見出し画像

Retro-gaming and so on

Who is the "My Dress-Up Darling"?

さて、またもや「その着せ替え人形は恋をする」ネタ。

実はこのマンガ、昨年から英語版がリリースされている。
英題は"My Dress-Up Darling"だ。
どうやら結構売れているらしくって、「その着せ替え人形は恋をする」でググると"My Dress-Up Darling"が検索上位に引っかかるようになっている。
すげぇ、スクエア・エニックスのクセに世界でマンガ売り上げてやがんの(笑)。
いや、マジで正直なトコ、「スクエア・エニックスのクセに」である(笑)。

ところで、例えば今年(2021年)の5月7日に発売されたヤングガンガンNo.9に掲載された第57話の扉を見てみると、だ。


ちょっと見えづらいかもしれないけど、左上に英題が載っている。
ちと拡大してみよう。



そう、どうやら元々想定してた英題は

The Bisque doll is falling in love

なのだ。
邦題の直訳、と言うなかれ。捻りも何もない、とは言っても特に英語的に問題があるわけでもないし。マジでそのまんまである。それで良い筈なのである。
僕はあんま雑誌をずーっと持ってるタイプじゃなくって、適度に捨ててる方なので、直近でこの英題も併用されてるヤツを探しただけ、なわけだが、この英題が載ったのはこの回だけではない。もっと前にも見た記憶がある。
ところで、英語版Wikipedia(このページ自体が今年の2月にはじめて作成されている)だと次のようになっている。


そう、ここでは原題(邦題)の意味が

The Bisque Doll That Fell in Love

だと紹介されている。
使ってる単語は似たようなカンジだけど、これだと日本語でのニュアンスは恋する着せ替え人形であって、違うよな。
まあ、こういうカンジで完全文をタイトルとするか、名詞を中心にタイトルとするか、はだいぶ印象が違う。
ハッキリ言って、スクエア・エニックスがしばしば雑誌に表示してた「直訳」が実は一番正しいのだよ。英語話者だと「ヘンなタイトルだよな・・・?」って思うかもしれんが、それはそういうモンなのだ。
大体、ブレード・ランナーの原作である、フィリップ・K・ディックが書いた「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(英題: Do Androids Dream of Electric Sheep?)だってヘンな題名だな、とか思ったモンだ。映画の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(英題: The Postman Always Rings Twice)だってヘンなタイトルだった。
元々名詞でタイトル作って完全文にしない、って文化はむしろ日本側のモノで、英語話者の文化じゃねぇんだよな。



昨今ラノベの長いタイトルのせいで、逆になったような印象だが、そもそも英語圏では、仮に「The Bisque doll is falling in love」がタイトルだ、って言われてもそんなにおかしな印象にはならない筈なのだ。
そう、筈なのだ。

何故に原題にそぐわないタイトル(いや、実は"My Dress-Up Darling"は英題として見るとかなり優秀ではあるんだけど、その話は後述する)に変更したのだろう?
ザックリ調べてはみたんだけど、これと言った原因はどこにも書かれてなかった。と言うか発見出来なかったと言うか。
ただ、時系列で前後を調べると、恐らくこうだったんじゃないか、と言うちょっと面白いカンジの事が分かった。いや、それが本当かどうかは知らん。従って責任は負わない。ただ、多分こういう理由だったんだろ、と言うある意味「予想」である。

