ぷらぷらholy

2000年にやってきた、黒ラブ犬holyとお絵描きが仕事のぷらぷら日記

恩師について

2013-02-10 01:35:27 | 出会った人
何か自分の中で変化があったのか、
それとも単に年を取ったのか

最近、無性に会いたい先生が思い浮かびます。



その名は鶴崎熊太先生。
ニックネームは当然「クマタ
高校の美術の先生で、当時すでに60代でした。



小柄で丸味ですがひきしまった身体。

他の年下の先生がぺたぺたと疲れた様に歩くのに
すたすたと大股で、通りすがりにばちんっと肩を
叩かれる事度々。

とにかく元気がいい、はっきり、すっぱり、
生徒の思いを汲んで、、、なんてナイナイ。


美術を選択して、美術部に入ってて、クマタのデッサン塾に行って、
しかも家が同じ町内さん。

だからといって、特別に親しみを持ってたわけでもなく
とにかく、その元気さに
「ふーん」と思うだけの、なんとも解ってない高校生だったのです。


そんな中でもふと思い出す、クマタの言葉。(武田鉄矢調になってきましたか?)


明治生まれのクマタは鹿児島男児。
絵を志して上京を決意した時

「船に乗って故郷を離れる時は、もう生きて戻ってはこれまいと
覚悟しましたよ!!」

そう、絵を描くという事、
しかも男子が一生の仕事にしようと決意するなんて
大変な時代だったのです。

今、この年になってからようやく、想像ができます。





やってもやっても、終わらないデッサンに
「嫌気がさしましたっ」と顔に出た時

「絵を描く人が面倒くさがったらいかんのじゃ」
と絵を修正しながら言ってくれました。


そう、今なら解ります。




社会人になって、ぱったり町内で出会った時に
仕事の話をすると

「女の人も仕事を持ってる方がええですよ」
とぽつりと柔和に言ってくれました。


なんだかクマタが年を取ってしまったと寂しかった。





「恩師」というと、金八先生や夜回り先生の様に
どうしようもない窮地から、一緒にもがいて助けてくれた・・・
というドラマチックな設定を思ってしまいますね。

そんな場面はカケラもないのですが



でも、今こんなに
会って話を聞きたい

声を聞きたい



亡くなられた事を伝え聞いた時にも
沸いてこなかった思いが今、
出てくるのは何故か?と言う事よりも



クマタに出会った事は私の宝といえる、
そんな先生を「恩師」と
私は思うのです。


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