雑木帖

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高レベル放射性廃棄物の処分

2007-02-11 00:13:11 | 政治/社会
 高知県安芸郡東洋町の町長が高レベル放射性廃棄物最終処分施設の候補地に応募して原子力発電環境整備機構が先月26日これを受領、列島がこの問題で揺れている。
 こういう地域、問題が出るのは何年も前に決まっていたもので(参考:「ちょっと待った! NUMOさん! 処分場公募のその前に‥」)、今更という感のするものなのだが、これが良い意味で高レベル放射性廃棄物を考える材料、また政策などの転機になればいいと考える。


毎日新聞2007年02月07日より。
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 この高レベル放射性廃棄物の件で2年ほど前にBBSに書きこんだものを以下に参考まで。

    *     *

 アメリカの大統領選挙では、2002年にブッシュが承認したネバダ州ユッカマウンテンの放射性核廃棄物処理場の問題が大きな争点となっているといいます。これはロイターが報じたものですが、日本でも既に危急の深刻な問題になっているにもかかわらず、日本のメディアはアメリカ大統領選のこの争点のことを全く報じません。

 広大な敷地を持つアメリカで、核実験まで行ったほどの地を持つ国で、しかも既に20年以上原発を新設していないような国で、この放射性核廃棄物処理場の問題が今の大統領選の大きな争点の一つになっているという現実を、世界一の原発密集地である日本はちゃんと認識する必要があると思います。

 六ヶ所村の中間貯蔵庫の高レベル放射性廃棄物のキャニスター収納総量は1440本ですが、現在日本には、1万7000本を超える分量の高レベル放射性廃棄物が存在し、原発の運転寿命を30年と計算すると(30年というのは原発を建設した時の設計値です。それを今電力会社は50年から60年に勝手に変えてしまっています)、現原発(新設中の原発は含んでいない)だけで2027年には4万本あまりに達します。
 いったいどこに埋めるというのでしょうか。

 放射性核廃棄物処理場のユッカマウンテンのあるネバダ州では、1997年にネバダ州知事のボブ・ミラーが、エネルギー長官に宛てて怒りに満ちた要請書を提出しています。なぜなら、調査の結果、地下に埋めた高レベルの放射性物質は断層沿いに地下水中を流れ、最悪の場合、人間の近づける場所まで、わずか三日で到達し汚染が広がるという移動速度の計算が示されたからです。

 高レベル放射性廃棄物の入れ物のキャニスターは百年も持たず腐食するという人もいます。いずれにしろ、金属は遅かれ早かれ腐食します(お金にいとめをつけず、キャニースター一本の単価を一千万円にしてもです)。それ故ドイツでは、日本のように地下に埋めて完全に遮蔽する方式を撤回しました。地下に埋めた場合でも、人間が行って作業が出来るような埋め方に変えたのです。
 何かあった時に、人間が何の対処もできないような方法は、後世の者に対し、あまりに無責任だとの理由からです。

 ドイツが原発からの撤退を決めたのは、原発から出る高レベル放射性廃棄物の完全な処理方法が見つからないからです。今日本がやろうとしているように、ドイツは高レベル放射性廃棄物を地中深くに“地上と完全に隔絶して”埋める計画を立てていました。しかし、高レベル放射性廃棄物を詰めた容器は、今の科学では如何なるもので作ろうと、いずれ腐食し、高レベル放射性廃棄物が地中に染み出します。また染み出した放射性廃棄物は地下水によって地上に出てきます。それを考えれば、完全に埋めてしまって人間が手段を講じることすら不可能にしてしまうのは、後の人間に対し無責任だとし、完全に埋めてしまうという計画を撤回しているのです。
 アメリカは1979年のスリーマイルアイランド原発事故から20年以上、原発の新規着工はありません。
 しかし、3年前、チェイニー副大統領が「地球温暖化問題に真剣に取り組むなら、欠陥が多い京都議定書より原発建設の方が良い解決策だ」と言い、ブッシュ政権は原発建設の“再考”を始めました。
 同じ頃、AP通信社が行った調査では、アメリカ市民の50%が原子力発電所に賛成し、そのなかの半数が自宅から10マイル(約16キロ)以内に原子力発電所が出来てもかまわないと答えています。
 僕はそのときアメリカの「知」の衰退を思いました。
 実はブッシュ家と縁が深く、親ブッシュの時代には『陰のアメリカ政府』とも言われたベクテル社が、世界の原発の6割を建設してきた企業でもあるのです。このベクテルは今度のイラク侵攻で、戦後の復興事業を受注して焼け太る企業として、かなり名が知られるようになりましたが、世界最大の商社であることは未だによく知らされていません。(参考= 巨利をむさぼる世界最大の企業「ベクテル社」

