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Retro-gaming and so on

マンガ版「転生したらスライムだった件」18巻

もうアニメの「転生したらスライムだった件」は駄作だ、と決定したので全然観ていない、と言って良い。全く期待もしてない。
しかし何度か言ってるが、原作小説は好きだし(Web版もマイクロマガジン社版も)、コミカライズ作品も大好きである。
で。
新刊であるマンガ版「転生したらスライムだった件」18巻発売。講談社の月刊少年シリウスと言うドマイナー雑誌に連載されているマンガの単行本の最新刊である。これで巻数的には原作小説版と並んだ。
(とは言っても、原作小説で換算すると6巻分しか進んでいない。マンガ3巻分で小説1巻分、と言う割合ではある。)

ちなみに、月刊少年シリウスを「ドマイナー雑誌」と腐してるように見えるかもしれん。いや腐してるんだけどさ(笑)。しかし同業他社、例えば角川書店なんかのクソマイナーマンガ月刊誌とは意味が違うのだ。講談社が擁してる、と言うのだけで全く意味が変わってくる。ちと解説しよう。
実は講談社は元々、少年マガジンみたいな業界一位の売上実績がある「大メジャー雑誌」を擁してるんだけど、同時に、小学館・集英社・白泉社の一ツ橋グループに比べるとマイナー雑誌を抱える率も高いのだ。
しかもただ単に抱えてるだけじゃない。「そこそこ売上を誇る」雑誌へと育て上げるノウハウがあるのだ。
例えば、週刊モーニングとか。今は同社のヤングマガジンを追尾するヤング誌として看板雑誌化しているが。1982年の創刊時は隔週刊のまさしくマイナー雑誌だった。
しかし実力ある新人作家の発掘、埋もれてる実力作家の発掘、またはメディアミックスを仕掛けたりして、週刊雑誌化し、あれよあれよと講談社の看板雑誌化に成功している。この辺、イブニングだ何だ、ってのも後続させてて、知名度を上げる事にも成功してるのだ。
つまり、そんな「マイナー雑誌を育てる」ノウハウがある講談社の雑誌である月刊少年シリウス。決して舐めてはいけない雑誌なんじゃねーか、って思ってる。もう講談社の雑誌ってだけで角川の月刊少年エースなぞの真のマイナー雑誌と立位置が違うのだ。

まぁ、別に月刊少年シリウスを買って読んでるわけではない。
が、このマンガ版「転生したらスライムだった件」。力の入れ具合が半端ないのだ。
まぁ、悪口と取ってもらえて構わんのだが。通常、「ラノベの漫画化」なんざやる場合、どこぞの同人誌上がりの実力があるんだかねぇんだか分からん知名度ゼロのやつに漫画を描かせる。当然ネームも酷かったりして。同人誌上がりなんだから原稿料もクソやっすいんだろうなぁ、とか思うような出来のブツが殆どだ。
差別的?でもそうなんだよ。スクエアエニックスの雑誌なんぞ読んでるから、フツー、如何に「ラノベのコミカライズ」ってのが酷いのか良く分かってるのだ。それくらい酷い。酷いのばっかだ(例外もあるけど)。
ところがマンガ版「転生したらスライムだった件」は違う。コミカライズを担当している川上泰樹と言う作家。ぶっちゃけこの人の事は良く知らん。ひょっとしたら彼も同人上がりなのかもしれん。しかし、「講談社の雑誌に描ける程に」滅茶苦茶実力があるのだ。つまりそういう人を見つけてきただけ、講談社の実力とか判断能力とか、そういうモノが三流な同業他社と違う、って事にならないか?テキトーな仕事じゃないのだ。ラノベのコミカライズでさえ「本気で」やってるのである。それが講談社、と言う会社なのだ。
そしてこの川上泰樹って作家のマンガ家としての能力がホント桁外れだと思うんだ。ラノベの漫画化だけじゃなくって彼個人が描いた彼の作品も読みたいモノなんだが・・・性質的にはひょっとしたら小畑健なんかに近いのかもしれんが。
んで、これも言っちゃイカンのかもしれんが。小説のマイクロマガジン版の挿絵そのものが別に「上手い」って程じゃないんだよ。どっちかっつーとラフスケッチ程度で決して素晴らしい絵である、とかキャラクタデザインである、って事はぶっちゃけ「無い」。その辺がマイクロマガジン社の正直、出版会社としての格、っつーか能力の限界、だと思ってるわけだが。
ところが、そこに川上泰樹と言う作家が手を加えて、漫画として絵を動かしてはじめてキャラが魅力的になったのだ。マイクロマガジン版のオリジナルのキャラには全然命が吹き込まれてるたぁ思えないわけだが、マンガ版には命がある。それはとにかくこの川上泰樹って作家の天才的な能力のおかげである。間違いない。それくらいこの人は上手い。格が違うのだ。

