雑木帖

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キャプテン・ハーロック:『銀河鉄道999』

2006-10-14 17:08:19 | その他
 “人間には、負けるとわかっていても戦わなければならない時がある”という今年3月に書いたエントリーのキャプテン・ハーロックに関するものは、「とおりすがり・」さんと「いやだからね」さんがそのエントリーのコメントで指摘してくれたことのほうが正しいとわかった。
 キャプテン・ハーロックの行動は、「人間には、負けるとわかっていても戦わなければならない時がある」の一つであるということを僕も認める。
 やっと、『銀河鉄道999』を観た後の感想である。
 お二人には感謝している。

『銀河鉄道999』のこの件に関係したストーリーは次のようなもの。
 人間の不老不死という願いをかなえるという形をとり、人間が自ら進んでその機械人間化(脳だけを残し、身体を機械で構成)をおこなうことで、機械帝国を築き、人間や宇宙を支配することを考える機械帝国の女王・プロメシューム。彼女はアンドロメダにある機械の巨大な惑星で、人間にタダで機械の身体を提供していた。
 星野哲郎は紆余曲折を経て、その機械惑星の考えが間違っていると悟り、機械惑星を破壊するためそこに向かう。



 一方その時、キャプテン・ハーロックは自らが艦長をつとめる宇宙船アルカディア号の艦内で次のように言う。
「男なら危険をかえりみず、死ぬとわかっていても行動しなければならないときがある。
 負けるとわかっていても、戦わなければならないときが。
 哲郎はそれを知っていた…。
 いいか!哲郎に掠り傷一つつけるな!無事地球に帰らせろ」





 機械惑星は強大であり、アルカディア号が太刀打ち出来るような相手ではないことをキャプテン・ハーロックは承知していた。それでも彼は星野哲郎を救うため死を決意して惑星に向かった。
 この死ぬことをわかっていてそれでも戦いに行く、という一点では、ハーロックは日本の戦時中の特攻隊と同じだともいえる。けれど、キャプテン・ハーロックの行為は次の多くの点で特攻隊とは異なっている。

 ・ハーロックは上からの命令や押し付けではなく(そもそも海賊・ハーロックにはそんな上の存在はいないのだが)、自分が見聞きした上での考えで判断している。そしてその判断は彼の人生観、世界観、哲学からきているもの。
 ・彼のその現実把握、認識は、客観的にも正しかった。また、ハーロックが自分たちの命にかえて助けようとしたのは、その価値観を共有する一人の人間だった。
 ・相手は人間の機械人間化を進めることで、人間界を支配しようとしていた機械であり、象徴的には、「個」対「強大な権力」だった。

 結局、メーテルが持っていたドクター・バンのカプセルによって、強大な機械惑星は内部から惑星崩壊を始め、また、ハーロックと同じことを考えた女海賊・エメラルダスの助太刀によって、間一髪の危機を逃れたりということもあり、ハーロックは死なずにすむ。そして、エメラルダス、メーテル、哲郎らも全員無事帰還。


 現実を正しく把握、認識することは難しい。しかも、戦時のように、マスメディアが翼賛化しているときは不可能に近いのかもしれない。
 それでも、疑問のようなものは持ち続けることはできるかもしれない。それもなかなか難しいことにかわりはないのだが。
 上のハーロックと特攻隊員の一番大きな違いは、現実に対する正しい認識があるかないか、だ。仮に先の大戦で、ハーロックが同じように現実を正しく把握でき、特攻隊という選択肢を示されれば、ハーロックはそれを拒否したはずである(前に書いたように、一私人が特攻隊員になることを拒否することなど当時の状況では不可能なことだったのだが)。

 ともあれ、映画を観たあと、僕は明治・大正に生きた作家の芥川龍之介の次の一文をふと思い出した。

 武器

 正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理窟をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。古来「正義の敵」と云う名は砲弾のように投げかわされた。しかし修辞につりこまれなければ、どちらがほんとうの「正義の敵」だか、滅多に判然したためしはない。
 日本人の労働者は単に日本人と生まれたが故に、パナマから退去を命ぜられた。これは正義に反している。亜米利加は新聞紙の伝える通り、「正義の敵」と云わなければならぬ。しかし支那人の労働者も単に支那人と生まれたが故に、千住から退去を命ぜられた。これも正義に反している。日本は新聞紙の伝える通り、――いや、日本は二千年来、常に「正義の味方」である。正義はまだ日本の利害と一度も矛盾はしなかったらしい。
 武器それ自身は恐れるに足りない。恐れるのは武人の技倆である。正義それ自身も恐れるに足りない。恐れるのは煽動家の雄弁である。武后は人天を顧みず、冷然と正義を蹂躙した。しかし李敬業の乱に当り、駱賓王の檄を読んだ時には色を失うことを免れなかった。「一抔土未乾 六尺孤安在」の双句は天成のデマゴオクを待たない限り、発し得ない名言だったからである。
 わたしは歴史を翻えす度に、遊就館を想うことを禁じ得ない。過去の廊下には薄暗い中にさまざまの正義が陳列してある。青竜刀に似ているのは儒教の教える正義であろう。騎士の槍に似ているのは基督教の教える正義であろう。此処に太い棍棒がある。これは社会主義者の正義であろう。彼処に房のついた長剣がある。あれは国家主義者の正義であろう。わたしはそう云う武器を見ながら、幾多の戦いを想像し、おのずから心悸の高まることがある、しかしまだ幸か不幸か、わたし自身その武器の一つを執りたいと思った記憶はない。
 常に、映画の『Matrix』のような状況──支配者層などが世の中の情報をコントロールし、そこに住む市民は現実とは違う世界で生きさせられている、というような状態──にあることを考えること、そうであることを疑うこと、は必要なことかもしれないと思う。