そもそもスクエア・エニックスは海外に出版社を持ってない筈だ。そして日本国内の流通でさえズタボロなのに、海外展開出来る余力があるわけでもない。
調べたカンジ、スクエア・エニックス関連のマンガで、スクエア・エニックス自身が海外出版するはじめてのマンガとして「その着せ替え人形は恋をする」が選ばれたのだ。まぁ、ある種名誉な事だよな。
でもこれにはちとメンド臭い事情があるんじゃないか、ってのがここから書いてく予測である。ネット時代ならでは、の。
大体、基本的にスクエア・エニックスの雑誌に連載されてるマンガは面白くない。従って雑誌として見ても面白くない。だから海外の日本フリークでもまず手に取る筈がない雑誌なのだ。週刊少年ジャンプとは全然違うのだ。
ところがよ。どういうわけだか。偶発的にこの作品、「その着せ替え人形は恋をする」が向こうの、海外のアニメ・マンガフリークに知られる事となるわけだ。
んで、ここで出てくるのが海賊版サイトなの(笑)。有志のヤツらが雑誌をスキャンして、英訳して纏めたサイトを作ったりしたわけだな(ヤングガンガンの、ではなくって「その着せ替え人形は恋をする」の、である)。向こうのヤツらって何でも「取り敢えずやってみる」んだよ(笑)。んでそんな中で「その着せ替え人形は恋をする」がジワジワと人気を上げてきたわけだな。
それでだ。その海賊版サイトで「その着せ替え人形は恋をする」を英訳した時に付けたタイトルがどうやら「My Dress-Up Darling」なんだよ。多分。そうすると「何故タイトルを敢えて変えたのか」の説明が付く。日本からググった時、直訳だとすぐバレる可能性があるから、だよな(笑)。
2018年初頭に連載がはじまった本作。実はあっと言う間に海外のオタクに名を知られる事になり、海賊版として英語版が作られて知名度が上がった。
ところがそうなれば当然権利者、ないしは権利者代理が動き出すよな。
そう、ここでスクエア・エニックスが動くんだよ。2019年には「その着せ替え人形は恋をする」の海外版を発売する事を発表する。実際は単行本発売は2020年になるわけだが、面白い事にこの時のスクエア・エニックスの動きはアタマが良い。海賊版サイトを潰す事を後回しにして、むしろ「海賊版で人気が出た本作」を本家本元がリリースする、って事でその人気を全部かっさらおうとしたみたいなんだよな。
従って、既に知られていた海賊版のタイトル、「My Dress-Up Darling」を正式採用する事にしたわけだ(笑)。すげぇな、と。本家による乗っ取り、だよ(笑)。
いや、これ実は時系列で見た範疇での「予想」なの。多分こういう動きだったんじゃねぇか、と。ただ、これが正しいとしたら、出版社としてのスクエア・エニックスは殆どクソなんだけど、社員の中にやたらアタマが良いヤツがいる、って事なんだよ。
だってさ。もちろん「ヤングガンガン」って雑誌の海外版を出す程の体力も能力もねぇわけじゃん?そんな中で海賊版がこの作品を広めてくれて、「それを宣伝として利用して」単行本を向こうで売ろう、とかすげぇ戦略じゃねぇか(笑)?目からウロコっつーかよ(笑)。
なんでこんな切れ者がヤングガンガンの編集長やってないんだ(笑)?この人がリードすればヤングガンガンとか、売上No.1の青年向け雑誌になるだろ(笑)。いやマジで(笑)。

海賊版サイトは基本的に雑誌「ヤングガンガン」をスキャンして英語訳載っけてるわけですが。
ここでさ、著作権に煩い人とか海賊版放置しててエエの?とか思うかもしれないけど。
もちろんよくない。しかしちょっと考えてみて欲しい。
仮に「ヤングガンガン英語版」なるものを作るとして、それを向こうの流通に乗せられるのかあるいは売れる雑誌になるのか、とか。日本でさえ相当売上が怪しい雑誌なのに(笑)、そういう「英語版編集体制」を作る方がコストがかかってリスキーなんだよ。
んでな。キツい言い方するとこの「雑誌をスキャンした」海賊版だと著者の福田晋一氏は一銭も損をしないのだ。と言うのも彼女には既に「原稿料」が支払われてる。ヤングガンガンと言う雑誌が1万部売れようと10万部売れようと、実は基本的に原稿料は変わらない。
つまり、海賊版の英訳サイトがあっても、最悪ではスクエア・エニックスが損するだけで福田センセは一銭も損しない。それどころが、ヤングガンガン英語版がリリースされない以上、宣伝媒体は海賊版しかなく、逆にこのビジョンが成功すれば、日本で売れる以上に単行本が結果売れて、福田氏には日本で稼げる以上の金が入ってくる、って事である。ドラゴンボールバブルも夢じゃないだろう。
結局、スクエア・エニックスは海賊版のお陰で一銭も損する事無く、海外で自社の単行本を宣伝し、売ることが出来、福田晋一氏にもこの図が成功すれば巨額の富をもたらす可能性があるわけである(*1)。
誰やねん、こんな見事な画を描いたヤツは(笑)。ホンマ切れ者じゃないか。

多分そういう意図があって、言い換えると「売れない雑誌だからこそ」取れる戦略ではあるんだよな。週刊少年ジャンプだとそうは行かなかっただろ、ってのがホントのトコだ。

さて、英語の勉強をしようか(笑)。
この(恐らく「海賊版生まれの」)英題"My Dress-Up Darling"であるが。
これはこれでなかなか上手い題名の付け方だよな、とか感心してる。

元々原題である邦題「その着せ替え人形は恋をする」が何を表しているのか。
単行本で言うと二巻辺りまでハッキリしなかったんだけど、ある時点からヒロイン喜多川海夢の事だ、ってのが確定したのだ。
主人公五条新菜の心情はともかくとして「恋に落ちてる」のは間違いなく、ヒロイン喜多川海夢の方だ。従ってタイトルは彼女の「状態」を表している。



↓ちなみに英語で「しゅき♡」は"I wuv him!♡"との事(笑)。



一方、"My Dress-Up Darling"と言うタイトルが一体誰を表してるのか。ちとよく分からんのだよな。っつーか分からんように作ってる、と言うか。

Q: Who is the "My Dress-Up Darling" reffering to? Choose one of them listed below.