あとネームの切り方とかがとにかく秀悦。いや、マジでこの人褒めるトコしかねぇんだよ。
元々「転生したらスライムだった件」は「なろう」で生まれたわけだが、マイクロマガジン版はその「なろう」版そのまま出版してるわけではない。色々とエピソードを膨らまして肉付けして出してるんだな。
特に。例えばリムルの「真の敵」、要するにそれら一味の会話等が「素性を隠して」小説の冒頭に掲げられたりしている。これはWeb版と違って小説として出版する以上は面白いやり方なんだよ。これはこれで良い。
ところが、この川上泰樹って人はこういうのは全く「漫画化に向かない」ってんでバッサリ斬ってるんだよな。この辺の判断力が凄い。いや、ひょっとしたら編集の判断なのか?いずれにせよ、「完全漫画化」するよりも「マンガとしてテンポが悪くなりそうなブツ」ってのを斬っちゃう事が出来るわけ。この辺の思い切りの良さ、ってのがマンガ版「転生したらスライムだった件」のテンポの良さに繋がってるんだ。
こう比較してみると、どうしてアニメ版がダメで、マンガ版が傑作なのか、って理由が良く分かるんじゃないか。アニメ版はとにかく「完全版にしたい」とやってんのか、テンポが悪くなるエピソードもキチンとやろうとして失敗してるわけ。



例えばな、シズさんの幼少時のエピソードとか。シズさんが宿したイフリートを制御出来ずに友達を焼いちゃう話。これは小説として考えてみれば「肉付け」としてはアリなんだよ(これは「なろう版」では元々無かった話なのだ)。
マンガ版は思い切ってこのエピソードを外した。つまりテンポで考えた時、明らかに悪くなるので、取捨選択としては「捨」にするしかない、と。川上泰樹って漫画家はその辺を良く分かってたわけだ。
ところがアニメ版は律儀にこのエピソードをアニメ化しちまった。そしてそのせいでテンポが悪くなり展開がイマイチ重くなる。もう一度言うけど元々このエピソードはWeb版には無かったのだ。つまり物語展開上「必然か?」って言われるとそれは違うんだよ。川上泰樹氏はそこが分かってたけど、アニメの監督は分からんかった、って事だよな。
アニメ版はこういう「細かいミス」を延々とやってるわけ(そしてそれが「取り返しがつかない」程蓄積しまくってる)。川上泰樹氏はそういうミスが全くない。これで考えるだけ、川上泰樹氏って人はもう才能の塊なんじゃないか、ってのが良く分かるだろ?取捨選択がとにかく上手いのだ。

あと、逆に例えばこういう例もある。
リムルは死亡したシオン達を蘇生する為に真なる魔王になる事を決意する、と。そしてファルムス王国の軍二万を壊滅させるわけだ。そしてそれによってリムルの進化がはじまり、部下のモンスター達も進化がはじまるわけだが。
この辺、ちょっとマイクロマガジン版から引用してみようか。