 アメリカ原子力産業業界団体で、ロビー活動を行なっている『原子力エネルギー研究所』(NEI)は、やはり3年前に次のように言っています。
「環境について話をするならば、原子力発電所は何の影響も及ぼさない――二酸化炭素も出さなければ、亜硫酸ガスも出さない――というのが事実だ。また、放射性廃棄物については、最後の一かけらに至るまできちんと管理されている。そして、現在提案されているユッカマウンテン(ネバダ州)が、存続可能な最終貯蔵施設となるだろう。したがって、原発の廃棄物は『汚染物質』ではないのだ」
 しかし、先に書いたようにそのユッカマウンテンは知事のボブ・ミラーがエネルギー長官に宛てて怒りに満ちた要請書を提出しています。

 日本の新聞・テレビは、高レベルの放射性廃棄物の地中処理のこのような様々な問題点も全く取り上げようとしません。
 たしかに、新聞・テレビの最大スポンサーの一つが電力会社であるという事情もあります。しかし、僕はそれだけではないように思います。世の中の他の問題でも新聞・テレビは似たり寄ったりのことをやっているからです。
 新聞・テレビが「政局」ばかりを熱中して報じるのは、彼らが自分たちを権力者側の人間と考えているから、という指摘があります。僕はそれもポイントの一つだろうと思っています。

 10年ほど前、イタリアの風刺漫画に次のようなものがありました。

 円く描いた地球の表面に一人の男が立ってスコップを持ってゴミをせっせと埋めています。
 次のコマでは、その地球の裏側にいる一人の男が地面を掘ると先に地球の反対側で埋められたゴミが湧出するのです。

 この部分的には非科学的な漫画はそれでも何故か僕の心にしみました。
『ルポタージュ・ゴミ』青木慧著という本を読んで、ゴミ事情に絶望をおぼえていたからかもしれません。
 次はその著書からの一節です。
 ところで、「経団連地球環境憲章」は「廃棄物対策の課題」と一体のものである。作成に当たった環境安全委員会の久米豊(日産自動車社長)委員長は、「経団連月報」(六月号)の「経団連地球環境憲章がめざすもの」でつぎのように述べている。
<公害問題を克服し、経済成長と環境保全とを両立させたわが国に対する期待が世界的に高まっており、わが産業界としても、従来のような国内重視の環境対策から一歩進めて地球環境も視野に入れた環境対策へ意識を転換することが求められている。今回の憲章は、こうした内外の状況をにらんで環境問題に対する企業行動指針として望まれる事項を、ひとまずこの段階で整理したものである>
 わが国では、すでに公害問題も環境問題も解決ずみで、今後は世界の先生役となって地球環境問題に乗り出すといわんばかりである。が、足元のゴミ問題でも、欧米の先進諸国から大幅に立ち遅れている。<事業者の責務>が厳しく定められるのは、世界の趨勢であり、デンマークでは、すでに国内で販売するビールとソフトドリンクの容器には、回収「リターナブル」びんの使用を義務付ける法律を成立させた。アルミ缶の使用は禁止された。
 ドイツでは、包装規則政令によって、包装容器の回収を義務付けている。九五年までにガラス、スズ、アルミニウムなどは九〇%の指定回収率を達成し、これらの素材すべてをリサイクルしなければならない。焼却処理はできない。ドイツ国内ではこれでも規則が穏やかすぎると批判が強かった。
 日本ではルーズな<事業者の責務>は、EC諸国では厳しく義務付けられる方向に向いている。ところが、日本では「ゴミの原料」総本部が<妥当>とする廃棄物処理法の改正にとどめ、<犯人探し>も阻止されかねない状況にある。
 (『ルポタージュ・ゴミ』青木慧著より)
 文中の“「ゴミの原料」総本部”とは日本経団連のことです。
 この本は1992年の上梓ですが、その後会社が斜陽し、仏ルノーに身を預けた日産自動車の社長が代表のような形で出てくるのも、さもありなん、という感じです。
 青木慧氏がそこで語りたかったのは、今の電力に見られる状況においても全く同じことが言えるのですが、「ゴミ」の責任を一般家庭に押し付けるのは誤謬であり、比率からいっても世の中のゴミのほとんどは「事業者」たる大企業が出すものである、また、ゴミ問題は、「出口」の処理場などの問題では解決できず、「入口」の製品の製造の段階からシステム化し、コントロールしていかないとだめだ、ということです。この点、今でも日本ではその認識が一般に共有されているとはいえないような状況にあると思います。
 その前に、地球環境問題の一つであるゴミ問題が大変なことになっているという認識がそもそも一般には希薄であるのかもしれません。

