仕事帰りに品川で途中下車。
「崖の上のポニョ」を観てきました。
アンデルセンの人魚姫を、現代日本を舞台に改作した物語。
崖の上に住む少年・宗介と、人魚のポニョのふれあいと描いた異種交流譚です。
---<以下、ネタバレあり>---
人間になりたい人魚:ポニョと宗介との交流を主軸に、宗介の母:リサが働くデイケアサービスセンター「ひまわりの家」の老婆たちとのふれあいが横軸、ポニョの父で魔法使い:フジモトとの対立、ポニョの母で海洋の女神グランマンマーレとの和解が縦軸となって物語が展開される。
宮崎監督曰く、「子供がはじめて観る映画」を目指したとのこと。
しかし、「宮崎作品を見続けてきた」大人の私としては、宗介が欄干をつっ走るシーンはコナン、海岸線を軽自動車でブッ飛ばすシーンでカリオストロ、海が黄金色に輝いて上昇するシーンはナウシカ…など、往年の宮崎駿ファンをニヤリとさせる構図に喜ぶというやや斜め目線になってしまった(トトロのセルフパロディもあり。あそこは上手い)。
本作は背景が全編に渡って絵本タッチで、かつ日本を舞台にしながらも現実感をあまり出さないようにしており、そのあたりは好き嫌いがわかれそうなところ。
主人公の宗介がいい子すぎることにも、老人からの視点で「現代の子供であってもこうあってほしい」という願望が投影されすぎているようで鼻につきました。
また、ポニョが宗介を好きになる過程が全く描かれていないことや、物語中盤で発生する未曾有の大水害の被害状況などが一切明らかにされないことも消化不良。
無論、作劇上そうした展開を意図的に演出しているのはわかる。
水害の後が腐海になってたら観に来た子供も泣いちゃうだろうし…。
しかしながら、ちょっと子供を舐めすぎではないのか。
基本的に子供は、「大人っぽい世界」を覗くコトが好きだと思っているので、過度に寓話的である必要性ははたしてあったのかと疑問に感じてしまう。
通常の映画であれば必ず盛り込む要素を一切排除したことで、逆に中盤以降の宗介とフジモトの台詞が随分説明臭いものになり、結果的に妙に堅苦しいやりとりが続くことになってしまった。
余談ながら、これは「トトロ」においてトトロの存在に一切の説明が成されないこととは似ているが異なる。
「トトロ」では唯一トトロのみが異世界の住人で、主人公たちが異世界に触れることで物語が展開したため、トトロの寓話性を説明してはいけなかった。
しかし、「ポニョ」では世界そのものが一旦異世界に飲み込まれ、最終的にポニョは人間になって(現実に戻って)物語が収束する。
つまり物語の方向性としては全く逆であり、ゆえにラピュタやもののけ姫ではきちんと成されていた周辺の状況説明("通常の"映画であれば具備すべき要素)をポニョにおいても放棄すべきでなかったのではないか…というのが私の見解です。
声の出演に関しては、クエスチョンマークがついていた長島一茂は及第点…というより、宗介の父という役柄ながら出番はほとんどないことから言われなければ気付かないレベル。
逆に重要な役回りであるフジモト(「海底2万マイル」のノーチラス号に乗っていた唯一の東洋人がモデルと思われる)を演じた所ジョージには、厳しい評点を付けざるを得ません。
ラストシーンは一見ハッピーエンドですが、まだ5歳の宗介にポニョの運命まで背負わせるのは酷な気がしました。
やっぱりこう、初恋の後には失恋があったり、色んな恋愛や体験を積みながら大人になっていってほしいと思ってしまうんですよ。
全く個人的な見解ですが、宮崎駿監督作品で積極的に支持できるのは「魔女の宅急便」まで(正確には「紅の豚」の前半まで)で、以後の作品にも面白いものはあれど前作の「ハウルの動く城」は駄作だと思ってます。
それをふまえた上で、「ハウル」より全体の構成が一貫していた点(オリジナルだからか)と、還暦を越えてなお実験作を出してきたあたりは評価できる。
しかし、内容自体は凡作。
カリオストロ、ナウシカ、ラピュタが超傑作だったことを追認する作業になってしまいました。
宮崎監督にはやはり、(私が想像するところの)自分の欲望に忠実な世界観で物語を構築してほしいなぁ…と。
冒頭、フジモトの海底基地が出てきたあたりではちょっとワクワクしたので、そこからババアの海賊と謎の政府機関とポニョ(もちろん少女形態)&宗介が「生命の水」を巡って鬩ぎ合う大海洋冒険譚を描いてくれたら大拍手だったんですが。
あぁ「不思議の海のナディア」を観ればいいのか。
余談ながら、上映10分前から「ポーニョポニョポニョ…」が流れ続けていたせいで、しばらくエンドレスで頭の中に鳴り響いていました。
ポニョの呪いか。
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文明と自然は共存できないんじゃね?