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3 コメント

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Unknown (ゆりかりん)
2006-10-14 22:35:38
<国家主義者の正義

そうなんですよね~。

個人の、或いは、洗脳された集団の正義は、

極めて主観的で井の中の蛙的正義であることも多いですし、

そもそも、正義という定義なんて、

全世界的に統一した共感が成立するなんて有得ない論理だと思っています。



これまでのあらゆる戦争がそうであったように、

一方の正義ともう一方の正義とのぶつかり合いの結果が

戦争だったわけで・・・。



ただ、正義を振りかざす(独善的)支配者の言うがままになっていたら、

これまでのように、不幸な事態を生むということは分かっている筈。

・・・なのに、困ったもんですな。

支配者達にしても、支配される側の者達にしても。



一番は、支配される側の(如何に民主主義国家といえど

それは幻だと思った方が良いわけで)意識次第ですが、

それには限界があり過ぎるし・・・。



より絶望しなければ、やはり、ことは大きく変わらないのでしょうかネ~?
返信する
Unknown (ゆりかりん)
2006-10-14 22:58:45
↑あ、また同じ過ちを・・・。

ここって、「カッコ」を使うとダメだったんですね。



何書いたっけ???



そうそう・・・、確か・・・・・、

「国家主義者の正義」に関して、触発されたんだったと思います。



支配者(個人でも集団でも同じことですが)の掲げる

正義って、井の中の蛙的主観でしかなくて、

その外側にいる者達にとっては、チンプンカンプンで

どうでも良かったりするんですよね。

そもそも、そうした狭義な正義こそが、

人類の歴史の上に戦争を生み続けてきたわけで。

(今も同じですが、一方の正義と、もう一方の正義がぶつかり合って

戦争になるんですもんね)



支配者達は巧みに、支配層達を煽動し、戦争に駆り立てる。

殆どは自らの私利私欲と権力維持のために。



そういう意味じゃ、

支配される一般市民(最も痛みを受ける者達)こそが、

もっと認識を深めなければいけないと思うところですが、

それには限界があることも、周知の事実で・・・。



どうなんでしょうか?

もとさらに絶望の局面に追いやられなければ、

ことは大きく変わらないということでしょうか?

(って、まるで『ターミネーター』や『マッドマックス』

みたいですよね)



というか、『キャプテン・ハーロック』は好きですよ。

今の日本の司法がやってくれないことをしてくれる。

明らかにおかしい判決が多すぎる中、(というか、

明治時代の、平均年齢40歳くらいの時代の法制度のまま、

何ら改善しない司法は無意味でしかない!

今を生きる国民に即していないという意味で・・・)

彼は、自らの大切なもののために、

自らの命を捨てる覚悟とそれを行うことが出来る。



例えば、理不尽に我が子を殺害された親が、

一旦、警察(司法)にその問題を委ねた途端、

被告は人権を保障され、(マニュアル通りの)安易な判決を受ける。

その為に被害者(関係者達)は、精神的苦痛も当然含め、

貴重な可処分所得や可処分時間を削って、

その裁判に人生を費やすのに・・・?



最近、子を持つ親同士の間では、こんなことが囁かれ始めています。

「我が子に何かあったら、警察には報告したくないよね。

どっちかって言えば、大金はたいても、ヤクザとかに、

お願いして加害者を探し出してもらって、

ソイツを殺して自分も死にたいわ」



信頼できない司法、信頼できない行政、信頼できない国家、

・・・・・・・そんな国に既になっているんですよ。

だからこそ、国家体制側は、必死で、

ナショナリズムを刺激し始めているんじゃないでしょうか?
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ゆりかりん さん (雑木帖@管理人)
2006-10-15 21:47:02
> 支配者(個人でも集団でも同じことですが)の掲げる

> 正義って、井の中の蛙的主観でしかなくて、

> その外側にいる者達にとっては、チンプンカンプンで

> どうでも良かったりするんですよね。

> そもそも、そうした狭義な正義こそが、

> 人類の歴史の上に戦争を生み続けてきたわけで。



これはその通りですね。半世紀前の大戦でも国会などで反論をした政治家などはほとんど海外に渡航経験のある人々で、別の見方ができる素養がありました。

一方で「正義」と主張する中に、経済的な思惑、それも財界などとの結託という動機が含まれていることも多く、それが事態を見えにくくする要因にもなっているように思います。



いずれにしても、今の総理のような三世趣味的政治屋を首相にしてしまった日本は、細心の注意が必要だと思います。戦争が始まっても彼ら本人を含め、その家族は徴兵も含め安全圏にいて、死んだり危険な目にあうのは市民のほうですからね。

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