 また日本にはもう一つの大きなゴミ──原発が出す核のゴミ。半永久的に完全な管理(今でもちょくちょくとミスを重ねている実態からいけば完全な管理などは絵空事と言えます)を要求する猛毒のゴミ──の問題もあります。
 時々テレビで流される、一家団欒のなかで鉛筆に模った核のゴミをやさしいナレーションでいい加減に説くCMなどは、未だに見るたびにそのまやかしぶりに驚かされます。
 こっちの究極のゴミの問題も、やはり一般には問題意識が薄いように感じますが、上に書いたようなCMを流す官の無責任さや、電力会社自体いかにして当面(ずっと?)誤魔化すかといったことに腐心している状況をみると、それも一面では当然かもしれないと思います。

 最後に電力会社の例を一つあげておきます。

 東京電力のWebサイトに、次のような記述があります。

「高レベルの放射性廃棄物はどこにあるの?」

高レベル放射性廃棄物貯蔵量 単位:燃料集合体数(体)

日本の電力各社では、使用済みの原子燃料を再処理するため、イギリスとフランスの再処理工場との契約に基づき、すでに約7,100tの使用済燃料を両国に搬出済みです。(東京電力分は約1,900t)。再処理工程で発生する高レベル放射性廃棄物は、順次日本に返還され、青森県六ヶ所村にある日本原燃(株)の高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターに貯蔵されることになっています。
海外での再処理に伴う高レベル放射性廃棄物は、今後数十年をかけて返還され合計約2,200本となります。なお、青森県六ヶ所村の貯蔵管理センターの貯蔵容量は現在1,440本、将来的には2,880本となる予定です。
高レベル放射性廃棄物の最終処分施設には、2030年代~2040年代半ばの運用開始をめざして、現在準備を進めています。
「六ヶ所村の高レベル放射性廃棄物貯蔵容量が1,440本、日本の将来的な高レベル放射性廃棄物容量は2,880本、もう一箇所どこかに六ヶ所村と同じ高レベル放射性廃棄物貯蔵施設を作ればちょうど貯蔵できる量だ…」
 普通はそう考えますが、実は東電のこの記述はとんでもない詐術なのです。

『埋め捨てにしていいの?原発のゴミ』に出てくる【原子力発電環境整備機構】の文書には「2,880本」どころか「4万本」と記されています。
 東電の指摘する本数は「海外で再処理」した高レベル放射性廃棄物のみの本数なのです。

 40000-(2880-1440)=3万8千560本分の高レベル放射性廃棄物は、現在のところ行き場がなく、全国の原発施設に氾濫するのです。

 1967年に発足し、原子力予算(たとえば1995年から98年の4年間では、毎年約4千5百億円というエネルギー予算の90%にあたる額)の中から運営資金を得、30年の間に約1兆4千5百万円の赤字を計上した(無論これも税金で賄われる)【動燃】の副理事長・植松邦彦が、1984年の衆議院科学技術委員会で次のように発言しています。