ってのは前から言ってたけど、
「もののけ」ではそれでも自然を敬いながら
人間は人間で「生きろ。」って話じゃない。
でも「ポニョ」は、
共存できないから一回水に沈めて人間の世界を終わらせたわけでしょ。
洪水のあとの世界は、人間視点からいうと「黄泉」でしょう。
だから婆さんどもは肉体感覚から解き放たれて歩けてるわけだ。
で、生き残ってるの人間は宗介のみで、
人間を新しい世界に連れて行くかの審判が下される。
結果「ポニョが好き」という単純な理由で新しい共存の世界が始まるけど、
おそらくその後の世界では、人間はフジモトのように
泡に守られてないと生きていけないのでは?
最初にそっちの世界に行った先駆者がフジモトなわけだよ。
宮崎的人類補完計画だと思うんだよな…。
すんません。こんな俺、ウザいだろ?
確かにポニョは女だ。
宗介を好きになった理由が全くないところからして女だ。
譜面に起こしたりしたら、もう呪詛から抜けるのは困難でしょう。
ポニョの伴奏譜を全身に書いて一心不乱にポニョポニョと唱えるといいかもしれない。
「プロパンガスだよ。」とかねw
せっかく崖の上に住んでるんだから、風力発電でオール電化にしてしまえ。
確かに頑張れば名作化した可能性があるっぽいのが惜しい。
宗介クンの魔法が解けないことを祈ります。
文明と自然は共存できないんじゃね?って結論めいたものが出たのが「もののけ」だったと思うんだけどね。
話は変わるが、婆さんたちの脚が治ったところだけが謎。
「生命の水」の余波なのかな。
病は気からってことで、頑張ったら歩けちゃったんだろうか。
観た友人が「ポニョは女だよ、すでにオンナ」と申してましたw
ポニョの呪いを伴奏譜にしてほしいと依頼があり、只今書いております。
呪縛から抜け出すにはどうすればよいかのぉ。
ほぼ同意見です。
宗介の良い子ぶり。
「~何だよ~。」とか鼻に付きましたね。
そして物語のメチャクチャさ。
もうちょっと頑張れば名作になった気もするんだけどね。
残念。
ちなみに見終わった後相方と話したことは、
「大人になったら、いつか宗介浮気するね。」という
最低な会話でした。。。。
子供は子供なりに、大人は大人なりに観れると思うんだけどな。
前者は
「ポニョは宗介が好きで、
その思いによって一緒にいられるようになってよかったね」
後者は
宮崎のテーマである文明と自然の共存でしょう。
今までは「人間は汚い、けど自然が無いと生きられない。
だからお互い侵さないようにね」
という立ち位置だったのが、
「人間は汚い、だから人間の世界は終り。
あっちの世界に行く信念・勇気はあるかい?」
と理解したのですが。
原作ナウシカに近い世界観ですね。
宮崎にはあと一回ぐらいは冒険活劇作ってもらいたいよね。