書いてみたい。

実は私が昔通っていた姫の一人も、一時期痴女キャラで売っていたことがあった。店のWWWサイトでのプロファイルはもちろん、雑誌のインタビューも「プライベートのときも欲求不満で体がうずいてくると逆ナンしてた」など、かなりめちゃくちゃな内容になっていた。当時はそれでかなりの人気があった。本気にしていた客が結構いたらしい。
もちろん実際にはそんなわけがない。この姫には痴女キャラに切替える前から通っていたので良く知っている。店外デートしたこともあるが、店の外では本当はシャイな女の子だった。それだけ痴女キャラとしての演技がうまかったということだろう。

また、別の姫からは、この姫は長く通う前に上がってしまったのだが、裏を返したときにこう言われたことがある。「carnal さんのエッチがあんまり気持ち良かったから、休みの日も思い出して一人エッチしちゃった」と。もちろん私がそれを本気にするわけは無いが、そう言って気分を盛り上げようとしてくれている姫の気持ちはとても嬉しかったので、こちらも嬉しそうに「本当に?じゃあ今日はもっと気持ち良くしてあげるね」とベタな返事をしてしまった。当然姫も嬉しそうに笑ってくれるので、気分が大いに盛り上がったことは言うまでもない。
しかし、あのかわいらしい笑顔でそういうことを言われたら、本気にして勘違いしてしまう客も少なくないのではなかろうか。「じゃあ次の休みの日には一人エッチじゃなく俺がしてあげるよ」とか言ってしまう客も結構いそうに思える。いやそれにしても思い出してみると良い子だった。たぶん今の馴染みの次ぐらいに。

こういったケース以外でも、痴女的な売り方をするWWWサイトや雑誌はよくある。また姫の営業用blogでも「普段からSEX大好きでーす」的なキャラ作りをしているものがたまに見られる。姫の売り込み方はいろいろあると思うが、そういう「SEX大好きというファンタジー」が売り方の一つとして定着してしまっている。
客がこれを「宣伝用のファンタジー」だとちゃんと理解すれば問題無い。しかし男性客というものは、「それが現実であって欲しい」と願う生き物なのだ。男性に限らず人間は、本当の現実よりも、自分がそうであって欲しいと思う願望の方を、信じてしまう。結果、ファンタジーを現実と信じ込んでしまう客が大量生産されることになる。

ファンタジーを信じ込む客が増えると、姫に迷惑が及ぶわけなのだが、興味深いことに、自分を痴女キャラで売る姫は、その被害をほとんど被らないのだ。そういった姫は、勘違い客のあしらい方も上手なもの。勘違い客ばかりが押し寄せても、うまく捌いて売上にしてしまう。
問題は、ファンタジーを「ソープ嬢はみんなSEX好きだ」という風に拡大解釈してしまった客が、痴女キャラで売るつもりもない姫のところにやってきた場合である。これは本当に迷惑な話だろう。なのだが、業界全体がこういう構図の上に成り立っているので、なかなか何ともしがたい話でもある。

というのが「メディアが勘違いを煽っている」の話だが、もう一つ、「時代の変化」についても、考えたことを書いておきたい。

勘違い客というのは最近になって突如発生したものではない。300年以上昔の吉原の遊廓には、今よりも遥かに勘違い客が多かった。客を勘違いさせてつなぎ止めようとする話はいくつも伝わっている。日本の勘違い客というのは、諸外国の売春事情と比べても明らかに多く、日本の伝統文化なのではないかとさえ思う。
この客の勘違いというやつは、300年前であれば問題にならなかったのだ。姫は吉原の壕の中に閉じ込められていたから、「休日に店外デート」などありえなかった。客がファンタジーを現実だと信じていても、客は姫に手出しできなかったのだから。だから、客の勘違いは、売上を増やすための策として、むしろ積極的に奨励されていた。
ところが時代が変わり、状況が少しずつ変わって来た結果、勘違い客のデメリットがメリットを上回るようになってきた。いまや姫も廓に縛り付けられているわけではなく、休日は自分の生活を持っている。これは良いことに違いないが、同時に、客が姫に手出しできる余地が生まれて来たということでもある。そして何より変わったのは、携帯電話の存在だ。
上にも書いた通り、「客を勘違いさせる」という売り方は、現状で、メディア/店/一部の姫から是認されている。それは、吉原の時代から脈脈と続く伝統なのではないかとも思う。しかし時代が変わった結果、もはや「害の方が大きくなった」という気がしている。その時代の変化に、メディアや店や姫が追い付いておらず、そのしわ寄せが出ているのではないだろうか。

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