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連続テレビ小説『純と愛』第5週「きたかぜとたいよう」

2012-11-04 20:57:57 | 風間俊介
第5週「きたかぜとたいよう」

<あらすじ>
純(夏菜)と愛(風間俊介)は、愛の弟・純の墓前で共に生きる事を決意する。
そして二人は初めてのキスを交わし、初めて二人の朝を迎え、一緒に住むことになる。
一方、正(速水もこみち)は、善行(武田鉄矢)のもくろみで、
借金返済のために見合い相手と結婚することになっていた。
ある日純は、愛の父・謙次(堀内正美)が、
愛人とホテルで密会しているのを目撃するのと同時に、
母の多恵子(若村麻由美)とも出くわすことに。
多恵子は愛を精神科医に連れて行くように命令する。
無理強いは愛のためにならないと反論した純だったが…。
数日後、純にお客様から厳しいクレームが届き、純は落ち込んでいると、
ホテルの設備管理会社で働いていた愛が、
千香(黒木華)に殴りかかるという事件が起きる。
千香がお客になりすましクレームを書いていたことをみた愛は、
注意をしただけだと身の潔白を訴えるが、人の顔を見ない愛を信じる者はいなかった。
純は愛を病院に連れていくべきか悩み、
二人が堂々と生きるためにも精神科医へ行くよう愛を説得する。
診断結果は統合失調症。病気ではない事を信じてもらえない愛は豹変し、
心無い言葉で純を傷つける。
思わず純が愛の頬を叩くと、愛は合鍵を置いて部屋を出て行ってしまう。




今週は辛いと覚悟した上で観ましたが、ほんとに辛かった!\(^O^)/
甘い気持ちがボロボロと崩れていく様がなんともリアルで、
息苦しくて仕方ありませんでした。
とくに愛くんが追い詰められていく過程がグサグサ突き刺さり、
本放送しか見れない日もあったほど。
ただ、世間様のご意見は愛くん批判が多かった感が強し。
強くて正しくまともな人からすれば、
愛くんは弱くて甘えていて頭のおかしな人とされてしまうのでしょうが…。
弱さやダメさってそんなに許されないことなんですかね?
強くて正しくてまともな人しか生きていけないのだとしたら、
弱くてダメな人たちをまとめて自殺施設送りにしちゃう世界がユートピア…って、
行き着く先はナチスの掲げた優性思想と変わらないような???
…ちょっと言い過ぎかもしれませんが、そう感じてしまいます。
やたらと強気なことを言う政治家が支持されているのとか、
あの時代から何も変わってないのだとしたら怖い話です。
自分より弱くてダメな存在を作りだして叩くことで自分を慰めたいとか、
自分がこれだけ苦しんでいるのになんでアイツは怠けているんだ!?許せない!
という感情が根底にあるのでしょうけども…。
それはきっと消すことは難しい感情であり、
世の中から差別も偏見も永久になくならないだろうな~とか考えて…orz
こういう感情が生み出す空気が多くの人を追い詰めていってるような?
でも、自殺者が年間3万人を14年連続で超え続け、←統計によれば
未遂者&希死念慮(自殺願望)を抱いている人は、
その十倍いるだろうと言われている社会は明らかにおかしいので、
自分が強くて正しくてまともだと思っている人が、
そうではない人を許容する強さを持てばいいのにとか少し。
本当の強さってしなやかな柔軟性を持ち合わせたものだと私は思います。
そういう強さをもった人が増えていくことを願わずにいられません。

愛くんの気持ちが全て理解できるわけではないものの、
自分のダメなところはわかりすぎるほどわかっているのだろうし、
自罰感情と自己責任論に苛まれながら、
変わろうと努力しているのにそれでも上手くいかない絶望に苦しむ人に対して、
正論や叱咤激励をぶつけても意味がないというか、
しんどくてもただ見守ることしかできないのではないかと。
結局、変わりたい、幸せになりたいと思うこと=生きたいということなので、
そこの生きたい気持ちが芽生えないことには何も始まらないような?
自分が嫌いで自分は生きていてはいけないと思いながら死ねずに8年生きてきた愛くん。
唯一顔を見ることができる純に惹かれながらも、
自分の不安定さをわかっているからこそ、
何度も離れようとしたのに引き留め続けてもらい、
ついには自殺を思い留まらせられたことで、
愛くんにとって純ちゃんが生きる意味となり、
「生きたい」という気持ちの芽生えはじめたのでしょう。
だからこそ頑張ろうと空回りして起こる負の連鎖。
怪我をした後にリハビリにかける時間が必要なのと同じように、
心のリハビリも時間をかけなければ上手くいかなくて当然です。
不甲斐ない自分への苛立ちと、不信感を抱かれていることへの不安、
そして自暴自棄が合わさっての精神科医や純ちゃんへの爆発と繋がったことを、
キレやすい人と片付けてしまって果たしてよいのかどうか…。
心のコントロールができない人であることは確かですが。