リムルは深い眠りにつく。
意識は既に手放され、流線型すら維持出来ず、不安定な状態になっていた。
リムルの意識の届かぬ、深い深い闇の中で。

<<告。魔王への進化(ハーベストフェスティバル)が開始されました。身体組成が再構成され、新たな種族へ進化します。>>

<<確認しました。種族:粘性生物(スライム)から魔粘性精神体(デモンスライム)への超進化・・・・・・成功しました。全ての身体能力が大幅に上昇しました。物質体(マテリアル・ボディー)と精神体(スピリチュアル・ボディー)の変態が自在に可能になります。固有スキル『無限再生、魔力操作、多重結界、万能感知、万能変化、魔王覇気、強化分身、空間移動、黒炎雷、万能意図』を獲得しました。続けて各種耐性を再取得します・・・・・・成功しました。『痛覚無効、物理攻撃無効、自然影響無効、状態異常無効、精神攻撃耐性、聖魔攻撃耐性』----- 以上を獲得しました。以上で進化を完了します。>>

つまり、マイクロマガジン版では「能力進化」に重きを置いてる記述になってるわけ。アニメ版でも当然そこをそのまま映像化してるわけよ。


ところが、川上泰樹って人の手にかかるとこの「無機質な」「スキル獲得が一番重要に思える」シーンが次のようになる。彼の才能が桁外れだ、って事の証明になるだろう。



リムルは真なる魔王になる過程で意識が無くなる。しかしどうしてそこまでになってるのか、と言うと、自分を敬愛してくれて憎からず思っているシオンその他の配下のモンスター達を蘇生したいから、だ。
なんか、んなこたぁねぇんだろうけど、原作者自身でさえそういう「リムルの動機」を忘れてたんじゃねぇの、ってくらい件のシーンは無機質なんだけど、川上泰樹と言うの人の手にかかるとまるで夢のように描かれるのだ。
リムルの下を立ち去りそうになっている「死者」達。しかし彼らを「引き止められた」ような夢になっている。まるで雲の上のような場所で。
人によっては宮崎駿の「紅の豚」の1シーンを思い出すかもしれない。ポルコ・ロッソは「引き止められなかった」側の人間だ。リムルは引き止められた。
そしてこのシーンを「真似だ」と揶揄する人も出てくるだろう。が。
適切なトコに適切なシーンを入れられる事以上の「才能」ってモノがあるだろうか?原作小説版をただ単に「アニメに転写しよう」としたアニメ版以上に川上泰樹って作家は「仕事をしてる」のだ。そしてここが明らかに感動的なシーンとなっていて、この直後の「蘇生」が上手く行く筈だ、と言う予感になっている。原作以上のシーンを彼は描ききってるのだ。
分かるか?川上泰樹って漫画家の才能が。凡百の才じゃないのだ。

と言うわけで、川上泰樹って漫画家を獲得した以上、マンガ版「転生したらスライムだった件」が失敗するわけがない。彼を見つけてきた講談社はマジ偉大なのである。

と言うわけで長い前フリだったな(笑)。マンガ版「転生したらスライムだった件」、最新刊第18巻。対クレイマン戦でまたもや川上泰樹と言う漫画家は今まで以上に縦横無尽にリムルやその他の愛すべきキャラ達を描ききっている。もう絶好調でノリノリだ、って言って良い。
また、本来だったら原作でも、一つの山場と言うのはこの辺なのだ。つまり、アニメ化とかして、1期としてのエピソードは本来「ここまで進まなければならない」んだよ。ここまで到達せんと「尻切れトンボ」なの。


後に配下となるアダルマン vs. シュナの戦闘も見どころ。アダルマンはWeb版にも登場してたが、若干改変されてて、マイクロマガジン版では登場時は魔王クレイマンの配下となっている。

ワルプルギスの夜辺りでの対クレイマン戦と言うのは大まかなエピソードは同じだけど、細かい部分で「なろう」版とマイクロマガジン版は随分と異なっている。
そしてバトルが大盛り上がりになるのはこの対クレイマン戦である。
そのマンガ版、存分に楽しんでもらいたい、と思うのだ。
当然19巻も楽しみである。
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