「『高レベル』のガラス固化体1体に相当するキュリー数(放射能)は、低レベルのドラム缶の数百万本くらいに相当するかと存じます」

 この「低レベルのドラム缶」というのは、1999年に東海村の動燃・再処理工場で爆発を起こした低レベル放射性廃棄物が入ったドラム缶です。

*参考

原子力発電環境整備機構
─ Nuclear Waste Management Organization of Japan (略称:NUMO「ニューモ」)

「特定放射性廃棄物の最終処分に 関する計画」

「発電用原子炉の運転に伴って生じた使用済燃料の再処理後に生ずる特定放射性廃棄物の量及びその見込み」

1  平成11年12月31日以前の発電用原子炉の運転に伴って生じた使用済燃料の再処理後に生ずる特定放射性廃棄物(ガラス固化体)の量は、約13,300本と見込まれる。このうち平成12年3月31日時点で国内に貯蔵されている特定放射性廃棄物の量は334本である。
2  平成12年1月1日から平成21年12月31日までの発電用原子炉の運転に伴って生じた使用済燃料の再処理後に生ずる特定放射性廃棄物の量は、電気事業法第29条第1項の規定により通商産業大臣に届け出られた供給計画(平成12年度)を基礎として算定した結果 、以下の表のとおりと見込まれる。

年(平成) 左欄の年における発電用原子炉の運転に
       伴って生じる使用済燃料の再処理後に
       生ずる特定放射性廃棄物の量の見込み
       (本)
12       1,100
13       1,100
14       1,100
15       1,100
16       1,100
17       1,200
18       1,200
19       1,300
20       1,300
21       1,400

3  平成22年以降の各年における発電用原子炉の運転に伴って生じた使用済燃料の再処理後に生ずる特定放射性廃棄物の量 を平成21年と同程度という前提をおいた場合、それぞれ当該時点までの発電用原子炉の運転に伴って生じた使用済燃料の再処理後に生ずる特定放射性廃棄物の量の総量は、平成25年頃に約3万本に達し、平成32年頃には約4万本に達するものと見込まれる。