1. Wakana Gojou
2. Marin Kitagawa

とか言う問題あったら困っちゃうっつーかねぇ。

一見「ドレスアップ」してるのは喜多川海夢なので、当然"My Dress-Up Darling"が指すのは原題と違って、喜多川海夢の「状態」ではなくって喜多川海夢「自体」じゃないとおかしいような気がする。しかも五条くん側からの観点で。
しかし、五条新菜の観点から言うと喜多川海夢はいまだ別に彼のMyではないのだ。
そして彼は喜多川海夢にへりくだりがちだが、別にDarlingと呼ぶようなタイプたぁ思えないしやっぱまだそんな間柄ではない(先走るのは常に喜多川海夢の方である)。
つまり、今のトコ、このタイトル、"My Dress-Up Darling"は五条新菜側から見た喜多川海夢だとすれば苦しい解釈になるんだよな。
反面、仮に"My Dress-Up Darling"が五条新菜の事なのか、と言うと別に彼がコスプレしてるわけじゃないし・・・と引っかかるわけだ。

実はこの英題。日本語の原題よりも優秀なのはダブルミーニングになってる辺り、だと思う。つまり、「五条新菜から見た喜多川海夢」「喜多川海夢から見た五条新菜」、両方共説明出来る可能性がある題なのである。
秘訣はDress-Upと言うイディオム。これは実は自動詞としても他動詞としても使える、ってのがポイントなのである。

dress up
  • 《 自動詞+ 副詞》: (劇・催しなどで)特別な服装をする, 扮装(ふんそう)する.
  • 《 他動詞+ 副詞》:〈人に〉盛装させる./〈…を〉飾り立てる, 潤色する; 実際より美しく見せる.

つまり、喜多川海夢にとって五条若菜は「自分を飾り立ててくれる(他動詞利用)素敵な人」ってなワケで、少なくとも現時点では邦題「その着せ替え人形は恋をする」の意訳としては立派に成り立ってるのである。
確かに、私の素敵な人、って事で題名自体は邦題と違って(喜多川海夢から見た)五条新菜の事を表してるが、これは海夢の心情であり、彼女が恋に落ちてるからこそ彼女自身が使える表現である。
そして最初の解釈の通り、五条新菜にとっても、喜多川海夢が恋愛的な意味で「新菜のモノになったら」海夢も新菜の"Dress-Up Darling"になってくれるかもしれんし、そういう意味ではいまだ将来性のあるタイトルなのだ。
この二つの意味を同時にかけてる、って辺りがこの英題のなかなか優秀なトコだと思うのである(※2)。

しっかし、英語でも"Cosplay"がある程度認知度がある英単語になってる、ってぇんだからビックリするよな。



そもそも"Costume Play"自体が和製英語、つまり日本生まれのスラングであり、元々正しい英語でも何でもない。それが今や世界中で使われているのだ。
CUIはクソだけどCosplayは結果「面白くてシャレた表現だった」って事だ。

なお、「その着せ替え人形は恋をする」はフランスでフランス語版も発売されてる、との事。こっちはスクエア・エニックスは販売自体には絡んでなく、現地の出版社が翻訳・販売してる模様だ。
・・・・・・何故か英題になってて、タイトルは「Sexy Cosplay Doll」との事・・・・・・。こっちは何の捻りもウィットも無い・・・・どうしたフランス人・・・・・・。
こんなんだったらフランス語に直訳で