一方、社会にうまく適合できない愛くんを重く感じていき、
職場でのトラブルも重なったことで余裕もなくなり、
愛ママに言った台詞がそのままブーメランのように返ってきてしまった純ちゃん。
未熟な彼女を責めることは簡単ですが、
人が人を信じることの難しさというものを見ていて痛感させられました。
愛くんのような人を背負う覚悟なんてなかなかできることではないですしね。
第5週のタイトルにもなった童話の『きたかぜとたいよう』の
太陽になりたいと愛くんに語った純ちゃんが、
けっきょく北風になってしまったのはなんとも皮肉な結末と言えます。
でも、この童話の太陽も決して善側というわけではなく、
理由は忘れましたけど、
たまたま通りかかった旅人の服を脱がせる競争を北風と勝手に始めて、
灼熱地獄を味あわせて勝っただけの傍迷惑な存在なんじゃ…。
結論はどっちになっていても変わらなかったのかな(爆)

愛くんは純ちゃんに過剰な理想を求めすぎ、
純ちゃんは自分も含めて、
“まとも”“普通”に囚われすぎてしまったからこその関係の崩壊…。
風間が言っていた再生のための崩壊という言葉はまさに至言ですな。


嫉妬にかられてしてしまったチカちゃんの行為はやっぱり卑劣だと思うし、
他人の職を奪う嘘は許されないことだと思いました。
なぜか水野の株があがっているのも謎。
水野が職場の女性に手をつけまくったことが元凶でしょうが!という感じ。
嫌いではありませんけどね、2人とも。

精神疾患についての問題はデリケートかつ、
苦しんでいる方々のことを考えたら軽々しく語れるものではないのですが、
病名を出すだけで差別だ!と騒ぎ立てるほうが逆差別なんじゃないかと。
何かを表現する、何かしらの言葉を発することで、どこかの誰かは傷ついたり、
不快に感じたりしてしまうことは避けて通れないことだと思います。
だから何を言ってもよいことにはならないとはいえ、
フィクションにおいての表現の自由を制限していく風潮は勘弁してもらいたいです。
病名をつけることによって救われることも、
処方された薬に効果があること、良心的な精神科医が存在することなどなど、
ちょっと想像すればいいだけのことじゃないですか。
そして、その逆の場合があることもまたしかり…。
愛くんの「病気じゃない!」という叫びには、
心の病に対する差別や偏見が含まれているのは確かだと思いますけど、
精神疾患が理解されにくい現状をあらわしているとも取れるのでは?
あと、自分では病気だと認識できないのに、
周囲から「病気だ」と思われることに対して苦痛を感じているわけで…。
そう思うことすらいけないのでしょうか?…(;´Д`)
先日読んだ『オカルト~』(森達也)の中に、

”かつて秋山眞人は「統合失調症などで入院する人たちの中には、
 うまく能力をコントロールできないまま見えるとか聞こえるとか周囲に
 言ってしまったことで、ちょっとおかしいとされてしまった
 能力者が多いんです」~”
(c)『オカルト 現われるモノ、隠れるモノ、見たいモノ』(森達也)
   135頁14~16(?)行

↑という文章があり、信じる信じないはこの際置いといて、
超能力者&霊能力者と自称する人たちの実体験?でもあるわけですから、
そういう取材をした結果、この病名を使ったのかもしれないという推察もできます。
病名や話題にすら出してはいけないとなるほうが存在を抹消することであり、
人々の理解を遠ざけることになりかねないようにも思うのですが。
…知識の浅い無神経な発言でしたらすみません。
賭け麻雀を連想させる描写への抗議といい、
なんとも面倒くさい世の中になってしまったものです。
これも昔から変わっていないことなのかなぁ?(遠い目)
   
なんか、批判に対していちいち反論したくなる自分の小ささが嫌になってきました。
フィクションだとわかっているのに引き摺りまくってしまって、
日時生活に支障をきたしております(-_-;
メチャメチャ辛いストーリー展開ではありましたが、
今週もたっぷり風間の芝居が堪能できて幸せでした(≧∇≦)
どん底から後は浮上するだけ…ってね♪


ではでは

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