埋め捨てにしていいの?原発のゴミ 地層処分問題研究グループ

処分地の公募開始にあたって
(要旨) 原子力発電で発生する最も危険な放射能のゴミ「高レベル放射性廃棄物」を地下に埋め捨てる「地層処分」の実施主体 「原子力発電環境整備機構」 は、処分地の公募を開始することを昨年12月に発表しました。わたしたちは、地層処分の安全性を強く懸念するとともに、処分地を拙速に決める前に、今こそ放射性廃棄物の問題と原子力発電について国民的な議論を深めるべきだと考えます。日本の原子力政策は、破綻しているプルトニウム利用計画をまだ見直していないため、廃棄物の処分にも先行きの不透明な点が多く、この問題を曖昧にしたまま処分地探しだけが先行すべきではないと考えます。
 日本は他国にくらべて高レベル放射性廃棄物の処分政策が遅れていましたが、その遅れを取り戻そうと、いま急ピッチで処分政策が進められています。けれども、それほどまでに高レベル放射性廃棄物の処分問題が大変な状況にあることを、多くの国民は知らされていません。そもそも「高レベル」の放射性廃棄物とは何なのか知らない人、すでにどこかに処分していると思っている人も多いことでしょう。
 国や電力会社は「国民はこの問題を理解していない」と嘆いていますが、「知っていますか? 電気を使えばゴミがでることを」などといった広告を流し始めたのはつい最近のことです。これまで放射性廃棄物という原発の負の面をできるだけ伝えないようにしてきたのは自らなのですから、そのような状況にあるのは当然のことです。処分の実施主体に Nuclear Waste Management Organization of Japan という英語名(直訳するならば「日本核廃棄物管理機構」)を冠しながら、日本語では「原子力発電環境整備機構」(通称:原環機構)という名称にして、何をする法人なのかわからないようにしたということが政府委員会で公言されているほどです。
 その原環機構により昨年12月から開始された公募で処分地が簡単に決まってしまえば、放射性廃棄物の問題を一人一人の国民が自覚し、原子力発電のこと、エネルギーのこと、将来の社会のことを考える絶好の機会を失ってしまうでしょう。それだけでなく、「放射性廃棄物は処分できるから、いくら発生しても大丈夫」とばかりに原子力発電を推し進めることは、エネルギーや資源の消費を加速する恐れが大きく、これからの地球が抱える問題を解決する方向ではありません。
 根本的な問題として、わたしたちが核燃料サイクル開発機構の技術報告書などを検討したところでは、いま宣伝されているように「地層処分すれば絶対安全」とは断言できません。この方法で本当に安全が保たれるのか、地下に危険な放射性廃棄物が埋まっていることを将来の世代にどう伝えていくのか、それとも忘れ去ってほしいのか、現在の世代が何をどこまで決め、何をしておくべきなのか、そうした議論を社会全体で共有する必要があります。そのような議論と認識の共有があってはじめて、この廃棄物を処分するなり保管する地域を決めることができるでしょう。
 現在のところ、原発の使用済み核燃料はすべて再処理してプルトニウムを取り出すという非常に無理のある政策を前提に、今回公募する処分場には、2020年までに発生予定のガラス固化体4万本を埋設することになっています。現実的な方針転換として再処理をやめ、アメリカやフィンランドなどと同様に使用済み核燃料のまま埋設することになると、廃棄物に含まれている放射性核種の種類も増え、処分場や廃棄物の容器などの設計も変わってきます。ところが、こうした「直接処分」の研究は、使用済み核燃料をすべて再処理するという国策に反するため、日本では行うことが許されていません。このような硬直した政策に信頼を寄せることは大変難しいことです。
 一方、このまま再処理を続けていくのなら、使うあてのないプルトニウムを無理矢理プルサーマルで消費せねばなりません。通常のウラン燃料にくらべて、プルサーマルの使用済み核燃料は処分を難しくする放射性核種が多く含まれますが、そのような点にまで現状では注意が払われていませんし、それ以前の問題として、プルサーマルの使用済み核燃料をさらに再処理するのか、それとも再処理せずに直接処分するのかさえ不透明です。このように、実際に何が埋められていくのかさえ確かでない状況にありながら、まず処分地だけは決めようというのは、乱暴で無責任なことです。
 高レベル放射性廃棄物の最終処分の国際的な動向として、2002年にアメリカやフィンランドで最終処分地が決まったことが紹介されますが、これらの国と違って、日本はプルトニウム利用政策の先行きが不透明で、何を埋めるのかさえ定かでないのですから、同列に論じることに疑問を禁じえません。わたしたちは、処分地が決まることが原子力政策の既定路線に誤りがないという姿勢を補強し、政策の見直しを先延ばしする口実となることを危惧します。
 高レベル放射性廃棄物の問題は非常に深刻であるからこそ、処分地決めを急ぐのではなく、原子力政策の見直しも含めて国民的な議論を先に深めるべきです。この問題をずるずると先延ばしできないのであればなおのこと、このような処分方法しか提案できない原子力発電をどうするかという議論を即座に始めることをわたしたちは求めます。
 最後に、この公募に応じることは、ゆくゆくは原子力発電所、中間貯蔵施設、再処理工場の立地地域に対して、高レベル放射性廃棄物の「行き場」として国が約束する地になることを意味します。手続き上は首長の判断だけで公募に応じることが可能ですが、住民のあいだで十分な合意がないままに処分地に決まり、あとから地元で賛否が激しく対立しても、処分政策に組み込まれてしまってからでは、日本中の原子力立地地域との複雑な関係のなかで簡単に退くことができないことは予想に難くありません。各自治体には、以上述べた点を十分に考慮に入れて、慎重に事に当たっていただくことを希望します。
    *     *

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