Cette poupée en biscuit est amoureuse

の方が良かったぞ・・・・・・。orz

※1: 世の中には著作権厨と言う輩がいて、多分この辺の論法は納得いかないだろう。
ただ、まず最初に言っておくが、実は多くの人が勘違いしてるが、法学的に言うと「法律は善悪を決めない」のだ。法律違反は存在する。しかし法律違反をしたから悪なのだ、ってわけではない。法律が決めてるのは妥協ラインであって善悪を決めてるわけではないのだ。ここを多くの人が勘違いしている。法律は倫理ではないからだ(逆に言うと現代では、倫理を法律で決めようとするから色々と不都合が生じてるわけだ)。
例えば、貴方が自家醸造酒を造ったとする。これは酒税法に違反したわけだが、それが貴方が悪人である、と言う事を意味しない。単に貴方が税務署の儲けの敵になった、ってだけで税務署の利益を侵しただけ、なのである。要するに権利侵害が生じたのだな。
そしてこれ、元々酒税法自体が「日露戦争の戦費を稼ぐ為だけに制定された法律」だ、と言う事を忘れてはならない。他に成立理由は無かったのだ。つまり、現時点で原則、消失させて構わん法律なわけだ。分かる?「法律は善悪を決める事を意味してない」と言う事が。むしろ法律自体が悪(いわゆる悪法: 存在意義が無い法律)である場合があるんだよ。
従って、酒税法の現時点での存在理由は「税務署の利益にならん」ってだけの話なの。税務署(ひいては背後にいる財務省)を守る為だけに存在してる、って考えた方が分かりやすいんだよな、利益侵害の構図を借りると、だ。
もうちょっと言うと、著作権法にしても二者の対立、つまり何かしらで利益を被る側と不利益を被る側の間の調整について、が基本である。それ以上でもそれ以下でもないのだ。ただ、著作権法が一つだけややこしいとしたら、作者の名誉を守ると言うあまり実利が無い辺りに食い込んでるトコだろう。
が、ここではその辺の話はカットして、あくまで経済的にどうなのだ、と言う話に絞る。
JASRACみたいな組織があまりにも大きくて邪魔なんで(笑)、この辺の話の本質が見えづらくなってるわけだが。この話のポイントはそもそも言語の壁でマーケットが存在しないトコでの海賊版の扱いと言うのをどう解釈すればいいのか?と言う話になる。
例えば経済学ではこういう場合、海賊版が存在するが為に生じた損益を計算しようとする。「取らぬ狸の皮算用」ってわけだな。「海賊版が存在しなければこうこう利益が取れた筈なので損害はこうこう、です」と。
ところがどっこい、そもそもヤングガンガンは日本国内向けの雑誌であって、欧米向けは端から考えていない。つまり海外マーケットが存在しないのだ。結果、事実上、海賊版があってもなくても利益もゼロ、損害もゼロとしか考えようがない。こういう場合はどうするんだろう?
この辺、凄腕の弁護士なら色々と屁理屈をひねり出すんだろうが(笑)、それはさておき、「言語の壁があるローカルな商売が存在する」これがまずは事実なのだ。むしろ海賊版のヤツらの方が「自分の趣味の為」タダ働きの翻訳ボランティアである。別に庇う気はない。可哀想、とか言ってるわけでもない。単なる事実そのまま、である。
これを是正する為にはスクエア・エニックスが「英語版ヤングガンガン」を制作して英語圏に流通させ、「正しい権利者である」事を周知させ「正しく利益をそこで得る」しかないのである。が、本文にも書いた通り、これは商売として考えて、スクエア・エニックスの能力を鑑みると無理だ。むしろそっちの方が会社ごと破綻する可能性が高い。権利主張の為、ビジネスが破綻するようだったら結果本末転倒なわけである。
つまり、本文で書いたような事が予想通りだったとしたら、スクエア・エニックスは敢えて利だけを取りに動いた、と言うなかなかしたたかな事をやったんだろうな、と言う話である。
余談だが、有名なマイクロソフトの話がある。マイクロソフトは技術的に色々と特許を取っている。でも同業他社がマイクロソフトの特許を侵害しようが何だろうが放っておいておく、ってのがマイクロソフトの基本戦略である。
が、もし「マイクロソフトが同業他社の権利を侵害してる」と訴えて来た場合、マイクロソフトは伝家の宝刀を抜くのだ。つまり、訴えてきた会社が使ってる「マイクロソフトの特許侵害」を逆提訴するのだ。数から言うと訴えてきた会社は全く知らなかっただろうが、後者の方が圧倒的に多い。っつー事は損害額は後者の方が多く、結局提訴側はマイクロソフトと和解するしかない。
これが正しい著作権の使い方、であって、もう一回繰り返すが甘ったるい「正義」とか「悪」の範疇にあるブツではない。それが「法律」なのだ。純粋に利益がどうなのか、と言うのが発想の根幹であるべきであって、経済的損失が生じてまでも振り回すモノでもない、と言う事である。

※2: ただし、本音を言うと、構文的にはともかく、仮にタイトルが喜多川海夢を表してるのなら、五条新菜の観点から言うと"My Dressed-Up Darling"と受動態にならないとおかしくないか、と思っている。
つまり他動詞的になにかをDress-Upしてるのは観点が海夢側だろうと新菜側だろうと結局五条新菜なのだ。と言う事は海夢は常に衣装やメイクとしては受け身、つまり自動詞的にDress-Upしてるんじゃなくって、結局Dressed-Upされてるわけだ。
故に、ここではマジで、海夢側から見ると新菜の事を「自分を着飾らせてくれる素敵なダーリン♡」って思ってるその中身がそのままタイトルとして採用されてる、って解釈の方が妥当なのでは、と思ってる。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「マンガ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事